見えるは青空⑧

 ラピスがこの街に来て今日で一週間が経つ。あのテストの日以来様子を見ているが、日に日に言語能力などの数値が上昇していると毎日定期検診を担当しているシャミアから伝えられた。

 俺も詳しくは知らないのだけど、ヘルメットみたいのを被って、簡単な文章を読ませるらしい。その文章の難度を少しずつ上げていって、結果を数値して、さらにそのヘルメットで計測した脳波を解析しているとかどうとか。

 

dドーク値も変化無し……『無垢』ってのは本当に……」


 人間なのか?


 かつて俺にこう言った人がいる。

「『無垢』は人形だ。血の入っただけのぬいぐるみだ。人に作られたモノを壊すのならば、簡単だろう?」


 『無垢』は人形。その通りだ。人によって作られ、人のために殺される操り人形マリオネット。知識の中から必要なものだけを解放され、命令とその知識に合致する情報という名の糸で操られているのだから。


「『無垢』には自我があり、一人で生きていくだけの知識もある。『無垢』は本当に……」


 人間なのか?


 かつて俺にこう言った人も居る。

「『無垢』は人間そのものだ。理想的と言ってもいい。神は二人の人間を作り上げた。神に従い、その通りに生きる。その人間は知恵の木の実を食べ追放されたが、『無垢』はその必要すらない。神という名の自らの製作者、言わば絶対的存在に従順であることが人間の本懐さ。イレギュラーは必要無いのだから」


 人間は動物から進化したが、「運命」と称される不確定要素は視認どころかどんな方法でも観測出来ない。全ての事柄に「そうなる運命」と付けばそれで説明が出来てしまう。

 ラピスは既に知識を身につけている。製作者がそうしたのだから。その人の言に従えば、俺らがラピスにしていることは知恵の木の実を与えることと同意義だ。つまりラピスはイレギュラー、人間では無いことになる。

 

 これで人間では無い、と二つの否定が揃った。だが、同じく人間であると肯定するものもある。一つは遺伝子学的な意味合いでの人間の証明。もう一つは彼女が人間として言葉を話し、自らの意思で生きているという精神的な証明。


 人が作ったものならばそれは人間では無いのか。

 神が作りし人間だが、その意にそぐわないイレギュラーが起きたのならばそれは人間では無いのか。

 身体を構成するのが人間の素材であり、そのヒトの形をしているから人間なのか。

 言葉を話し、自ら選択し生きているから人間なのか。


 もし彼女が人間でないのならば、俺はただ製作者の人形を壊しただけのただの人間だ。

 もし彼女が人間ならば俺は意思持ち、生きる人を殺した虐殺者だ。


 いずれ、決着をつけなきゃいけない問題化ではあった。

 今までの俺は前者で割り切ることが出来ていただろう。たとえ、意識的に『無垢』は人間だと思い、話していても奥底では人形と思っていた。

 でもラピスと出会い、中身を見てしまった今は……割り切れない。


 俺は───



「ねぇ」


 後ろを振り向くと、何やらピチピチのスーツに身を包んだラピスの姿があった。うん。どことは言わないけど崖だ。見事なまでに崖だ。


「セレンから伝言。『調整して』」


 なるほど、アシストスーツを着せてみたのか。


 俺はさっきまでの思考を脇に、目の前のスーツの問題に向き合う。

 後から思えば、これは良い気分転換だったのかもしれない。


「よし、ラピス。まずはその場で足踏みをしてみてくれ。普通に歩くようにな」


 ラピスはこくりと頷き、足踏みを始める。

 俺は手元の端末とスーツのナノコンピュータをその間に同期させ、数値の変移を確認する。


「……止まってくれ。次はこの部屋の中を普通に歩いてくれ。間違っても走っちゃダメだぞ」

「わかった」


 端末の数値が少しだけ変化する。これは重心の移動による変化だったはず。そうそう、この前使ってた端末は地図が狂ってたけど街に戻ってきてみたらいつの間にか治ってたからあのまま使ってる。ポンコツのクセに丈夫なやつだ。


 今ラピスにやらせているのはスーツのナノコンピュータに彼女の動作を大まかに記憶させる作業だ。調整と言っていたからもう既に関節の可動範囲とかそう言うのは記憶されてるはずだから後は歩く、走るなどの動作を繰り返してコンピュータにデータを蓄積させるだけだ。これによって安定して走れたり、怪我をする確率がいくらか減る。後は銃の反動が少し体感的に軽減されたりなんて言う効果もある。


