第5話 プレリュード

 Cスタジオは五人目が入る余地をギリギリ残すくらいに狭い。

 地下だし、知らない機材が幾つもあるし、天井だって高いとは言えない。何となく薄汚くて、機械と人間の匂いが混じっている。

 人生の新たな地平に進むにはそぐわない環境だと思う。

 凛は下を向く。三人は黙って待っている。

 だけど。

 目の前に居る三人の本気はそれを覆すに足るものだ。

 私を一人前に扱ってくれる姿勢も、真摯に音楽に向き合っているからこそのものだと思う。

 曲も、好きだ。改善の余地はいっぱいあるけど、好きだ。

 凛は前を向く。

 彼女等がそこに居ると言うこと以上に、私の人生が進むことに必要な環境はない。

 思い切り空気を吸い込む。

「よろしくお願いします」

 凛はこれ以上ないくらいに、頭を下げる。

 途端にドラムが響き、ギターとベースがそれに合わせて短い、ポップで明るい歌のない曲、十五秒くらいを弾く。

 顔を上げてその瞬間の音楽に魅入る凛。嬉しさが込み上げる。

 その曲は間違いなく、ようこそ、と言っていた。

「ようこそ」

 三人も口々に呼び掛ける。桃子は笑い、ギターはキメ顔で、ベースは真顔だ。

 渡されたエネルギーが弾けて、凛は思い切り笑顔になる。

「これで凛ちゃんはうちらのバンドのメンバーね。色々決めないといけないこともあるけど、スタジオの時間がまだあるから、その間は私達の他の曲を聴いてみて欲しいな。それでいい?」

「はい!」

「じゃあ、『リビドー』」

 激しくて、切なくて、でも今の歌詞よりもずっといい歌が書ける。私がすれば化ける。

『風の如く』

 これはいまいち。歌詞だけ変えてもどうしようもないだろう。

『魔が刺す二時』

 逆に歌詞が最悪。スリリングな曲は素敵な歌詞があればきっと生きる。

『もぐら』

 これはいい。すごくいい。悔しいけど歌詞もいい。

 もう七曲、自分にとっての新曲を聴いている。いつの間にか相対的にと絶対的に評価をし始めている。自分がやったらどうなるかを描きながら聴いている。

「次で最後だね『歌姫』行くよ」

 桃子が目でマイクを取れと合図するから、急いで掴みに行く。

 いきなりでも歌える。体に入っている歌だ。

 お客さんが居なくてもカラオケになってはいけない。だから、バンドのメンバーはお客さんでもあるのだ、今は。私はヴォーカル。何度もそうなりたいと言った。今度は、この状態でもヴォーカルで居続けることを言い聞かせなくてはならない。

 それでも、気持ちいい。

 ジャン!

「改めてようこそ、凛ちゃん」

「改めて、よろしくお願いします」

「じゃあ、片付けるから、凛ちゃんもヴォーカル関連の機器をオフにしてね」

「はい」

 さらりと、私のことをヴォーカルと、自然なことのように言われて、気が入る。しかし、ヴォーカルの機器はすぐに処理が終わり、待つ。三人とも手慣れていて、数分で出る準備が出来た。

