第18話 ロック

 ダン。

 激しい燃焼の余韻。

 一回目に溜まった熱のせいではない、二回目の発したエネルギーだ。

 私の一部、いや全部が歌に乗る、そう言う歌唱が出来た。今の私に出来る全てだ。

 燃え上がったものが落ち着くのを待つような静寂を、破る声。

「これがロックです」

 ポチが宣言する。もしかしたら誰よりもロックな男はポチなのかも知れない。

 凛はじっとポチを見る。弾き終えたそのままのポーズをしている。

「どう、でしたか?」

 先に答えを聞いているのに訊く。ポチがベースのネックをクイッと引き上げる。

「鳥肌が立ちました。魂が乗っている声と言うのは、全然違います。凛さんも、感じたでしょう?」

 凛は視線をポチから離さないまま、薄く頷く。

「はい。曲が生き物になりました」

「ロックのヴォーカルは、常にライヴではそれをしなくてはなりません。出来ますね?」

 ピッ、と緊張が走る。ああ、でも、やってみせる。

「やります。技巧より、中心に魂を持って来ます」

 ポチは満足そうに頷いた。

「ゲンさんはどう思いますか?」

「七半、あるよ。俺は君をヴォーカルに迎えて、よかったと心底思ってる」

「桃子さんはどうですか?」

 そうだねぇ、桃子はスティックをスネアの上に置く。優しいカタンと言う音。

「魂が乗っていると言うのは必須って感じた。それはいい。それはいいんだけど、気持ちを乗せている間の歌の技巧が、ちょっとおざなりになっている場所もあったと思うの」

「どっちが優先、なんでしょうか」

「両方よ。やり方は簡単で困難。例えば最初に『歌姫』を歌ったときは技術が今よりずっと低かったじゃない」

 凛は頷く。

「でも魂で上乗せされていた。今日は技術がかなり上がって、でも魂を込めたときにはそれが少し下がった。でもポイントとしては、初日のときより技術が落ちた訳では決してない」

 ピンと来る。

「分かりました。予め蓄えられる技術を無限に高めておけば、魂を乗せることで低下する分を補える。そうすれば技巧と魂の両立が出来る、と言う訳ですね」

 桃子はゆっくりと微笑む。

「その通り。私達が楽器を弾くときのやり方は、基本的にそうなの。技術がしっかりしていれば、そこに感情を乗せてもちゃんとした演奏になるの」

 三人共、それをして、今の演奏に至っているのだ。だから、技術的なところをどうこう言うのではなくて、演奏の雰囲気や感じとかでやり取りが可能になっているのだ。私はみんなとスタートラインがかなり違った、みんなが当然やっていることを、知らずにいた。でも、やっていたことは正しい道だ。だから、みんな何も言わなかったのだ。

「さっきも言ったように、魂があって初めてロックです。それは私達も同じですが、バンドの顔でありメインの魂担当は、やはり凛さん、あなたなんです」

 ポチの言葉をゲンが引き継ぐ。

「俺達が、君を選んだ理由は、声の感じがいいとか、根性があるとか、歌がどんどん上手くなるとか、色々あるけど、最後の決め手は、魂のある歌を歌うからなんだ」

 桃子が続ける。

「だから、一回目のときにポチがちょっとキツかったの、許してね。普段は吠えたりしない子なのよ」

「全然気にしてません。いや、違う。ものすごい気にして、それによって私はもう生まれ変わりました。それが二回目の歌です。納得して、頂けましたよね?」

 一同、「もちろん」と声を揃える。

 大きく息を吸って、凛がマイクに吠える。

「私はロックバンド『ファイヤーバタフライ』のヴォーカル、凛です!」

「ギターのゲンです」

「ベースのポチです」

「ドラムの桃子、次は、『定義』行ってみよう!」

 間髪入れずにゲンが始める。

 ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャ。

 構成を変えて来た。この曲が「届け」だったときはベースがここに入っていた。つまり、ゲンとポチの二人、ないし桃子を含む三人で合わせたことがあると言うことになる。二人だったらそれはいいけど、三人だったら呼んで欲しかったな。いや、練習は練習だ。歌を入れる前に合わせたいと言うのは普通の欲求だ。

 刻み続けるギターの和音が少し不安定なのに、連続と言う形を取ることで転びかけたら次の足が出るように、推進力となっている。

 ギターはそのままに、ドラムが優しく支えるように入って来る。

 でもこれではいつ入ればいいか分からない。元の演奏ではベースラインが塊になっていて、それが二回巡ったらAメロだった。

 ポチを見ると、まだ弾かなそう。でも、目配せをして来る。

 よく分からない。首を傾げて見せる。

 すると、手を広げて、五本の指で、それをリズムに合わせて振る。五本だった指が、あるタイミングで、四、三、二、ここまで来たら意図は分かる。一。


『世界は、みな、誰かの定義で組まれてる

 言葉、物、数字、ポケットの中まで

 遥か昔、始まったそれは、昨日も今日も

 いつまでも増える、埋め尽くしてゆく


 遠くに君を見つけた

 その姿の描写さえも、決められた言葉の中から出られない』


 Aメロに入った途端にポチがパワーを見せた。と言ってもやっていることは刻みだし、音がブリブリ変わる訳でもない。なのに、コードの響きがあるギターと対等な音を出していた。そのことによって、まるで三角の筒を三人が作ったように感じた。それを受けて私の声が、歌う。

