第13話 錬成
血が熱くなり過ぎると、逆に凍ったようになる。
きっと早く目が覚めてしまうだろうと予測して、昨夜、凛は早く寝た。そのときは自分が今日までに成したことの充実感と自信の方が優勢だったので、たとえこの後に評価への不安が襲って来ることが分かっていても眠ることが出来た。いや、不安が立ち上る前に眠りに滑り込んだと言う方が正しい。
思っていた通り、六時には起きた。睡眠時間は十分だし体力も回復している。しかし何故大きなことがある朝は六時にパチっと起きてしまうのだろう。
現実の輪郭が合うまで時間はかからず、凛が凛であることを認識したらすぐに、昨夜、今日に放り投げた不安を胸の内に見付ける。
待ち合わせまで後五時間、共に過ごさなければならないそれを認めて、凛は呟く。
「やることはやった。だからそんなに怯えなくていい」
静かな朝は途端に、幻の喧騒の中に居るようになる。それは凛のこころの音色、悲鳴だ。
凛の一言は、それまで脇に在った不安を、中心に持って来る行為だった。横目で見るだけだったものを直視してしまった。引き金を引かれた弾丸のように思考が走り始める。
もし。もしだよ。私の作った歌詞がどれもダメで、桃子さんにもゲンさんにもポチさんにも、「クズ歌だね」とか言われたら。いや、言われる訳がない。私の作ったもの達は完璧と言えるかは分からないけど、私一人で到達出来る限界までは、今のところのは、来ている。
だから、その私の限界と言うのが、彼等の要求の最低限を下回っていると言う可能性がない訳じゃない。
そしたら、またがんばればいいじゃん。そうだよ、だって結果は結果でしょ? そしてそこで終わりな訳はないでしょ?
恐いのは、だからもう「お前は要らない」って言われるんじゃないかって。
そんなこと言う相手なら、こっちから願い下げで、本物の仲間を探そう。今の私の作品は私を色濃く反映している。もし合わないのなら、「クミン」と私が合わないのと同じで、永久に合わない。
そうだね。確かに、辞めた先のことは考えられる。でも、そのときに傷ついたプライドはどうすればいいの?
傷つくしかない。それ以上も以下もない。傷つくしかない。
一番恐いのは拒絶よりもプライドなのかな。でも、そんなのは乗り越えられる。そうだ。分かった。私、みんなとバンドが出来なくなることが怖いんだ。
「私の中ではもう、仲間なんだ」
血が熱くなる。メッシュがその熱で紅く光っている気がする。
でも駄々をこねても居させてはくれない。私は私の実力を示さなくてはいけない。それが桃子さんの言う「限界に挑戦」であり、これは二回目の試練、バンドに入るための試験でもあるんだ。
既に手に入ったと思ったバンドが、まだ実は確定していなかった。それに今気付く。
何としても、自分を認めさせて、バンドに加入を決めたい。
凛の胸の内はグルグルと回り、こころはメラメラと滾る。胸とこころの二重奏は、消耗する。しかし凛はそのことにまだ気付いていない。
居ても立っても居られなくなり、準備をしたらカラオケに行く。二十四時間営業が早朝に効く。
最早馴染みの店だが、知らない店員さんだった。
部屋に入れば、自分のノートパソコンを立ち上げ、音のoutputからカラオケのマイクの入力端子を繋ぐ。今は出来ない店もあるがこの店はそれが出来るので、そこのスピーカーを使ってオリジナルカラオケを流すことが出来る。
凛はC Dの状態だとやり難いから、全ての曲をコンピューターに取り込んでいて、それで何がいいかと言うと、曲のタイトルを自分が付けたものに変えられるのだ。
「『mother』」
凛はその歌から始めた。
歌を歌っている間は、その世界に入り込むことが出来た。しかし、次の曲を決めるまでの隙間に、不安の胸と燃えるこころの両方が戻って来る。曲と間隙の往復でパンパン変わる自分のモードにも、疲弊して来る。
いずれ、熱く滾っていた血が、氷のように凍て付く。驚いたが、だからと言って歌のパフォーマンスが変わる訳ではないので無視する。
時間までもう少し。昼食は食べて集合だから、あと一曲だ。
「『Hello Mad』」
もともと「もぐら」だったその歌を力の限り歌う。バンドの過去の最高傑作を私色に塗り替える、それを極限まで輝かせて、私こそが歌姫と言わせる。
家に素早く戻り、汗だくの体をシャワーで流す。ブローが決め手の髪型だから、そこだけはしっかりする。マックで昼ごはんを食べて、いざ。
心臓が高鳴る。凍っていた血がまた熱を持ち始める。不安なのか何なのか、自分と歌の間を回し過ぎて何だかよく分からない、だけど、どうあったとしても掴み取る、そう言う覚悟が決まったようで、まるで今朝起きたときの空気のように静かに澄んでいる。
集合の喫茶店の前にはポチが立っていた。入ればいいのに何でだろうと思いながら手を振る。
「ポチさん。こんにちは」
「あ、お!? いいですね、髪型」
「気合を込めました」
「覚悟も感じます」
笑い合うが、ポチは表情が硬い。私も硬いと思う。中に入る。
「何で外に立ってたんですか?」
「一人で四人席を主張するのが苦手でして」
言うことは言うイメージだったので、妙なところで腰が引けてるのがおかしかった。私が少し和んだ。
「私がしっかり主張しますね」
「よろしくお願いします」
