第9話 佐伯 楓
いつも通りに仕事を終えて、タイムカードを押す。
私の好きなユウさんとは帰る時間が違って、入社間もない頃のように、一緒に仕事することが出来ない。それもこれも私が役職者だからだ。
こんなに早く役職者になりたかった訳じゃなかったのに、わずか一年で昇進したのはこの会社『株式会社 キョウエイ』、の親会社である『株式会社
正直、私は両親に溺愛されて育ったと思っている。
両親から沢山の愛情を注がれながら成長したけど、それが幸せだったかは、また別の話だ。
なぜならその両親の愛情は、私にだけ向かっていて、互いには向いてなかったように思えたからだ。
仲睦まじい親子ではあったが、仲睦まじい夫婦には見えなかった。特に夫婦仲が悪かった訳では無いし、良好であるのは間違いない。ただし、良好なだけだった。
一人っ子である私は、兄弟が欲しかった。
小さな頃、両親に妹が欲しいと頼んだ事があった。
両親は笑顔で『出来たらいいね』と言いながら、少し困っている感じがしたのを覚えている。
私は両親の背中を見て育った。
父も母も決して優秀ではなかった。不本意ながら、私はそんな両親に良い教育を受けさせてもらえ、人よりも優秀に育った今、そういう事がわかるようになった。
それでも我武者羅に仕事をして、私に愛情を注ぎ、今の会社を経営している両親を尊敬している。
そんな両親の愛情に応える為に、また、両親の力になりたいと、遊びや恋愛などに脇目も降らず、色々な事を学び、『三組』に入社した。
職場では社長の娘という事で、社員とも壁を感じていたし、それとは別に、社長に取り入ろうとする為に寄ってくる社員や業者もいたが、そういう存在が煩わしく、次第に無表情で仕事をするようになっていた。
影で『マネキン』などと呼ばれていた事も知っている。曰く、美しいだけの人形。
ある日、社長に呼ばれ、他県にある小さな会社を買収したと聞かされた。
この買収がどのように『三組』の利点になるのか、その意図が分からず尋ねたのだけれど、赤字を出している会社ではないし、創業者が老いて辞めたがっている事と、その創業者と知り合いだったから買い取っただけだと言う。
その会社を勉強の為に私に任せたいと言われた。
私の現在の状況を両親が心配して、そう提案してくれたのだろう。若干の居心地の悪さなど気にはしないけど、私を敬遠する社員の根幹には、私と同じように両親の背中を見ながらついてきて、共に苦労しながら会社を大きくしてきたという自負があるのだと私は感じていた。
だからこそ、社長の娘だからといって、簡単には信用されないのだと。
私は新たに子会社となった『キョウエイ』で、実績を作り、また戻ってきて今度こそは両親の役に立つのだと決心して、その申し出を受けることにした。
子会社で働くことになり、職場に向かった。
その会社の責任者は、私よりも随分と年上だと言うのに、私に対して物凄く下手に出てくる。
買収されたばかりで不安なのだろう。
私はいつも通り、無表情で対応をする。
責任者から、私の教育係だと言う人を紹介された。『松田 夕』さんと言う、入社七年の男性社員。
身長は180cm程か、私からすると見上げるような大男に見える。一般的には少し背が高い位だろうけれど。体格はガッチリとしている。
短い髪で、焦げ茶色の瞳の奥二重。そこそこのイケメンという感じだろうか。
責任者から一通りの紹介を受け、私も教育係に無表情で挨拶をした。
「本日から、よろしくお願いします」
「あ?あー、よろしく」
こちらがきちんと挨拶しているのに、態度が悪いし、やる気が感じられない。こんな人は両親の会社に必要はない。
私はこの男が嫌いになった。
初日は倉庫での作業の流れや、何処に何があるかを覚えて貰うと言われ、案内をして貰いながら、少しだけ作業を手伝ったりした。
今まで私は主にデスクワークが多かった為、肉体労働は慣れていなかったし、それを行う準備なども知らずに来た。簡単なものだと思っていたし、正直な所、舐めていたと思う。
「ヘルメットをちゃんと被れ。髪が崩れるのが嫌でちゃんと被らないんなら、ヘルメットを被らない所で仕事をしろ」
確かに私はヘルメットをきちんと被っていなかったし、顎紐も緩くしていた。彼に言われた通り、髪型が崩れるのが嫌だったからだ。だから彼の言うことは間違っていない。間違っていないが、気に食わない。
こんなやる気のない男に注意される事が、全くもって気に食わない。
だから私はその日のうちに髪を切った。
翌日出社した時に、私を見た彼の目を丸くした表情を見て、少しばかり愉快な気分になったのは内緒だ。
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