第8話 作詞

 バンドのメンバーと次に集まるのは三週間後と言うことで、それまでの間は自主練と歌詞の書き直しをする。それに加えて新曲のための歌詞も書いて欲しいと言われている。三曲、取り敢えず、と。

 つまり七曲の「まりも」の曲、プラス新曲三曲、都合十曲の歌詞を生み出さなくてはならない。

 それを提示されたとき、曲数と期限に、凛の頬が引きつった。

「流石に多過ぎると思います」

 確かにそうかも知れない、そう流れかけた空気を振り払うように桃子が身を乗り出した。

「やってみて。ダメならそれでまたペースを考えるから、一回限界に挑戦して欲しい」

 メンバーになった当日と言う興奮に加えて、「限界に挑戦」が凛に響いた。少しの逡巡の後、凛は下腹部に力を込めて「やります」と答えた。

 計算上は二日に一曲歌詞が出来れば問題ないのだが、実際はそれを歌い込んで、そらで歌える状態まで持って行かなくてはならない。結果的に一曲ごとにかかる労力がかなりになる。残された日数は二十日。歌の自分へのインストールを含めたらその半分までには、歌詞も半分くらいは出来ていなければならない。


 祐里に新しい髪型を見せ、それで遊び、昼食を食べてから別れた。一人街を歩く。

「歌詞。歌詞。歌詞を書かなくてはならない」

 呟きながら足がカラオケに向かう。昨日は生の演奏を体に浴びながら、歌えたのが一曲だけだった。夜も疲れて寝てしまって、歌いたい欲求がひどく溜まっている。

 切羽詰まることになる課題が目の前にある、それでも私は歌いたい。

 そうだ。ヴォーカルの「歌いたい」は、肯定されるべき欲望だ。

 でも歌詞を書くことも差し迫ってはいる。

 だけど、全身が歌いたい。

 振り子のように行ったり来たりする「この後すること」の二択、はたと気付く。振り子の重りをピタッとつまみ止める。

 歌いたい欲求と歌詞を書くことは、今後もずっとバランスを取って行かなくてはならないもので、今だけの悩みではないんだ。きっとどうすればいいかの答えは存在する。でも、その答えは試行錯誤をすることでしか見付からない。それは間違いない。だから、どちらかを試すしかない。……だとしたら今日は思い切り歌うことを試そう。

 三時間、マイク、みっちり。

 汗が滴り切るまで歌って最後の曲。久し振りにソファーに腰掛ける。

「先週までの私と、違う」

 凛はマイクを置きながら呟く。

「今の私には、ヴォーカルとして歌う構えがある。だけどこれは、気を抜くとカラオケに戻っちゃう」

 ずっとずっとヴォーカルであり続ければ、いつかきっと気を張っていなくてもヴォーカルのままで居られるようになる、筈だ。

「もう一つ。今日の私はカラオケで流れる歌詞を評価・分析している。吸収できるものはしようとしている」

 でも、あまり吸収出来るものはなかった。

 どちらも、歌に対しての向き合い方の変化を反映したものだと凛は気付き、自分が前に進んでいる手応えに、頬を両手で押さえて、ニヤリとする。

 歌詞作成は一切進まないままにカラオケを出る。歌ったことへの満足感はあっても、書かなければと言う追われた気持ちを払拭出来る程のものではない。

「言っても今日は初日。そんなに焦る必要はないんだよ」

 自分で自分にこんな風に言うとき程、否定したその気持ちが実は強いと言うことは分かっているから、いつもの私はこんなこと言わない。

 自分の吐いた言葉によって、プレッシャーの下に自分が在ると言うことを初めて認識する。

 急に足が竦む。地面ばかりを見る。

「出来ませんでしたじゃ、済まない。せめて半分は完成させないと」

 ガッカリさせるのが怖い。力のない女だと思われるのは嫌だ。出来なかったと言う結果から、私の情熱を本気を疑われるのは耐えられない。髪型だけの奴だとは思われたくない。

 立ち尽くす。

 こう言うとき、どうすればいい? 大きな問題が目の前にあります。ほぼやったことのない問題です。

 そうだ。これは、新しいフィールドに入ったときに毎回ぶち当たる奴だ。解のパターンは三つしかない。一つ目が、私は天才だから余裕だと言ってすぐに取り掛かる。二つ目が指導者に助言を求める、これは本でもいい。三つ目が、とにかくまずそれに慣れる、自分がそれにカスタムされるように、その世界にどっぷりまみれることをしながら、結局すぐに取り掛かる。指導者はいないし、本で学べるのか疑問だし、一か三、つまり、直ぐに始めると言うことしか選択肢がない。