 ピピッ


「これでよし。ラピス、そのまま歩き続けてくれ。感覚が変わったら教えて欲しい」


 端末の画面に変化はない。さっきの電子音は動作の記憶が完了した合図だ。後は彼女が違和感を感じた部分を調整していく。


「………左足が遅れてる?」

「左足だな?ここの値を……っと。これでどうだ?」


 ラピスがまた部屋の中を歩き回る。

 今俺がやったのは左足が遅れていたそうだからそこの反応する速度を少し上げた。意味合いとしては人の歩き方にはクセがある。普通に歩いているように見えても、実は左右で速度が違ったりなんてのがままある。スーツには最低限歩くという動作が記憶されているが、それをアップデートするのが今やっている事だ。でも多少の誤差はあるからそこを調整しなきゃいけない……と、結構めんどくさい。

 でもこれをやらないと歩くだけで骨折することもあるからな。


「ん。無くなった」

「じゃあ次は軽く走ってみてくれ」


 さすがに狭い部屋だから走るのはこれが限界かな。


「大丈夫」

「よし、ここからは外でやろう」

「外?」

「さすがに狭いからな。大通りでやればいいだろ」


 そう言って俺はラピスを促す。

 この街の俺らが住んでる建物は大通りに面してるから玄関から出ればすぐに喧騒だ。相変わらずの曇天だが、気温も涼しげで過ごしやすいからな。ちょうどいい。


「次は向こうからここまで全力で走ってきてみてくれ」


 俺は目立つ建物を指さして指示をする。だいたい百メートルくらいか。今は人通りも少ないからすぐに終わらせよう。


「わかった」


 そう言ってラピスはその建物の前まで走り、こちらに手を振ってくる。俺も手を振り返すと、彼女はいきなり全力疾走である。

 別に端末とかで記憶させる必要は無いから問題ないのだけど……


「はぁ……はぁ……」

「まあ、いっか。で、どうだ?なんか違和感とかはあるか?」


 全力で走ったからか少し息を切らしているラピスに一応、調子を聞いておく。


「無い。大丈夫」

「じゃあこれで調整は完了だ。ラピスは今日はどうするんだ?」

「今日?今日は───」



 ウー!ウー!ウー!


『!?』


 おいおいおい……


「マジかよ」


 突如街にサイレンが響く。いつもの喧騒を切り裂いたそれは……シンプルにが迫っている証拠である。


「おい、フェイト!」

「?……ゲイン!何があった!?」

「まだ詳しいことはなんにもだ!ただ、要塞フォートに仕掛けてたカメラで大まかにはわかる!」


 今走ってきたこいつはゲイン。ある意味でこの街を中心として要塞フォートを含めた一帯について最も詳しい男である。この街に来た初期から世話になっている情報屋であり、仕事の斡旋屋でもある。


「とりあえず、何があった?」

「根本的な原因は連中……企業だ」


 その場にいて、俺らの会話に耳をそばだてていた傭兵共も苦い顔になる。確か今あそこに行っているのはH.S.Tホールス・サイエンス・テクノロジーだったか。


 ちっ、連中……何をやらかした?


「簡単な時系列順に話してくが、昨日の夜から企業共は要塞フォートに侵攻を始めた。機械の移動の時間を避けて連中も動いたんだ。戦術機と歩兵部隊なんかを使ってだ。そこから明け方まで掛けて要塞フォートまで進撃した。そっからしばらく進撃をしたんだが、問題はそこからだ……」


 ゲインはそこから先をまるで言いたくはないように見える。本当に何をやらかした?

 ヤケになったのか、ゲインはそこからを叫ぶように話す。


「あいつら……」

「ん?」

「あいつら、先にマザーを殺りやがった!」

『っ!?』


 ……うっそだろ。

 その瞬間、周囲にいた傭兵たちが全員慌ただしくなる。だがそれも無理もない……


 クソッタレ!!


「ラピス、今すぐにセレンとシャミアに連絡。アシの用意だ。あとラピス自身の持ち物を纏めとけ。こっから忙しくなるぞ。──ゲイン、それ……マジなんだな?」

「ああ。嫌な予感がしてずっとカメラで監視してたからな!最初はまともだと思っちゃいたがとんだ間違いだ!あいつら、要塞の作法を何一つわかっちゃいねえ。どうせ内地でのんびりやってる老人共が命令したんだろうよ。連中は機械をみんな一緒だと思ってやがる節がある。本当に要塞を支配してるのはマザーだからな!」

「クソッ……よりにもよってマザーを先に殺すとはな。連中なんでこんな辺鄙な場所に戦術機小隊持ってきたのか疑問だったが、真っ先にマザーを殺すためか。───ゲイン、ハズバンドは?」