 重いドアを開ける。まるでここに封じ込められていた、私がバンドに加入しヴォーカルになると言う事実を、世界に開け放つように感じる。

 受け付けで桃子が支払いをしている。私は払わなくていいのだろうか。

 促されて出口の階段へ。振り向くと大きくて声の高い店員さんが、がんばれ、とジェスチャーをくれた。一礼してから手を振って地上に向かう。

 外はよく晴れていて、この一時間だけ別の世界にトリップしたのかと思うくらいにすっきりしていて、だけど、私にとってはその前後と言うのは不連続なものになっている。

 階段を上がったところで一旦たむろする。桃子が、凛ちゃん、と呼び掛けて来る。

「これから喫茶店で打ち合わせをするんだけど来れる?」

「はい、もちろんです」

「何時くらいまで大丈夫?」

「私は今日は夜まで何もないです」

「オッケー。じゃあ、やるべきことが終わるまで粘ろう」

 ギターとベースが顔を見合わせている。桃子のとことんは、本当にとことんなのかも知れない。

 駅前広場に一番近い喫茶店は私がドラムの音を見つけた店だが、桃子はそこには向かわず地上二階にある少しレトロな店に入る。

「お煙草はお吸いになられますか?」

 店員の質問に、そうか、バンドマンは煙草を吸うのかも知れない、でもやだな、声に悪い。

「吸いません」

 一人ほっと胸を撫で下ろす。

 四人がけのボックス席で、密談をするのにはとても良さそう。ギターとベースを置くスペースも十分にある。だからこの店にしたのだろう。

 コーヒーを四つ注文して、さて本題が始まるよ、と桃子が身を乗り出す。

「最初は自己紹介から始めようかな。私は桃子。パートはドラム。コーラスも出来るけど、歌のレベルは聴いての通り。このバンドのリーダーをやってるよ」

 桃子の隣に座っているギターが、自分の顔を指差す。

「俺はゲン。パートはギター。コーラスは出来ない」

 凛は頷く。次は凛の横に座るベースの番だ。

「私はポチです」

「え?」

「ポチという名前です。ベース担当です」

「それって本名なんですか?」

 桃子とゲンが吹き出す。ポチもニヤッと笑う。

「違いますよ。子供の頃の渾名です」

「失礼しました」

「全然失礼じゃありません。むしろ、そのツッコミのために名乗っているようなものですから」

 真面目なのかふざけているのか捉え辛いが、笑っているので大丈夫だろう。

 三人の視線が凛に集中する。

「私は、凛です。ヴォーカルをやります。多分、タンバリンぐらいは叩けそうです」

「凛ちゃんは、大学生なの?」

 桃子が問う。

「はい。四月から。上京してきたばかりです」

 ほお、と男二人が反応する。それを流すようにして桃子が続ける。

「私達は三人とも社会人だから、活動するのが基本的に土日祝日になるけどそれは受け入れて貰える?」

「もちろんです」

「時々平日夜にも、ってことになることもあるけど、その辺は大丈夫?」

「急には無理ですけど、前もって分かっていれば、試験前でなければ何とか」

 桃子がニッと笑う。

「大丈夫。試験期間は教えてもらわないと分からないけど、分かっていれば避けられるから。私達も前もって分かってないと動けないのは一緒だから、心配しないで」

 それはそうか。

「じゃあ、グループチャットに入って貰っていい?」

 グループチャットのグループ名は「まりも」だ。

「あの、『まりも』ってこのバンドの名前ですか?」

 ゲンが手を挙げる。

「そこは俺から話していいかな?」

 一同頷く。

「多分、凛ちゃんも気付いていると思うけど、俺達はあるバンドのメンバーだったんだ。それが『まりもビースト』聞いたことあるかな?」

 凛はふるふると首を振る。

「五人組で、この三人の他にヴォーカルとキーボードが居たんだ。で、その二人がデキて、二人だけでやっていけるから抜けると。話し合いの結果、俺達三人が『まりも』、二人が『ビースト』に分かれたんだ。元々キーボードが曲の七割以上を作ってたから、それも協議して作曲者が所属する方だけがその曲を演奏していい、と言うことになって、俺達の曲は三十パーセントまで減った。でも、穏便な形を取ったとはいえドロドロした相手の曲なんてどの道演奏したくないから、それでいいと思っていたんだ」

 それで「まりも」なのか。

「あいつらはヴォーカルが居るから活動はしやすくて、サポートメンバーを入れてすぐに活動再開した。でも俺達にはヴォーカルが居ない。だから探さなくてはならなかった。で、凛ちゃんと出会ったって訳」

 さらっと話してるけど、相当葛藤があっての今日なんだろうな。そして、さらっと話せるってことはその葛藤を脱しつつあるのだろう。

「だから、バンド内での恋愛は御法度。これは守ってくれ」

「分かりました」

 ポチが手を挙げる。

「だから、今の『まりも』は仮の姿なんです。私としては今日、バンドの名前を決めて、グループチャットの題名をそれに変えたい。名前がなくとも私達は始まっていますが、やはり名があることは重要だと思います」