 怖さも不安も、ゴールに向かっている最中に身を置く方が感じ辛い。

「やろう」

 凛は前を向く。昼下がりから夕方の間の、浮遊したような街がもう少し退廃的に時間を使ってもいいと言っている気がする。

「君達はそうすればいい。私は、今から始めるから」

 凛はノートを三冊購入する。

 家に戻り、一冊目の表紙に「断片的アイデア」と書く。二冊目に「歌詞、仮の姿」、三冊目に「歌詞、正体」と記す。

 前回「歌姫」を作ったときにも、パソコンは使わずに紙に書いて練ったことから、その方式が多分合っているんじゃないかと言う仮説の元に、凛はノートを用意した。

 すぐに「断片的アイデア」のノートに書き始める。

『定義:決めたのは人間であって、世界でも神様でもない。→想い、とか』

『sing and die:歌って、歌って、最期まで歌って、死ぬ。そう言う生き方』

『私・あなた、僕・君、の組み合わせ以外もあり』

『友情なら、助けられた話がいい』

『火。掠めること火の如し、じゃダメ。Passionの火。今の私には、歌しかない』

『恋。私の恋は片思いしかない。歌になるのか』

『東京に来たときの気持ち。でもバンドするために上京したわけではない。でも、新しい何かが始まる予感が、期待が、ビンビンだった』

『何かしたいのにそれが分からないと言う気持ち、先週までの私の気持ち。きっとまだ思い出せる』

 字が段々汚くなる。書くこと自体に熱中する。まるでペンが自分の内側にあるものを汲み出す道具のようになる。

 二時間以上書き続けて、ぷはぁ、と凛はペンを置く。

「これだけあれば、歌詞の種は入ってるでしょ」

 パソコンを点けて、桃子から貰ったC Dを準備する。「リビドー」を書き直せそうな気がするから、流す。

 曲の改善点については今は置いておく。この曲に正しい歌詞をつける。それは曲と一体となる歌詞。分かち難い程に、一体となるものを作りたい。

 アイデアのノートを見ながら、「リビドー」を繰り返し聴く。

 今、この曲は偽物の歌詞を被せられている。凛は勇者のようにその偽物を倒し、正しい歌詞と再会させると言うイメージを持った。

 「勇者」とアイデアのノートに記す。そして、仮の姿のノートを広げ、「『リビドー』→『     』」と一番上に書く。歌詞が短かった「歌姫」と違い、「リビドー」は文字数がかなりある。その文字の席を埋めることが大変だと考えるのではなく、キャパシティーが広い故に入れ込むことが出来る世界の量が増えて腕を振るえると考える。

 その下のスペースの真ん中に「勇者」と書く。

「違う」

 書いてみて、凛はそこにある違和感に気付く。躊躇なく二重線で消す。

「ここは、こっちだ」

 そう言うと、「sing and die」と書き込む。

「この曲にはどこか牧歌的な勇者より、悲壮感のある程のpassionが合っている。それは死ぬまで歌うと言う気持ちが最もフィットする」

 自分で言って、自分で納得する。

 曲が訴えていることを汲み取ると言うのは、恵美子の言うところの「自分がどう受け止めているかを理解する」行為だ。だから、私と曲の接触面、さらにもう一歩、重なる部分が、これを規定する。歌詞はそこから生まれる。曲が先にある場合は、これは守らなくてはならない、きっとそうなんだ。

 発見を、アイデアノートの一番後ろのページにメモする。恐らくこうやって創作のルールが生まれてゆく。

「うん。『sing and die』と言う言葉は、この曲のコアと一体化出来る。いや、もう一つになっている。私にはもう分けることが出来ない」

 凛は髪の毛が逆立つような感覚と共に、獣の笑みを浮かべる。

「掴んだよ」

 ノートの空白のカギかっこの中に、「sing and die」と書き込む。

「君のハートは、掴んだ」

 「リビドー」がずっと流れている。無限ループで流れている。今日の太陽が終わろうとしている。

「君は今日から『sing and die』だ。もう過去のことは忘れちゃっていい。残りの歌詞は私が作るから」

 凛は猛烈な勢いで歌詞の続きを書く。それは一旦曲よりもずっと肥大して、その後にメロディーに押し込められ、はみ出た部分を整えたり、言葉を選び直したりして、一応の完成となる。

 自分が書いたのだから歌のイメージは既に自分のものになっているので、あとは歌って歌って歌い込んで自分のものにしながら、歌詞を直してゆくと言う工程に入る。

 凛は早めの夕食を摂って、本日二回目のカラオケに向かう。詞を新たにする七曲は、全部毎回この手順を踏まなくてはならないのだ。凛はそう確信して、その手間が確かに大きくてもよいものを作るのに必要なら、しない訳がないと頷く。カラオケに向かう目には炎が灯っている。


 凛は新たに生まれるアイデアを貯めながら、およそ二日で一曲の歌詞を書くことに成功した。ときに躓くものの、その分他が早く出来たり、アイデアが並行して形になって行ったりすることでカバーされた。

 その間、作詞と作った歌を歌う以外のことは授業を除けば何もしなかった。

 七日目に四曲目を完成させ、一日のアドバンテージを得る。

「このペースなら行ける」

 八日目の土曜日も同じやり方で朝から五曲目に取り組んでいたのだが、急に曲の魂が全く分からなくなる。曲が悪いのではないかと考え、別の曲にしたが、同じ。もう一曲試しても変わらない。曲を掴めない。

