第6話 初夏

 翌日も休み。

 毎週連休があるものの、俺のような男は暇を持て余す。仕事中毒という訳でもなくて、休めるのは有難いのだが、特に趣味もないのだから時間を無駄に浪費するだけだ。


 さて、どうしたもんか。

 取り敢えず昨日のように散歩をしてみる事にする。


 自宅であるアパートを出て、アパートの前にある自動販売機でコーヒーを買う。

 チビチビと飲みながら、河川敷に向けて歩き出した。


「あっちぃ…」


 梅雨明け宣言はまだ先の筈なのに、ここの所アスファルトの色が変わるさまを見る事もなく、寧ろ乾ききった地面からの熱がジリジリと身体を這い上がってくる。


「もう夏だな…」


 川の流れを眺めるという事で涼をとろうと、毎度のように河川敷の指定席に辿り着いた。


 ポケットからタバコと携帯灰皿を取り出し、一服する。煙を吸い込みゆっくりと吐き出し、紫煙を眺めていると、何も考えずにすむ。

 何も考えずに少し離れた川面を見るとはなしに見ていた。


 しばらくの間ぼうっとしていると、古傷が痛み出した。背中にある古傷だ。

 この時期に負った傷だからだろうか。そう考えていると当時の事を思い出す。



 子供の頃住んでいた安アパートのベランダに、当時は毎日出ていた。楽しかったからなのかは思い出せないが、隣の部屋のベランダにいる人物と話していたと思う。

 住んでいた部屋は二階にあって、ベランダと隣にあるベランダとの間には、二メートル程の間隔があり、それでも小さな声でしか話せる状況ではなかったせいか、囁くような声と、手紙を書いて話をしていた。


『飛ばすからちゃんと受け取ってね』


『#*☆#』


 紙飛行機を作り、相手に飛ばす。手紙を紙飛行機にして飛ばしていた。

 その手紙飛行機は途中で落ちることも無く確実に相手に届く。

 気がつくと、そういう事が出来るようになっていた。それは紙飛行機を相手に届ける程度の小さな力。


 当時の事を思い出しながら、河川敷に設置してある、ベンチ横にあるゴミ箱に向かって、飲み終わった空き缶を放り投げた。

 座っている位置から二十メートル程距離のある目標に飛んで行った空き缶は、綺麗にゴミ箱に吸い込まれた。


 それを無表情に眺めていると、後ろから気配がした。


「うわっ、凄い…」


 振り返り、そう呟いた人物を見ると、昨日会った女子高生だった。


「ははっ。入っちゃったな。まぐれだ」


 そう誤魔化すように彼女に言うと、彼女も笑っていた。


「まぐれでも凄いですよ」


 遠くにあるゴミ箱を見つめながら彼女はそう言った。

 俺はそんな彼女を眺め、首を捻った。昨日彼女を見かけた時に感じた違和感は、休日に制服を着ているからだと思ったが、それ以外でもあったようだ。


「昨日は大丈夫だった?今日も部活か?」


 何となくなそう尋ねてみた。


「え?あ、はい。昨日は…」


 彼女はハッとしたように此方を向き、何事かを言い淀んでいた。

 まぁ、あまり会ったこともないような年上の知り合いに、親しげに話しかけられても困るのかな。


「あのさ、ごめんな。昨日は久しぶりって言われたけど、実は俺君の事が思い出せないんだよ。君は俺の事知ってるんだよね?」


 俺がそう言うと、彼女は眉を寄せて唇を噛み締め、暫く俯いてそっと口を開いた。


「あの…すみませんでした。昨日帰って考えたら、もしかして違う人と間違えたんじゃないかと思ったんです。知っている人と似ていたもので、その…」


 やっぱりな。知り合いではなかった。


「そっか。良かったよ。なんかモヤモヤしててさ」


「ですよね〜。アハハ…」


松田まつだゆうだ。別人かな?」


 確認の為に名乗る。


「…はい。別人ですね。私は、葉山はやまゆかりです。ご存知ないですよね?」


「そうだな。じゃあ初めましてだな。たまにこの辺りにいるからまた会うかもしれないな。よろしく」


 俺がそう言うと、葉山ゆかりは、嬉しそうに頷いた。


「はい!よろしくお願いします!」


 可愛らしいな。だが俺はロリコンではない。

 お兄さん視点、いや寧ろお父さん視点での可愛らしいである。

 少しだけ壁が低くなったから、一つだけ先程から気になっていた事をきいてみよう。


「ゆかりちゃん、そろそろ衣替えしないと暑くないか?」


 制服を着ているが、その制服は冬服だ。

 これが違和感の正体だな。


 そう尋ねると、ゆかりは空を眺めながら独り言のように呟いた。


「あ、そう、ですね。もう夏なんですね…」


 ゆかりの呟きは良く聞こえず、少し首を傾げてしまった。


 立ち尽くしているゆかりを眺めていると、近くから声が聞こえてきた。


「げっ!」


 驚いたような声を出した相手を見やると、見た事のある人物がいた。その顔は嫌なものを見たような顔である。


「お前、この間の夜の…」


 そいつは、上半身裸で女を追い回していたストーカー男。

 男も俺に気付き、慌ててその場から走り出した。


「ゆかりちゃん、またね!」


「あ、はい」


 ゆかりに断りを入れて、俺は男を追いかけた。


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