第12話 ライヴハウス、コーダ
これからタフな作業をするよ、と祐里に言うと、じゃあ焼肉に行こう、と駅近くのビルの七階にある「弁財天」に連れて行かれた。どうして祐里はこうもお店を知っているのだろう。上京したのほぼ一緒な筈なのだが。
「それは凛がいつも同じものしか食べないからだよ。あと自炊でしょ?」
「祐里だって自炊してるじゃん」
「一応ね。でもせっかく東京に出て来たんだから色々食べたいと思って、一人のときは毎回違うお店に行ってるんだよ」
そうか。でも今話したいのはそんな話じゃない。
さっと注文をしたら、話題を本題に向ける。
「今日のライヴ、どうだった?」
「一組目まあまあ、二組目途中で飽きた、『水の宮』よかった」
うん、と凛は一旦受ける。
「だいぶ大まかな捉え方だと、私も同意見だよ」
「そうかな。凛は『水の宮』だけずば抜けて興奮してたよ」
「それはそうだと思う。最初の二組のことは暫くしたら忘れてしまうと思う」
でもさ、祐里はじーっと凛の顔を見る。
「私の意見が聞きたい訳じゃないでしょ、今」
「何でわかるの」
「そりゃ、私と凛だもの。で、凛は今どう思ってるの?」
あまりにたくさんのことを感じ過ぎて、考え過ぎて、どれから話せばいいのかあまり分からない。でもいいや、祐里だから多少の前後は許容してくれるでしょう。
「やっぱり洪さんがインパクトがでかい。あのロングトーン、二曲目の、度肝を抜かれた。歌と言うよりもあの瞬間彼女は楽器になっていたんだと思う。それの響きを変えてゆくバンドの音運び、アイデアだね、すごい」
「確かにあれは強烈に印象に残る」
「そう! 印象に残るってのも一つの大事な要素だと学んだんだ。どんなに素敵な歌であっても相手に残らなかったら存在しないのと一緒でしょ? 『水の宮』は見事にそれをやってのけたんだよ」
ナムルが来る。
「同じ曲で言えば、歌詞ね。スカイドラゴンってファンタジーなものを出しても、結局洪さんの歌を歌うことへの想いを表現していた。これまでファンタジーは避けて来たけど、ああ言う使い方ならありなんだと言うことを知った」
「あの曲はメロディーが綺麗だったよね」
「そうそう、サビの部分ね。やっぱり歌詞だけじゃなくてメロディーも大事なんだと思い知らされた。三曲目もメロディーがポンポンしてて何て言うのかな」
「ポップ」
「そう、ポップな感じ。女の子の気持ちをオードトワレに乗せて、淡い恋かと思いきや結構大人の恋っぽいことを歌ってるの。でもその曲調とのバランスで、かわいい感じになってる。あ、そうか、少し曲の感じとわざとズレを生ませることで曲の印象をコントロール出来るのかも知れない」
肉も来る。焼く。ナムルをつつく。
「ただ、曲によって声音を変えていると言うことはないんだよね。あくまで洪さんは洪さんのままであって、だからそう言うところは役者とは違うんだと思う。むしろ、全ての歌が曲が歌詞が洪さんから生まれ出ているってことなんだと思う。つまり、あれだけの歌詞を書き分けるにはヴォーカル自身が深み広がりを持っていないといけないってことだ。これって前も話題に出てたけど、今日にてQ.E.D.ってことだよね」
「うん。重ねて言うけど、だからって不幸になろうとしないでね。洪さんの笑顔、不幸な人のそれじゃないでしょ?」
「分かってるって。バンド全体で一つって感じはすごいした。曲の中で自分が主張すべきところはして、そうでないところはしなくて。一曲目のキーボードの人なんて、途中以外全部休みだよ。それでもいいんだね」
「自己主張がぶつかるところでありつつも、目的のために自重もする、ってところかな」
「祐里、その通りだよ」
焼けた肉を食べる間。ライスも来る。ヴォーカルだから烏龍茶は飲まないので水のおかわりを貰う。
ちゃんと飲み込んでから喋り出すのは二人とも育ちがいい。
「一曲目なんて始まった時にもう、雨のイメージがあった。これはタイトルに引っ張られていると言うのもありながらも、やっぱりバンドのメンバー全員がイメージを共有出来ているからこそ達成出来ることなんだと思う。そして四曲目。正直歌詞が何言ってるのか全然分からなかったのに、グッと来た。ああ言う歌詞、コラージュって言えばいいのかな、そうやって伝達の輪郭だけをしていくと言うのもありなんだね」
「それも多分、曲があってのことだと思うよ」
「そうだ。それはそうだ。歌詞カードだけ見ても分からない、何も。で、全体として四曲だけとは言えライヴにストーリーがあったと思う。メリハリだけじゃなくて、導入、盛り上がり、変わり種、シメ。あ、起承転結になってるのか。何ていうか、細かいことにまで意識が向いていると言うのが本気感があると言うか安心感があると言うか」
