第10話 ライヴハウス
開演時間の十分前に行けば十分だと思って、祐里とちんたら「rainbow」に向かって歩く。
周囲の景色は街と言うよりも住宅地に近い印象だが、ちらほらお店はある。
人が集まってライヴを見る場所である、ライヴハウスが近付いて来る筈なのに、人が全然居ない。
「祐里、この道で合ってるの?」
「地図の通りだし、大丈夫だと思う」
凛は左右をきょろきょろと見渡しながら進んでゆく。
「あ、ここだ」
黒板で出来た看板に「rainbow」と書いてある。コンクリートな建物。
「何か、ライヴハウスってもっと人が群がっているイメージだったけど、違うのかな」
祐里は、うーん、と唸る。
「千差万別的な? 中に居るのかもよ」
「そうだね、とにかく入ってみよう」
階段を下る。
受け付けとおぼしきテーブルに男性が一人。ちょっと緊張するが、前に進まなくては始まらない。
「あの、今日、『水の宮』ってバンドは出演しますか?」
男性は優しそうな顔で微笑む。
「ええ。三番目ですね」
あれ? 他のバンドも出るの?
顔に出たのだろう、慣れた様子の男性が説明する。
「対バンって言いまして、複数のバンドが出るステージなんですよ。『水の宮』を含めて四組なんですけど、他のバンドも観ていってやって下さい」
そう言えばポスターに「対バン」って書いてあったような気がする。そう言う意味だったのか。
「是非、観させて下さい。二人です」
「チケットはお持ちですか?」
「いえ」
「じゃあ、二人でチケット代四千円、ドリンク代が千二百円になります」
思ったより高い。ドリンク代とは。
流石にそこまでは読み取れないのだろう、男性は待っている。
「あの、ドリンク代って何ですか?」
「ああ、ライヴハウスの場合、ドリンク代ってのをチケットとは別に払ってもらうんです。それで、ドリンクチケットをお渡ししますので、それを使うと中で飲み物と交換出来ます」
「なるほど」
ネーミングもシステムも少しだけややこしいが、そう言う決まりなら仕方がない。代金を支払う。
「では、こちらへどうぞ。もうすぐ開演なので先にドリンクを貰うのならば、ちょっと急いで下さいね」
奥に通される。
ステージが近い。
百人くらいは入れるのかな、そこそこの広さだ。でも地下だからなのか、閉じ込められた感がある。
そして、人は自分達を含めて二十人くらいしかいない。
凛はドリンクチケットをカルピスに換えた。祐里は後にするとのこと。
ステージ上では四人が準備をしている。暗転していないので丸見えだ。男性四人組はお揃いのピンクのワイシャツを着て、スラックス。ユニフォームってのもいいな。
ヴォーカルらしき人がマイクを構える。
「こんばんは。『クミン』です早速始めます。まず最初は、『お願い太陽』です」
いきなり始まった。彼の嗜好なのか、ライヴハウスと言うのがこういうノリなのか判別がつかない。
シャンシャンシャンシャン。
ドドッド、ドドッド、ドドッド、ドドッド。
ギュイーーン、ギュイーーン、ギュイーーン。
ゆっくり目で、気怠い。今日もドラッグ出来るからハッピーでオールオッケー、働くなんて知らないね。イントロだけでイメージが生まれている。これは、彼等の力なのか、私の力なのか。
『太陽。南風。お前と。俺』
バリトンくらい。声も気怠い。そう言う意味では統一感がある。
でも何か、四単語しか聞いてないけど、もういいかな。演奏技術がどうこうではなくて、彼等の表現したいことと私のしたいこととの間に乖離がありすぎて、不快なだけ。
しかし、帰る訳にも行かない。「水の宮」はまだ先だ。
祐里は普通の顔をして聞いている。
『ババンバ。ババンバ。ババンバ。ンバ』
いやいやいやいや、まだ二フレーズ目でしょ。そこはちゃんと単語を突っ込まないとダメでしょ。
こう言う内容でも成立してしまうのか。そうだよな、桃子さんが「お金を払う方の出演料」って言ってたもんな。誰だってお金払えば出れるよな。この人達もでも、ガチでやってる人なのかな。だとしたら、ガチにも相当に幅があるってことだよな。
突然曲調が変わる。アップテンポ。
