第3話 懇親の一撃
威嚇を続ける犬猫のように、鼻息荒く俺の事を睨んでいる楓を呆れた表情で受け流す。
「何が分からねえってんだよ。お前はもう少し自分の容姿と男心を勉強しやがれ」
楓の瞳は口程にものを言う。その瞳が怒りに染まっていく。
「もー!!だから勉強したんじゃないですか!なんで襲って来ないんですか!?」
「そっちかよ!!」
どうやら襲われない事を怒っていたらしい。
「なんなんですか?アレですか?ユウさんはヘタレなんですか?上司がどうとかそんな事、そんなもの目の前に酔いつぶれている女がいれば襲わない方がおかしいでしょう!」
唖然としてしまって、俺は何度か口をパクパクとさせてしまう。
何言ってるのか、いっちょんわからんのは俺の方だ。
「登山家の理論か?そこに山があればって…そういう事を言ってるのか?」
「そうですよ!ほら、ココに山があるじゃないですか?特にこの胸辺りには登りがいのある山が!」
胸を張ってそんなことを宣うのはどうかと思うが、確かにその胸には見事な山がそびえ立っている。
なるほど、登山家なら登らない訳にはなるまい。
「登山家ならな!!残念ながら俺は登山家ではない。なんなんだよお前。そんな事言ってるからいつまで経っても処女なんだよ。」
「はぁぁ?!何いいよーと!?私は何時でも処女捨てれるし!捨てんかっただけやし!」
ムキになる所がガキなんだよなぁ。別に処女でも童貞でもどうでもいいじゃねーか。高校生じゃあるまいし。
「んで?その後生大事に守ってきた処女を俺にくれてやるってか?」
「そうそう!だからさ、さっきの話受けない?」
また馬鹿な事を言い出しやがった。そんな馬鹿には白目で答えてやる。
「受けない」
「なぁんでよー!ハニートラップよ?滅多に味わえないでしょ?」
本当にバカだな。普段は仕事の出来る上司なのに、偶にバカになりやがる。仕事は出来るが、人と人の感情とか、機微にかけては全くわかっていない。
俺も人の事は言えたものではないがな。
「折角ここまで守ってきた処女を簡単にくれてやるな。好き合った奴が出来た時にくれてやれば、そりゃあもう感動されるから、とっとけよバカ。それとも仕事が有利に働くなら誰とでもヤル、ビッチ系仕事人なのかお前は?」
楓は少し驚いた表情になり、何かを疑うように俺の事を覗き込んでくる。しばらく見つめあっていると、目を閉じ唇を突き出してきた。
正直な所俺は、ゴクリと息を飲み込んでしまった。キスをしたいと思ってしまったが、楓は上司と自分に言い聞かせて暫し耐えていると、楓の唇がどんどん突き出されていき、所謂タコのような唇になり、漸く我に返った。
我に返れば冷静なものだ。
俺は先程自分の為に入れたインスタントコーヒーのカップを楓の唇に押し付けた。
「あっつぅー!!なんしよーと!!乙女の唇に!」
「はぁ〜、お前って奴は。自分を安売りするなとかバカな事は言わないがな、俺に売るのは余りにも安売りしすぎだ」
唇を両手で抑えながら、ジトっとした目で俺を見ながら、楓は溜息をついた。
「別に安売りするつもりなんかないですよ。それに仕事の利益の為に身体を使うつもりもありません。今回はなんと言うか、一石二鳥というか…」
「…何言ってんだよ。一石二鳥?」
「はい。流石に分かってるでしょ?私、ユウさんの事好きなんです。それと移動もさせたいし、まぁ丁度いいかと思ってですね?ほら、お互いにいい思い出来る訳だし、どうですか?」
俺は先日届いた通販のダンボール箱の底に轢いてある、薄いダンボールを取り出し、山折り谷折りで折っていく。
「ちょっとユウさん。聞いてます?」
そんな事を言いながら唇を尖らせている楓の頭に向かって、今作ったばかりのハリセンを思い切り振り被った。
「雰囲気作り!!」
スパーン!!という子気味良い音を立てて、突っ込みと同時に振り抜いたハリセンを見て、満足した俺は、晴れやかな気持ちで何度か頷いた。
「いったぁー!さっきから扱いが酷い!何満足気な顔になっとーと!」
今度は頭を両手で抑えながら、涙ながらに訴えてきた。何が不満なんだ。渾身の一撃ならぬ、懇親の一撃をお見舞いしてやったというのに。
「いや、なんて言うか、いい仕事したなって気分になった。すっかり酔いも覚めたし、お前もコーヒー飲むか?」
不服そうな顔で頭を抑えながら、それでも「いただきます」と言う楓を背にして、コーヒーを入れてやることにする。
キッチンに向っていると、背後で「フフっ」と言う笑い声が聞こえて、俺も少しだけ笑ってしまった。
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