「確かに、一組目と二組目は両方とものっぺりと同じような曲ばかりを演奏してて、飽きちゃったね」
「うん、飽きた。でもそれが出来るようになるには曲のストックがある程度ないといけないよね」
「そうだね。『ファイヤーバタフライ』は何曲持っているの?」
「今のところ『歌姫』の一曲だけ。で、今作っていて、次回の集まりまでに十曲分歌詞を書かなくてはいけない」
祐里が眉を顰める。
「それは多過ぎだよ。私抗議したい」
まあまあ、となだめる。
「一回限界に挑戦しようと言うことでこうなったんだよ。で、今四曲歌詞は出来ている。で三日くらい休んで、今日からまた書き始めるんだけど、物凄い勢いで書けるような気がする反面、新しいことを知ったことで迷いもするような気がしてる」
「そっか。だから倒れるまでやってたんだね。これからはそう言うタスクが出たらちゃんと私に言って欲しい。土日ずっとは無理だけど、平日はチェックするから」
何だか監視されているみたいで気が進まないが、今回の一件もあるので祐里には見てもらった方がいいだろう。
「あれー、凛。迷惑そうな顔しているよ?」
「違うよ。ちょっと息苦しいかなと思ったけど、見てもらった方がきっといいから、お願いします」
肉をガンガン焼いて食べる。
あっという間に完食となり、帰ろうか。ふと、隣の席を見ると父親と五歳くらいの娘だけで来ている。凛も小さい時に地元の色々な店に父親に連れられたことを思い出して、そう言えば東京に来た日以来実家に電話をしてなかったな、ちょっと掛けてみようかなと思った。
「じゃあ、凛、ちゃんと食べて寝るんだよ」
「分かった。限界を超えるよ」
祐里は苦笑いをして帰って行ったが、彼女の弁と私の弁は両立する筈だ。
一人で家に向かう途中、一度ついた里心と言うのはどうもぐいぐいと胸を押すようで、実家に電話を掛ける。
「もしもし」
「あ、お母さん。久しぶり。元気?」
「めっちゃ元気」
声自体も元気そうだ。凛はほっとして、この瞬間にもう里心はどっかに行ってしまう。
「最近どんなことしてるの?」
「私は相変わらずよ。子供二人が離れたからと言って、ザ・主婦の仕事は終わらないのよ。最強の子供、お父さんが居るからね」
あはは、と凛は笑う。今自分が息づいているこの街と、十八年間生きていた場所とがすごく遠くて、でもお母さんの冗談を間に介したら一つのものになるような気がした。
「あ、でも、そうそう、四月から本物の子供も預かったりしてるわよ」
「総司くん? 預かってるの?」
「もう二歳だからね、一日くらいだったらお母さんがんばっちゃうもんね」
「ねえ、やっぱり孫って可愛いの?」
お母さんはうーんと考える。それは答えを考えているのではなくて、言うか言うまいか考えている感じだった。
「ここだけの秘密だけどね、やっぱり自分の子供が一番可愛いわ」
お母さんの告白が胸にズドンと来て、ただでさえ今日は感受性が大開きだから、じわっと涙が出る。
鼻をすすったからなのか、間を読み取られたのか分からないが、お母さんが努めて明るく声を掛けてくる。
「こんな火を見るより明らかなこと聞いたくらいで泣かないの」
「私は」
お母さんの気配が受話器越しに伝わって来ている。
「私は大丈夫だから。祐里もいるし。ちゃんと学校行ってるし、やりたいこともやってる」
「うん。そこは心配してないわよ。危険なこととか事故とか病気だけ心配してるから、いつも通り。もしそう言うことがあったらすぐに連絡するのよ」
「うん」
遠くを見たら、街灯がキラキラしてて、涙を拭ったら、元に戻った。
「お父さんは元気?」
「すこぶる。しこたま働いてるわよ」
「そっか。お兄ちゃんは?」
「総司くんを預けに来るときにちょいちょい顔を出してるから、深くは話してないけど元気そうよ」
「お義姉ちゃんも?」
「由美子さんの方がよく喋るわね。総司くん連れてカフェとか行ってるわよ、一緒に」
状況がフラッシュのようにイメージされる。平和だ。
「そっか、じゃあみんな元気だ」
「そう。みんな元気」
「安心した。じゃあまたね」
「うん。またね」
お母さんの柔らかい声が耳からこころの経路の全てに残っていて、みんなが元気だからと言う以上に安心した。電話を切って初めて分かったのは、やっぱり私弱ってたんだ。だから、お母さんとか家族からエネルギーを貰いたくて、電話したんだ。そして、貰った。歌のことを始める前に電話してよかった。
凛は家に着くと、封印していた三冊のノートを取り出した。書くべきことは既に自分の中にある。
大きく深呼吸をして、「アイデア」ノートに書き付けてゆくことから始める。
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