「………暴走状態だ。雑兵級とタンク級は確認出来た。あとはわからない」

「マザーを舐めた結果か……この街は一時的に放棄せざるを得ないか」

「ああ。幸い、シャミアの嬢ちゃんがこの街の全員に連絡をくれたおかげである程度は早めに脱出が出来そうだぜ」


 いつの間にか居たジェイ瘤もそう言う。


「よし……ジェイ瘤、ゲイン、世話になったな。機会がありゃ、また会おうぜ」

「おうよ。そんときゃ、酒をしこたま奢って貰うぜ」

「厳しい仕事斡旋してやんよ。だから、生き延びろよ」

「言ってろ。……俺は、北東に向かうつもりだ。何かあれば来い。本拠地はここじゃなくて本当はそっちだからな」

「わーった。なんかありゃ頼らせてもらうぜ。でも俺は所属が西の方だからな。しばらく会えないわな」

「俺はかなり自由に動いてっからあんまり気にしたことはねえが……北にでも行ってみるかね」

「よし、ある程度の場所はわかったから連絡は取れそうだな」

「おう。よし、そろそろ他の連中も準備出来てるだろ。俺は行くぜ」

「俺もそろそろ行くさ」


 そう言って、二人はその場から去っていく。その間も機械はこの街の方へと近づいて来ているのだろう。

 よし、生き延びるか。




「セレン!」

「ラピス!良かった。フェイトは?」

「ジェイ瘤と居た。あとシャミアも呼べって」

「内容は分かってるわ。フィオナ、車は!?」

「いつでも出せるよ。あとは食糧とかを積み込めば良い。機材は残念だけど……」

「多分このまま本拠点に向かうんだからそっちには全部揃ってるんでしょ」

「バックアップも送ってあるからなんの問題も無いけど……慣れてしまったからね。ここの機材に」

「それは分かるわ」


 こうして話している間も手は動かしている。今は倉庫にあった武器弾薬を運び出しているところね。脳筋組は食糧を運んでるわね。


「ラピス、あなたの着てるスーツは身体能力をある程度補助してくれるわ。だいたい……二十キロ程度の物までなら持てるはずよ。脳筋組を手伝ってきて。装甲車の場所はわかる?」

「大丈夫。教えてもらった」


 さて、早いところこの荷物を纏めないとね。

 私の目の前には大量の機材が鎮座していた。これら全てこの街で揃えたものだからこれだけは持っていくことが決定している。箱詰めするにも順番間違えると配線が絡まって取り出せなくなるから私一人でやらなきゃいけないのよね……


「まずは小物から片付けましょうかね……」


 分厚い紙で作られた箱にハンダゴテやピンセット、ペンチなど細かなものが入った箱をいくつか入れていく。それぞれ袋だったり小箱だったりに纏めてあるからあとは箱に入れるだけ。普段の私を褒めたいわね。

 小物が終わったら次は中くらいのもの。これは主に工具だったり、電気系統の物が含まれるわ。これは箱を別にしないと入り切らないわね。


「はぁ……間に合うかしら」


 私は少し大きめの機材を抱えて、ため息をつくのだった。




「お、ラピスか。ちょうどいい、手伝ってくれ」


 地下の食料庫に現れたラピスにちょうど大量のパック食品の入った箱を運んで居たジョシュアが声をかける。


「セレンから手伝ってきてって」

「お、ならば奥の食料庫に残っている野菜とかのパックが入っている箱をこっちに持ってきてくれ。いつもの入口とは反対側に装甲車が止まってるガレージがあるからな。場所は知ってるだろ?」

「うん。入ったことは無いけど」

「じゃあ初めてって訳だ。じゃあ頼むぜ」


 私は指示通りに奥の部屋、食料庫になっている部屋から野菜の入った箱を探す。

 ……でも、どれだろう?前に見た時はたくさんの箱があったけど今は五つしかない。どれが野菜の入った箱なのかわからないけど、これって開けていいのかな。でもなんか帯状の何かで封されてるし……


「むむむ……」


 箱の表面には何か書いてあるけど……読めない。なんだろう、多分中身のことを表してると思うんだけど。


「あれ、ラピスどうした?全然来ないから気になってたんだが」

「これ、どれがどれなの?」

「あっ、悪い悪い。てっきりもう教えたもんだと思ってたわ。えーっと、これが野菜だ。で、こっちが肉とかになる。そんでこっちがパンとか。ここに書いてあるのが極東の方の文字なの忘れてたわ」

「極東?」

「ずっと東の土地さ。移動の間に教えてやるよ。さ、早くしないと脱出が間に合わなくなる」

「……?わかった」


 脱出?さっきフェイトが焦っていたのと何かあるのだろう?それになんかみんな様子がおかしい。何が起きているの?

 でも、怖くはない。

 みんなといれば平気だから。

 私は野菜と書かれた箱を抱えてガレージの方のジョシュアの元へと向かうのだった。

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