 それはサイケデリックなうねりを生んで、「数学的な世界観の中に、想いと恋と言う生の『私』の定義を通す」と言う共有されているイメージに新たな解釈を与える。しかし、このままだとイメージの前半で全てになってしまう。そのままBメロに入る。空間は変わらない。

 いや、焦るな。三人を信じろ。


『だけど』


 私以外がブレイクした。溢れた世界が自分の放った三文字で、吸い込まれる。クラッシュの音、新しい始まり。


『この胸の気持ちは、他の誰にも決められない

 この僕の気持ちを、僕が、恋と、定義する』


 テンポは無論変わっていない。キーも同じだ。なのに、切り拓く音に全てがなる。仕組みが分からない。でも、音が違う。空が抜けているのが分かる。

 小さなブレイクがあって、すぐにまたAメロ、Bメロ、サビの構成。二回目はBメロからサビの間にブレイクではなくギターのグチュグチュってのがあってだったが、やはり極彩色の数学から真っ直ぐな空に曲の印象が切り替わった。この曲は間奏がなくて、サビも繰り返さないで後奏に入り、そこは空の方の音で駆け抜ける。

 最後にまたギターがジャジャジャジャとやるのだが、最初と全然違う。

 ジャジャジャジャッ。

 曲が終わる。やはり楽器だけで合わせはやっている。仲間外れとかじゃない、必要なんだ。

 そう思っている内に桃子の声が掛かる。

「次は『ミトコンドリア』」

 元「指」、リフが何より特徴的で、その反復が意味で、そして通底しているもので。つまり、リフをするギターが主人公の曲だ。だからと言って歌がおまけだなんてことはない。今回はリフは変えていないが、よりエッジが効いた印象を受ける。逆にベースは元のときよりも大人しくなっている。ドラムも同じだ。二人でギターを支えている感じ。だから私はその編隊にふわりと乗っかるように歌う。


「よし、そろそろ時間だね。撤収準備しよう」

 三時間以上演奏をし続けた私達は汗だくで、風邪を引かないように男女が反対を向いて着替える。タオルで拭ったら絞れそうなくらい。凛は元々運動部だったので汗対策は心得ているから違和感なく体を出して拭いて、ちょっと待ってもう一回拭いて、新しいシャツを着る。

「凛、終わりました」

「私も終わったよ」

「男二人も完了です」

 何となく、ふう、と息をついて、機材を片付ける。

 Cスタジオを出て、凛は道場にそうするようにスタジオに一礼して出口に向かう。

 遥か昔の今朝集合した喫茶店にもう一度入る。

「凛ちゃん疲れてない?」

 ゲンが俺もだよと言う雰囲気で訊いて来る。

「めちゃくちゃ疲れてます。お腹も空いたし」

「だよね。おやつの時間にしよう」

 桃子もポチも賛成と言い、それぞれに頼む。全員がスィーツではなくてサンドイッチやベーグルなどのガッツリしたものを注文した。

「さて、おまんまが来る前に、総評って言うのかな、しようか。まずは、ポチから」

「そうですね。最初の凛さんの魂のない歌の後は、ロックな歌ですごくよかったと思います。技術云々は私は歌についてはあまり関係なくて、届く歌と言うのは魂の乗っている歌だと思っています。曲のアレンジはかなり良かったと思います。練習中にされた修正でほぼ問題ないレベルに達していると思います。それは歌詞もそうです」

 うん、と頷く桃子。

「じゃあ、次はゲン」

「良かったと思う。想定していたずっと先のレベルまで行ってる。ライヴをもうしてもいいと思う」

 ライヴと言う単語が出て、凛は半分キラキラして半分圧力を感じる。

「凛ちゃんは」

「曲はすっごく良かったです。歌も最初以外は結構良かったと思ってるんですけど、何とも。私から見たら、もう完成しているんじゃないかって思いました」

「そう。じゃあ、最後に私だけど、まず全体のレベルは『まりも』とは別次元になったと思う。演奏技術が一朝一夕で伸びる訳はなくて、イメージの共有とか工夫とかそう言うものとかが産んだものなんだと思う。次に歌」

 期待に首を伸ばそうか、不安に首を縮ませようか、迷ったら首はそのままだった。

「歌は、最初以外は、私的には百点満点だよ。ゲンが七半とか言っていたけど、そして技術がどうこうって私も言ったけど、それを凌ぐ力があった。ポチの言うロックな歌なんだね。きっと声質も良くて、私には、最高なんだ。技術って意味ではまだまだ伸びしろはあるのは分かるんだけど、そしてそれはやって欲しいんだけど、じゃあそれを待たなくちゃ外に出せないかって言うと、そんなことはない。私は、早くライヴをやりたい」