『死んでもいいからお願いしますって、お前が死んだら生きてけねー
死んでもいいからお願いしますって、お前は俺をどうしたいんだ』
さっきまでしかめっ面だった凛の、顔に掛けていた錠前が開いて、受け止めようと言う表情になる。
ちょっといい。歌詞ではなくて曲が。最初からこうすればいいのに。
体がリズムに合わせて動く。自由に動かせる。周りを見渡してみると、十五人くらいに減っている。多分、次のバンドが控え室的なところに行ったのだろう。
曲はそのままのテンポで走り抜けたと思ったら、最後に最初にやったフレーズがもう一回、あの鈍いテンポで演奏される。
『太陽。南風。お前と。俺』
ジャーン。シャシャシャシャシャシャシャシャ、ダドン。
左前にいる三人の女性が熱心に拍手する以外は、誰からも拍手が出なかった。仮にも歌を聞きに来ている人の前で演奏して、無視って。それって評価に値しないと突き付けられているってことだよ。私も拍手しなかったけど、でも、私もそこまでする価値がない演奏だと思った。
祐里は小さく手を叩いていた。義務感とかなのかな。
壇上の四人は客である私達の反応を見ても微動だにせずに、次の曲を始めた。
「クミン」は計五曲演奏したら「『クミン』でした。ありがとうございました」とさっぱりと舞台を降りた。どの曲も気怠さか粘っこさがあって、ときに激しい部分もありながらも全般的にはダルい感じ。きっと彼等のやりたい音楽はそう言うものなのだろう。
幕間に次のバンドが準備をしているのを見ながら凛は自分の感想を整理する。
もし私が駅前広場で捕まえた演奏が彼等のものだったら多分、ヴォーカルのオーディションは受けていなかった。今歌を歌った彼は下手ではないし、何よりもバンドの音楽に合った声と歌い方をしていた。「クミン」は「クミン」で一つのパッケージとして成立していて、一つの音楽の形をしていて、だから私は単純な上手い下手の問題よりはもう一つ上の段階として、「クミン」が嫌いなんだ。作品として「クミン」の曲が嫌いなんだ。だからこそ、それを好きになる人も居る。舞台の袖近くで熱のある拍手をしていた子達のこころの形にはフィットしている。それが私には合わないと言うだけ。でも、それって私達がやっている音楽にだって同じことが言えるんだと思う。すごく好いてくれる人から、大嫌いだと言う人まで、居る筈だ。
「凛、どうだった?」
祐里の超能力の一つが、私の思考がひと段落するタイミングを見抜く力だ。声を掛けられて、そうざわざわしてもいないホール全体の情報が流れ込んで来る。
「いまいち」
何のジェスチャーも付けずに呟くように言う。
「そっか。私はそこそこよかったと思う」
「ふーん」
「でも、C D買う程じゃないかな」
その後は黙って次のバンドの準備を見る。
スリーピース。ただし、ドラムとベースとキーボードだ。必然的に三人の誰かが歌う。マイクを持ったのはベースだ。
全員男性で、それぞれ好き勝手な格好をしている。
「こんばんは。『Juice stand』です。段々暑くなって来ましたね。もう少し、熱くしましょう」
目で後ろの二人に合図を送る。
カッカッカッカッ。
早い。
ドゥドドド、ドゥドドド、ドゥーーー。
シャラララララララララララ。
キーボードのグリッサンドから入ったら、そのままキーボードから音符が踊り出て来るようにメロディーが溢れて来る。超高速と言う訳ではないが、腰が座って居られないくらいには早い。
刻み付けるような、まるでギターのリフをキーボードがするような。
急に甘ったるい和音と旋律、しかしリズム隊の雄々しさがそれと空間を作って、甘さに終わらせない。
そこから三人が同期して音を叩き付ける。抜け出すベース。ソロではない、追いかけるキーボード。いずれ追い付き、ドラムの元に帰る。
またリフ。甘いメロディー。だけど途中からキーボードが暴走したかのように自由になる。これは、アドリブ?
暫くしたら元のメロディーに還る。もう一度リフ、ドラムの短いソロ。最後に、ドラム、それにベースが重なる、さらにキーボードが重なって、ジャン!
