第一章 Stalkers

第2話 泥酔する年下の女上司

 あぁ、なんでこんな事に…


 テーブルの上には大量に並べられたビールの空き缶がある。これだけ飲めばいくらなんでも酔っ払うのは当たり前だ。


 基本、俺は飲むと眠くなるのだが、眠れない訳が目の前にある。

 テーブルを挟んで向かいに、あられも無い姿の女性が先に眠っているからだ。


「ちょっ!起きろ楓!…はぁ」


「…んう?あ、ユウさん。おはようございましゅ」


 職場の年下の上司、佐伯さえき かえでは目を開ける事もなく返事をする。

 完全に酔っ払いの様相を呈しているこの女は、何故にこんなにも無防備なのだろうか。男と二人で飲んで、こんな姿を晒す事で何かあると思わないのだろうか。

 更にいえば、飲んでいる場所は俺の家。付き合っている訳でもない男の家だぞ?


「て言うかさぁ…流石に上司に手は出せねえわ」


 スカートが捲り上がり、もう少しで神秘的な布製品が除きそうになっているのを横目に、ベッドまで行って毛布を取り、楓にそっとかけてやる。

 寝苦しいのか眉間に皺が寄り、心做しか瞼がピクピクと痙攣している。


「油断し過ぎだ。パンツ見えそうじゃねえかよ。まぁ俺の事を男として意識していないってのはわかってたが」


 もぞもぞと、かけられた毛布に顔まで埋まり、丸くなっていく。


「さて、ちゃちゃっと片付けして俺も寝るか」


 テーブルの上にある空き缶を集めていると、先程テーブルの上に叩きつけられた一通の資料が目に入った。


「そんな気はねえってのに。なんだって…」


 先程はあまり良く内容を確認していなかったが、サッと目を通すと雇用条件が書かれている。楓が言っていた通りだ。

 親会社へ移動してみないかと言う旨の話をされ、それを丁重にお断りした。

 楓はそれを怒っているのだ。バカだとか、もう少し欲を持てだとか、そんな事を言いながらあっという間に泥酔してしまった。


 確かに条件は今より全然良いし、言ってみれば出世のようなものだ。だけど、俺は出世なんかする気もないし、人の面倒を見るなんて事は出来ない。他人のやらかした面倒事の責任をとらなければならない、役職者という地位には、全くつきたいと思わない。問題事があるなら、自分で片付けないといけないと思うし、人の面倒事を俺に押し付けられるなんて真っ平御免だ。


 とはいえ、俺は凡人である。一人で生きていけるような仕事が出来る訳もなく、何処かに雇われて細々と生きていくのがお似合いだ。俺はそれでいい。


「はぁ、めんどくさい」


 楓はそんな俺のことが気に入らないらしく、こうやって何度もその類の話をしてくる。


 昨年、職場が今の親会社に買い取られ、その時に入ってきた楓の最初の教育をしたのは俺だ。

 嫌だと言ったのだが、三ヶ月だけの教育係だと言うので、渋々ながら請け負った。楓は真面目に仕事をこなし、俺に迷惑をかけることもなく、無事に三ヶ月を過ごし俺の手を離れたが、それからも何かと絡んでくる。


「俺なんかに構ってないで、もう少し女らしさを持って、いい男でも捕まえろよ」


 入社して二日目に、仕事の邪魔になると言って、長かった髪をショートにして来た時には驚いたが、自分で自分の姿に頓着していないその容姿は一般的に見て可愛らしいと思う。


 身長は低めだが幼い感じではなく、その小さい身体は大人の女性らしさをギュッと凝縮したようなスタイル。出る所は出て、引っ込む所はひっこんでいる。少しキツめに見える目は、焦げ茶色の瞳にわかり易い感情を浮かべることでキツい印象はない。


「俺じゃなかったら襲われてるぞ?バカたれ」


 片付けを終え、インスタントコーヒーを入れてテーブルの前に座り、取り敢えず一服する。

 未だテーブルの向こう側で丸まっている楓をジトっとした目で眺めながら、紫煙を燻らした。二十四時間付けっぱなしの換気扇の音とエアコンの音が室内に響く中、どうしたものかと思案を巡らす。


「起こすべきか、泊まらせて良いものか…」


 布ずれの音をさせて体制を変える楓を見ながら、まぁいいかと、このまま眠らせてやろうと思う。


 俺は一人になると気が抜けてしまうから、口調が少しばかり崩れてしまう。


「めんどくさかぁ〜。別に手も出さんし、こんままでよかろ?…しかし以外と黒とか履くっちゃね」


 そう呟いた途端、毛布にくるまっていた楓がムクリと起き上がり、真っ赤な顔をしてこちらを見る。その顔は羞恥で赤くなっているのか、酒で赤くなっているのか、判別はつかない。


「起きてたのかよ」


「見えた?!」


「お前はバカか?そんなあられも無い格好で無防備に寝てた癖に、パンツの1枚や2枚見られてもしゃあないだろ?見えたって言うより、見た。襲わなかっただけでも感謝しろよ?」


「待って待って!パンツ見られた上に感謝しないといけないの?!」


「当たり前だろ。普通の男だったら、誘われてるって思われて襲われてもしょうがないぞ?俺はお前がそんな事思ってないってわかってるからそうしなかったけど、それを教える報酬代わりだ。じっくりとは見てないから安心しろ」


 楓は口を引き結び、目を大きく開いてプルプルと震えている。

 次第に眉間に皺がより、眉がつり上がって叫んだ。


「なん言いよーとかいっちょんわからん!!」


 あぁ、そういえばこいつも同郷だったな。






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