しかしその必要はなかった。二人のやり取りが聞こえたのか、奥のボックスシートからゲンがひょっこりと顔を出して手を振る。と言うことはポチは素直に入っておけばよかった訳だけど、約束の時間まで十分もあるし、きっと丁度になったら入るつもりだったのだろう。
「いいね、髪」
「私も好きだな」
席に着くとゲンと桃子が口々に褒めてくれる。そして説明しなくてもその意味を汲み取ってくれる。
「バンドに全てを懸ける、気概を感じる」
ゲンが嬉しそうな顔をする。桃子も納得の最中と言った具合。
「その通りです」
また一つ、自分の覚悟がこの世に保存された。そしてこれは同時に自分の内側の覚悟も強めるのだ。外に置いた分減るのではなくて、増える。作用反作用とは違う、ちょっと物理で説明の出来ない現象。
桃子はいつも通りだが、やはりゲンも硬い。桃子以外の三人は、硬さの上で滑るように笑ったり言葉を言ったりしている。
凛とポチが着席してから、少しの間があった。誰もが言葉を探しているような、言葉を待っているような。探り合いのような。
桃子が切り出す。
「さて、前回から今回までの間、どうだったかな?」
余計な雑談から始まらないのが、気持ちいい。
「俺は二曲書いたよ。後、前回のときに指摘されたところは全部直した。とは言ってもまだ完成とは言い切れないから、一緒に練って欲しい」
ゲンの仕事量が私のタスクと同じくらいだったことを今知った。彼も桃子に「限界に挑戦」を要求されていたのだろうか。それとも、彼等にしてみればこれくらいのことをするのは普通のことなのだろうか。
だが、その疑問を口に出来ない。話の腰を折ってまで自分が思う不思議を挟み込むことが出来る程、私達は気安い仲ではない。
「私は一曲です。直しは全部やりました」
ポチもしっかりやっている。凛の気がもう一枚、引き締まる。
「私は、凛ちゃん元々私は曲は作れないのね、だから直しだけ。それは全部やったよ」
そうなんだ。でも曲を作れる人とそうでない人が居るのは当然だと思う。私だって曲は作れない。桃子だけが曲も歌詞も書かないからと言って彼女だけが制作を一人サボってるとは思わない。
それだけの想い全部を乗せるつもりで、深く頷く。それを受ける桃子が穏やかだから、伝わったのだろう。
「凛ちゃんは、どう」
ほんの少しの慎重さを含む、声。
出来ていない場合もあり得ると、それでも受容すると言う空気。
みくびらないで欲しい。
凛の口元がキュッとなる。素早く三人を順次見る。
「元々あった曲の歌詞は全部書き直しました。で、新しい歌詞を五曲作りました」
「マジか」
目を見開いたゲンから漏れ出たのは、予測を大きく裏切られたときの、ギャップの分だけ発生する鳴き声だ。
桃子がニヤリする。決してニッコリではない。
「限界超えてきたね」
「まだ内容を見て貰ってません」
「うん。でも量のタスクってだけでも超えてる」
「クズ歌詞が十四編あっても、無意味です」
「そうだね。見せて貰ってもいい?」
桃子と凛のやり取りはスレスレを通って、ゴールに着いた。スレスレの向こう側は喧嘩だろう。
凛はカバンの中から「歌詞、正体」のノートを出す。
「『歌姫』も直しました」
最初の見開きを三人に見せる。黙読のスピードが遅いのは、頭の中で曲に乗せているからだろう。
「すごく良くなってる」
ゲンが最初に声を上げる。
「私も、前ので十分だと思っていたのですけど、さらに先があるんですね」
ポチは感服致しました、と言いそうな表情だ。
「やるね。凛ちゃん。あなた自分が認められないんじゃないかってすっごく不安になってるでしょ」
ビリヤードのキューで突かれたよう。図星過ぎて、表情を凍らせることしか出来ない。
「そもそも仲間に引き入れた以上は、歌詞のレベルが低かったら育ってもらうつもりだったし、いきなり完全を求めてはいないのだけど、でもね」
凛は微動だにせず言葉を受ける。
「前回までの段階で私達は凛ちゃんの歌詞を書く力を信じてるの」
歯車のように頷く。
「今日、まだ一曲だけどこの完成度、精度、そして独自の世界観、一曲このレベルのものを作れるなら、他だって同じまでは出来るでしょう」
今度はゲンとポチが頷く。
「だから今、もう証明はされた。だから私はこの後安心して、いやワクワクしてページを捲れる」
ああ、どうして桃子さんがリーダーなのか、分かった。
曲を書かないからその分雑務をするとか、多分年上だからとか、そう言うのじゃない。
私の評価を正しくするなら、最後まで見た後じゃないといけない。それは分かってる筈。でも、それ以上に私の不安を早く取り除きたいと思ってくれた。勇み足にならないギリギリのところですぐに、応えをくれた。
私はもう不安なく、ページを捲れる。きっと包容力って言うのが一番合うのだと思う。だから、リーダーなんだ。ドラマーが、リズムの元であるドラマーが包容力があるって、すごくいいと思う。
凛はちょびっとだけ涙が出そうになって、それを気合いで収める。無理にではなくて、応えられて自然と気合いが満ちてきている。そうしたら、スーッと世界が開けた。自分では閉じているつもりなんて全くなかったけど、開けた。もう、血は普通に脈打っている。
凛は静謐な緊張感のある目線で三人を順次見る。
「ありがとうございます」
凛は頭を下げる。三人とも何も言わない。
ガバッと元の姿勢に戻る。三人とも待っている。
「では、次の曲は『mother』です」
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