第7話 髪

「本当にいいんですね?」

「はい」

 凛の髪にハサミが入る。これまで長さを整えるくらいしかして来なかったから、豪快に切られていくのは面白くて気持ちがいい。みるみる床が髪まみれになってゆく。

 先週来たばかりの美容室に現れた凛を見て、最初店長さんはクレームかと思ったそうだ。一回しか来たことがなかったのに顔を覚えているってのは、客商売侮りがたし、やっぱりプロは違うなと思った。用件が全然違うと分かっても、それはそれで店長さんが担当をすると言うことになった。

「この写真くらい短くして、ここに赤いメッシュを入れて下さい」

 凛が持ってきた写真が理容室でする男性のカットと同じくらいの短いヘアースタイルだったからだ。

 調髪が始まってすぐ、背後に立つ店長さんが、この髪型にするのは、と声を掛けて来る。

「失恋ではないでしょ」

 突然の突っ込んだ質問は、はぐらかすには的を射ていて、凛の中にも喋りたい欲求があったから、応じる。

「そうですよ」

「ですよね。失恋で髪切るって、一般的でありながら、ここまでのベリーショートにはしないんですよね」

 なるほど、彼なりの統計がある訳だ。では、彼の経験則から私の動機は当てられるかな。

「何でだと思います?」

「……決意、ですね」

 美容室店長すごい。

「ドンピシャです。まさに決意を髪型に乗せようと思って今日、来ました」

「女の子がここまで切るには、極まったオシャレごころか、強い決意がないと出来ないんですよ」

 オシャレ側ではないと見抜かれている。いや、見れば分かるか。私はオシャレに関心が殆どない。男子みたいな格好だし、スニーカーだし、化粧は七五三以来したことがない。でも、ステージに上がるときにはきっと少しの化粧をしようと思う。この上で髪まで切ったら、まるっきり男の子に見られるかも知れない。体のラインがあるから流石にそれはない、といいな。

「どんな決意か、訊いてもいいんでしょうか?」

 喋りながらも髪はどんどん切られてゆく。鏡に映った自分の頭の形の変化を追えるのは、視力がいいことに感謝しよう。

 へへへ、と凛がちょっと照れる。その照れを言いたい気持ちが追い抜くまでの間、髪が切られるだけの音が続く。

「私、バンドのヴォーカルになったんです」

「大学生でしたっけ、サークルですか?」

「ううん。違います。プロなのかな、セミプロなのかな、とにかく学校とかではなくて真剣にバンドをしている人達の仲間になったんです」

 店長は考える。手は動かしたまま。

「それってガチって奴ですか?」

「ガチって奴です」

「その覚悟、決意ですか」

「そうです」

 ほぼ他人の人に自分の重大な決断を話す、それはバンドが人々に向かって行うものだから。でもそれだけじゃない。覆すことのない想いをさらに杭を木槌で打ち込むように、盤石なものにするための行為でもある。宣言をすると引き返せなくなると言う効果で自分を追い込むのとは違う。自分がした決断の痕跡をたくさん遺すことがいつか自分が日和った時に、隠して貯めておいた力を解放するように私自身の背中をきっと押すから。

「その最初の立会人になれる私は光栄です」

 客だからそう言う物言いになっているのは分かっていても、自分のした決断が崇高なものだと言われているようで、嬉しい。

「もし、ポスターとか今後作ったら、貼ってもらえますか?」

 自分でも先走っているなと思ったが、口から出てしまった。

「うちで良ければ、もちろんですよ」

 チケットがあるときには、必ず持って来よう。

「よろしくお願いします」

 あらかた長い髪は地に落ちて、短く整えるフェーズに入っている。今の段階でもかなり短い。後ろなんてほぼ刈り上げだ。

「この髪型って、維持するのに何ヶ月に一回くらい来ればいいですか?」

「二週間に一回とかじゃないと、ブサイクに伸びますよ。もう一度伸ばすにしろ、最初はそれくらいのペースで整えた方がいいですね。まあ、そこまで気にしないってのもありですけど、ステージに立つのなら髪をちゃんとするのは最低限じゃないでしょうか」

「結構多いですね」

「ですね」

「でも、歌姫になるためには、そう言うところも頑張らないと」

 店長が、ふふ、と笑う。その気配に、おや、と思う。

「燃えてますね。おじさんと言う生き物はですね、燃えている若い人を見ると、応援したくなっちゃうんですよ」

 確かに、燃えている。でも私は間隙の凪を除いたら大体いつも何かに燃えている。

「だから、二週間ごとの御来店で、カット料二十パーセントオフ、しちゃいます」

「本当ですか? 嬉しい。きっと通います!」

 凛が喜んでいる間も、調髪は進む。殆ど完成していると思われる。

 しかしそこから細かいカットが続き、もう十分程で切る段階が終了となった。

「で、ここに赤でメッシュをお願いします」

 凛は左のこめかみの上を指す。

「赤って言っても色々あるから、選んで下さいね」

 色見本には五種類の赤系メッシュがあった。その中で最もショッキングな色を迷わず選ぶ。

「この色で」

「どうしてこの色なんですか?」

「一番パワーがあるように感じるからです」

「赤に、どんな意味を乗せようとされてます?」

 言われて、はっとする。私は火のイメージで赤にしようとしていたのに、いつの間にか威力優先になっていた。店長、出来る。

「火です」

「それだったら、その赤よりも、こっちの紅の方が黒髪に混じったときには燃えているように見えますよ」

「じゃあ、そっちにします」

 店長が準備をしに一旦その場を離れる。

 まじまじと鏡を見る。とても短いのに男の子には見えない。私の十八年分のオシャレを全部足しても届かないくらいのハイセンスな髪型。伸ばすのは時間をかければ誰でも出来るけど、切るのは勇気がないと出来ない上に、伸びるまで時間がかかる。覚悟の髪型としては申し分ないだろう。メンテナンスの手間と費用も含めて。