 食事が来る。

 食べながら喋ってもいい筈なのだが、皆黙って食べる。

 いち早く食後になったポチが、待ち切れないといった調子で口を開く。

「私は、今すぐにライヴをするのは反対です」

「どうして?」

 桃子。

「今やっている曲はいいと思います。でも新曲がまだ未完成です。これらをモノにしてから、臨むべきではないでしょうか」

「私もそれに賛成です。ファイヤーバタフライとしての新たに生み出したものがないと、いけないような気がするんです」

 凛の援護射撃に、ポチがパチクリとする。それは内容に対してではなく、場に切り込んだ凛の行動に対してだ。

「でもさ、凛ちゃんに早く場数を踏ませたいじゃん。絶対に何皮も剥けると思う」

 ゲンは早く演りたいが止まらない。

「それも一理ありますが、バンドとしてのオリジナルが必要だと思います。と言っても、もう三つの歌詞に曲が付いていて、今日練習したじゃないですか。今日出た直しをやって、を二回くらい繰り返せばきっと実戦投入レベルになると思いますよ」

「『君さえ』『angel hunt』『コンタクト』」

 桃子が新曲の名前を並べる。

「『君さえ』と『angel hunt』はゲンの、『コンタクト』はポチの作曲がいいと思う」

 凛がそれに続く。

「私もそう思います」

「俺もそうだな」

 ゲン。最後にポチ。

「同じです」

 その全てを受け止めて、桃子は優しく微笑む。

「さっきはライヴしたいって言ったけど、やっぱり、この子らを完成させることが、ライヴに先立つこととして必要だと思うし、その上でするライヴはきっとものすごいことになる」

 ポチと凛は深く頷く。ゲンは。

「うん。そうだね。分かった。そうしよう」

 特にしゅんとすることもなく、受け入れた様子だ。

「ライヴと言うことですのでちょっと二点相談があります、いいですか?」

 凛が手を挙げるその手の先をポチがじっと見る。何も付いてないよ。

「一つが、旧題『風の如く』なんですけど、ちょっと他の曲と比べて相当にレベル感が違って、演奏するリストから外した方がいいのではないかと思うんです」

「『風の如く』は私が作曲しました。皆さんがよければ、却下と言うことでいいと思います。私自身も今日演奏していて違和感があったので」

 桃子とゲンも同じ意見だと言うことで、「風の如く」はリストから外すこととなった。

「もう一つが、最初にライヴをするの、あの『駅前広場』がいいなと思うんです。そうでなくても路上ライヴから始めるのがいいなって、憧れみたいなものなんですけど、どうでしょうか?」

 ゲンとポチが顔を見合わせている。

 桃子がくふ、っと笑う。

「最初が路上がいい、って、カッコいいじゃん、凛ちゃん」

 桃子の声には尊敬というよりも、仲間意識のようなものが乗っている。

「俺も、そこから始めるのがいいと思うよ」

「私も同意見です」

 ゲンとポチが相次いで受け入れを表明する。

「私も、同じ意見だよ」

 桃子も。

「それでその後はどうするの?」

「路上で力が付いて来たら、ライヴハウスでやってみたいです」

「うん。いいね。その先は?」

 問われて、何も出ない。凛は、え、と言ったまま凍ってしまう。

「凛ちゃん、その次は、ライヴコンテストに出るんだよ」

「ライヴコンテスト?」

「そう。そこで優勝すればメジャーになったりの道が拓ける。もちろん、プロになるかならないかはまた考えなくちゃいけないんだけど、少なくとも、今よりたくさんの人に私達の音楽を届けるためのツールにはなると思うよ」

 プロになるかならないか、なんて考えたことなかった。でも悪くないかも、プロになるの。

「次のコンテストは十月だから、後四ヶ月。時間的にはだいぶ厳しいと思う。その次のが四月にあって、つまり半年おきにあって、それが本命になるかな。そもそもコンテストに参加出来るレベルまでなっていないと話にもならないけどね」

「なるほど。でも目標としてはいいですね」

 言い終わってから、はたと思い出す。

「あと、もう一つ、ホームページは作らないんですか?」

 桃子は視線で担当者を紹介する。ゲンだ。

「活動を開始するのに合わせて開設するよ。もう元の奴は出来てるよ」

「この前の時に、ファンになってくれた人から、応援に行きたいからホームページないしスケジュールを教えてくれって言われてて、じゃあ、路上ライヴをする一週間以上前に開設して貰ってもいいですか?」

「お安い御用だ」

 食べ物が吸収され始めて、本格的に血が巡って来る。その状態で、総論の後の各論として、今日の演奏と歌について延々と四人は練り続けた。

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