「何で? 曲のコアが何か、魂が何かを感じられない? 最初に聞いたときにはどの曲にも感じていたのに?」

 凛はどれだけ聴いても同じだと言うことを迷い始めてから八時間経って理解して、曲を止めた。

 真っ直ぐにカラオケに向かう。歌えば違うかも知れない。歌詞は新しいのじゃないけど、試していた方法とは違うことになるけど、やってみるしかない。

 三時間、古い歌詞で歌ってみて、変化のない自分に愕然とする。

 思えばアイデアも出がかなり悪くなっている。

 たった今までマイクを握っていたが、歌いたい気持ちで歌っていなかった。

 おかしい。何が起きているんだ。

 部屋の中でぽつねんと座って、肩を落とす。カラオケの機械からどこかのアーティストがインタビュアーの問いに不遜に笑っている声が流れてくる。

 急に部屋が狭く、息苦しい場所に変性する。

 頭がふわんふわんと言っている。湯気が出てそう。

「でも、今日は何も出来なくても予定は狂わないから、大丈夫」

 言ってみても、気休めにならない。

 私がしているのは、自分の存在を賭けた戦いだ。負ければ死ぬ、そう言うシンプルな戦い。桃子に、ゲンに、ポチに、認めさせなければ、終わってしまう、きっと。

 凛は頭を抱える。内側からくる悲壮に対してなのか、外側の閉塞に対してなのか凛自身も分からない。

 もう、今日は歌いたくない。ここも嫌だ。

 よろよろと店を出ると、牛丼をかっこんで、味があまりしない、家に帰る。

 それでも向き合い続ければ突破口が見付かる、凛はそう自分に言い聞かせて、アイデア帳とにらめっこをする。新しい素敵な言葉も、イメージも、何だかもう自分が搾りかすになってしまったかのように出て来ない。

「私はこんなところで終われない。あと六曲、ほぼ半分だ。書くんだ。書くんだ」

 あっという間に時間だけがごっそり進んで、凛は風呂にも入らずにベッドに倒れ込む。

 夢でも作詞をしていた。そして何をしても決して素晴らしい詞が生まれないという夢だった。

 汗だくで目が覚めた。

 そうだ。歌詞を書かなくちゃいけない。

 買い置きのパンを口に含みながら、続きを始める。

 砂漠のような創造性。寝た分なのか自分を少しだけ客観視出来た。

「やっぱり、枯渇したのかも知れない」

 思っていたよりずっとしょぼい自分の歌詞生成能力を自分で自分に突き付けたら、胸の内側が空っぽになったような気がした。

 その空間の持つ陰圧に、吸い込まれる。

 思考とか気持ちとか、色々が吸い込まれてゆく。

「私、ここまでなのかな」

 口に出したら本当にそのような気がして、涙が、じわっと、視界を滲ませた。

「歌姫になれないのかな」

 子供の頃みたいに、泣きに伴ってのしゃっくりが出る。

「ヴォーカル……」

 失う未来が確定的に思える。時計の秒針がカチカチと言っている。

 泣いたってしょうがない。作るか、作らないか、だけなのに。でもちゃんと納得出来るものじゃないと嫌だ。時間がないのに、泣いてる場合じゃないのに。

 頭で何を考えても、涙が止まらない。

 一人じゃ、もう止められない。

 祐里。助けて。

 スマホを探す。

 丁度祐里からメールが来ていた。

『凛、火曜日のライヴについて聞きたいことがあるんだけど、キリのいいところで電話頂戴』

 祐里。何だか遠い。あれ。おかしい。

 祐里を呼ぶ。

「凛、大丈夫? 根詰めすぎてない?」

「うん……」

 泣き声を聞いた祐里がちょっと黙る。

「凛、どうしたの?」

「昨日まで何ともなかったのに、今日になって全然面白くなくって、歌いたくもなくって、曲の魂が分からない」

 鼻水混じりの訴えの向こうで祐里が、あちゃあ、とやったのが見える。

「ごめん凛。私が悪かった」

「何で?」

「凛が走り始めると倒れるまでって知ってるのは私だけじゃない。凛本人ですらその状態になると分からなくなっちゃう。だから金曜日も横に居た私がブレーキかけなきゃいけなかった」

「でも」

 遮るように祐里は続ける。

「もうそこまでになったら、一旦休憩しないとダメだよ。たらふく食べて、よく眠って、その間は歌詞から離れるの」

「……分かった。休む。……どれくらい?」

 ちょっと考える間。

「数日でいいんじゃないかな」

「それなら今度のライヴまでは普通の学生に戻る」

「そうしなよ」

 凛は電話を切ったらすぐに、歌関連のものを一切合切まとめて仕舞った。

 無限と格闘していた部屋の中から、その無限が居なくなると、途端に世界が狭くなって、同時に自分が自由な気がした。万が一この後書けなくても、既に四曲上げているので、面子が丸潰れと言う状態は避けられる。プライドはひどく傷付くし、評価も下がるが。

 休もう。でもうっかり考えるのはよしとしよう。

 まずはおいしいご飯だ。

 分からないから祐里に訊こう。電話、もう一回。

「祐里、おいしいご飯ってある?」

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