 指定した場所に薬液を塗りながら、店長が問うて来る。

「どうして、火なんですか?」

「バンドのイメージが、火なんです。バンド名が『ファイヤーバタフライ』って言うんです」

「素敵なバンド名ですね」

「漢字で書くと、炎の蝶々、炎蝶。こっちの表記も私は好きです」

「かっこいいですね」

 暫く待ち。スマホをいじる権利のある時間。この後、祐里を呼び出すことにする。新しい髪型を見て何ていうだろう。ちゃんとビフォアーの写真は撮ってあるから、アフターと並べて楽しみたい。

 もう暫く待ち。雑誌を見る。美容室にある雑誌はどれもオシャレ関係とか髪の毛関係とか、女性誌とかで、普段全く読まないジャンルばかりだからちょっと面白い。オシャレ関係の雑誌は、カタログとどこが違うのかよく分からない。髪の毛関係の本はマニアックで好き。女性誌の記事は論拠がヌルッとしていて、話半分でしか読めない。フィクションでもなく、事実でもないような半魚人のような文章を書いて生計を立てるって、どんな気持ちなんだろう。私は、そういう歌は書きたくない。真実か、超フィクションかのどっちかにしたい。

 黙考にいつか沈んでいる間に時間は過ぎ、最後に髪を洗って、仕上がり。

 ブローされながら、メッシュの色をやっぱり紅にして正解だった、店長さんありがとう、と一人ほくそ笑む。

 セットされた頭は我ながらかっこいい。この店で店長さんに出会えてよかった。

「出来ました。如何でしょうか?」

「完璧って、存在するんですね」

 お世辞ではない。

「ありがとうございます」

「これからも通わせて頂きます。よろしくお願いします」

 凛は頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 会計をして振り向くと、掲示板のようなスペースがあった。どうも私が特別ということではなくて、何か表現をする人に対して店長さんは場所を開いているようだ。

 数えて五枚のポスターが貼ってある。

 読み聞かせの会。

 人形劇。

 そしてバンドが三つ。

 その中で一枚に目が釘付けになる。

 『水の宮』と言うバンドらしい、暗い色調の真ん中に髪が腰まである女性が右手で天を仰ぐようなポーズを決めている。その後ろにメンバーと思われる四人が一列に立っている。よく見ると、ヴォーカルと思われるその女性の髪の一部が青く染め抜かれている。

 似たようなことを考えたんだ。

 少し嬉しく、少し妬ましい。

 ふうん。

 そっか。

 祐里の所に行こう。

 一旦出口のドアに手を掛けて、やっぱり、もう一度ポスターの前に戻る。聞いたことのないバンドだ。でもポスターがあるってことは私達よりは前に進んでいる。

 ポスターの下段に紙が貼ってある。そこだけ更新しているのだろう。

『対バンにてライヴ出演予定:五月二十日、十八時半〜 ライブハウス rainbow』

 十日後だ。

 凛はメモを取る。敵の実力を知らなくてはならない。


 美容室を出て、駅前広場の喫茶店に向かう。祐里との待ち合わせの時間まではまだ少しあるから急がなくていい。

 視線。

 視線。

 視線を感じる。とみに感じる。それが髪型のせいだってのは分かってる。

 私は別に目立ちたい訳ではない。ステージに立つ以上は顔が出てしまうが、それは目的ではなくて副作用のようなものなのだ。私が驚かせたいのは祐里だけで、決意を示したいのはバンドのメンバーで、覚悟を刻みたいのは自分自身だ。

 喫茶店で座っていたら、祐里からメールが来た。

『どこに居るの? 私もう着いたけど』

 既に勝利が確定した、電話を掛ける。

「もしもし祐里、手を挙げるからそこに来て」

「え? お店の中に居るの?」

 右手を大きく振る。背中側から人の近付く気配。

 くるりと振り返る。

 祐里が凍り付く。

「ハロー、祐里」

「えええ!? 髪、どうしたの?」

 いつも私が大声で注目を集めるけど、今日は祐里の番だ。

「切った。どう? 似合う?」

「めちゃめちゃ似合うけど、何でそこまで短くしたの? しかも赤のメッシュ入ってるし」

 ふっふっふ、余裕の不敵さを演出してから、凛は答える。

「ファイヤーバタフライのヴォーカルに相応わしい髪型と色にしたんだ」

 祐里が暫く考える。考えながら席に着く。窓の外を見ながら、黙って考える。

 凛の方を向く。

「凛なら、するね。本気を表現するね」

「流石、祐里」

「でもびっくりした。最初誰か分からなかったもん。女の子と髪って、何だかんだ言って大事な関係じゃない」

 軽く相槌を打つ凛。

「そう言うことよりも、そうだよね、自分のこころを体現するように、するよね」

「うん。それは大事なことだと思うんだ」

「思っても、出来るかは別だよ。すごい。ますます凛を応援したくなったよ」

 一番応援してくれている人が、そう言うことを言う。まるで既に応援している状態というのが、次の応援をしたいと言う気持ちの加速剤になっているよう。

「それに乗っかっていい?」

「もちろん」

「今度、気になるライヴがあるんだ。ライヴなんて行ったことないし、一人だと心配だから付いて来て欲しいんだけど、どうかな?」

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