凛は夢中で手を叩く。
鳥肌が立っている。体が勝手に飛び跳ねる。横に居る祐里の手を取る。
「祐里、すごいね! こんなのあるんだね!」
「そうだね」
祐里は平熱だ。構わない。
「三人だけなのに、音がちゃんとあって、グイグイ来て、走り抜けるみたいに」
次の曲が始まらないかチラリと見る。もう少しありそうだ。凛はそこではたと気付く。
「でも、歌わなかったね」
「ね。そう言うのもありなんだね」
二人して頷く。
「歌がないロックもあるんだね」
「ギターもないよ」
「どれだけこれまで音楽の既成概念に囚われて来たか、私は反省してるよ、今」
「いや、曲に興奮してるでしょ、今」
確かに、と凛は肩を竦める。
ドゥーーーーーーーーン。
ジャジャッ。
始まった。
ドゥーーーーーーーーン。
ジャジャッ。
ドゥーーーーーーーーン。
ジャジャッ。ジャッジャジャーーーーーン。
スパタタタタタタ。
巨人の歩行のようなところから始まった二曲目はドラムロールからテンポアップして、三者の掛け合いを演じ続ける。ピアノソロが入り、今回はベースソロがちょびっと入り、竜巻が巻き上がるようにして終わった。
「一曲目『city』、二曲目『micro elephant』でした。三曲目『砂』行きます」
あれ。
何か、同じ感じばっかりだ。
最初の一曲は確かに感動したけど、似たようなものばかりだと飽きて来る。これは多分、彼等の問題。だって、バンドだって同じ編成でいつもやってるし、ピアノとかクラッシックだって同じ楽器であそこまで違う。あの三つの楽器の組み合わせであっても、もっともっと広がりがあっていい筈だ。
今だって、もう聞き流している。そうだ。喫茶店で流れるジャズが気が付けば、自分の中で音楽にすらなっていないのと同じで、同じようなものばかりだと、面白いとかつまらない、ではなくて、どうでもよくなってしまうんだ。
祐里を見ると、ボーッとしている様子。二人して待ち時間になってしまった。
結局六曲彼等は演奏した。六倍に希釈された凛の感動は、最早、退屈と化していた。
「もし歌があったら、もっと世界を広がらせることが出来ただろうに」
祐里に囁いたら、祐里はうーんと唸りながら首を捻る。
「多分、そう言うレベルの問題ではないと思うよ」
「え、そうなの?」
「彼等は自分達のやっていることに溺れちゃってて、自分達が気持ち良ければオッケー、みたいな印象を受けるよ」
「ってことは、カラオケをしているバンドってこと?」
祐里は頷く。ステージの方を見たまま。
「前に凛が、カラオケからヴォーカルになったって言ってたじゃない」
「うん」
「彼等はバンドからカラオケバンドになっちゃったんだと思う」
死んでもその退化だけは嫌だ。まだ私も気を抜くと歌がカラオケになってしまうから、人事では全然ない。さっき立ったのと全く別の鳥肌が凛を襲った。
「どうしよう、祐里、次、『水の宮』だよ」
「何をがっかりする準備してるの。二個連続で外したからって、次もハズレとは決まってないでしょ」
「でもさ、期待して来たから、これくらいのレベルだったら、しゅんとしちゃいそう」
「凛。まだ見てないものの評価なんて予測しないの」
ちょっぴりまだ祐里がお母さんだ。私の母親はこんなことを言うことはないだろうけど。
でも、確かに言われてみれば前の二つのバンドと「水の宮」は別のバンドだから、関連を持たせる方がおかしいのだ。たとえ、こう言うイベントが同じくらいのレベルのバンド同士で組むことが多いと推定されても、そこから抜け出すバンドが居るならばそれは、実力に差があることもあると言うことだ。
「そうだね。まっさらな気持ちで向き合おうと思う」
「と言うか、『水の宮』と何か因縁でもあるの?」
「ないよ。ポスター見て、髪の一部を染めてるのが同じだ、被った、くらい」
祐里が、ふふっ、と笑う。
「そっか。それはきっとインスピレーションだね」
「そうかも知れない。この後、それが、分かるね」
二人は、ステージで「水の宮」のメンバーらしき人達が準備を進めているのを、目を細めて見る。
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