「賛成」

「大賛成」

 ゲンと桃子が瞬時に応じる。凛だけ半テンポ遅れるが、これはこの集団のノリにまだアジャスト出来ていないだけだろう。

「賛成です」

 ポチが続ける。

「『まりも』とは関係ない名前がいいと思います。私としては、凛さんの弾けるエネルギーの感じをバンド名に乗せたいと思います」

 桃子がうーんと唸る。

「最初は自由にそれぞれ案を出そうよ。ねえ、ゲン」

「そうだね。最初はそれがいいと思う。ねえ、凛ちゃん」

「はい」

 桃子が鞄からルーズリーフの束を出して全員に配り、ボールペンもくれる。用意がいい。いや、バンド名を決めるのは今日の最重要課題だったんだ、最初から。

「じゃあ、十分間、シンキングタイム」

 桃子の号令で始まる。リーダーってこう言うことなんだ。

 そしてこんな感じでバンド名を決めるって、イメージしてた天啓で決める感じと相当違う。

 紙に向かう。

 私達の歴史は浅い。それでもここから始まるってのを記念する名前から考えよう。

 駅前広場。

 Cスタジオ。

 喫茶店の四人。

 歌姫。いや、これじゃ私推し過ぎる。

 凛ゲンポチ桃子、略してリゲポモ。ダメだ。並び替えると、ポリモゲ。全然ダメ。

 いったん離れよう。カッコいいのがいいな。

 ファイヤーバード。

 トリック。

 無限。

 ダメだ、ありきたり。でも、ファイヤーバードはカッコいい。バンドの音楽性とも合っている気がする。じゃあ、火関連でいこう。

 燃焼広場。ダイエットか。

 バーニングデイズ。超忙しそう。

 ブレイズテキスト。ネットで炎上した感じ。

 プラズマ。あ、いいね。でもちょっと宇宙感漂う。

 ファイヤーバタフライ。これだ。

「はい、時間です。じゃあ、発表して行って欲しいんだけど、その理由を含めて三個までね、一人」

 桃子は仕切り慣れている。

「じゃあ、俺から」

 ゲン。

「俺はこのバンドのイメージは嵐のように世界を席巻すると言うことで、まず『ハリケーン』」

 ふむ、と言う反応。

「次に『テンペスト』、最後にこれは語感だけだけど『クルックル』」

 うーむ、と言う空気が流れるが、桃子は新しく出した紙に三つをメモする。

「次は私ね」

 桃子は一旦ペンを置く。それをゲンが引き継ぐ。

「私はもう少しポップな感じとエネルギーに溢れた感じを重視して『活火山』『マグマバンド』『ラムネ』」

 ちょっとポップ感が前二者から感じられなかったけど、火っぽいのは私と共通している。継いでポチ。

「私は凛さんのイメージです。『スプラッシュ』『プラズマ』『ファイヤーガール』」

 何と被った。どうも私が入ったことによるバンドのイメージの変化は共有されているようだ。

「次は凛ちゃんだよ」

「はい。私は、このバンドは火のイメージだと思いました。曲とかを聴いてです。で、いいのが二つしかなくて、一つがポチさんと被って『プラズマ』、もう一つが『ファイヤーバタフライ』です」

 ほう。と三者。

 十個の候補をじっと見つめて、四人が考える間。

 桃子が口火を切る。

「なんだかさ、全員、エネルギーの迸るようなイメージを持ってるんだね」

 それを受けてゲン。

「うん。共通のものを表そうとしている感がすごいある」

 ポチ。

「それに即したものに絞りましょう」

 ゲンが、あのさ、と前置きをする。

「俺が出した奴は却下でいいや。俺が描いていたよりももっと俺が捉えたかったイメージを他の三人のがよく表してるから」

『ハリケーン』『テンペスト』『クルックル』に線が引かれる。

「私の『活火山』『ラムネ』もないね。さよなら」

 線。

「私のも、水ではないですね」

ポチの『スプラッシュ』も消える。候補が消えるスピードが早い。

 残りは『マグマバンド』『プラズマ』『ファイヤーガール』『ファイヤーバタフライ』の四つ。

「あの、私、『プラズマ』はエネルギー状態が高すぎると思います」

 控え目に発言する凛の言葉をそのまま受けて『プラズマ』退場。

 桃子が残りの候補を指でなぞる。

「こうやって並べると、『マグマ』もないね。ファイヤー何ちゃらにするのが、いいんじゃないの?」

「ファイヤーガーデンとか?」

 ゲンがさらっとアイデアを出す。桃子が頷く。

「そう。そうやって、ファイヤー何ちゃらを一回広げてみようよ」

 第二ラウンドに自分のアイデアが残ってるのが嬉しい。

「ファイヤーウォール」

「ファイヤーフライ」

「ファイヤードラゴン」

「ファイヤーハンド」

 ファイヤー、リリック、ヴォイス、パッション、タイム、マン、ブック、ベアー、バンド、バグ、キャット、タイガー……。

 四人でファイヤーファイヤーずっと言い続ける。

 いいのが出ない。拡散だけしてゆく。

 一旦、戻した方がいい。凛はだからわざと言った。

「ファイヤーバタフライ」

 ピタッ、と三人の「ファイヤー」が止む。

 それぞれがお互いを見合う。そして頷く。

「それだ」

 口々に言う。長い旅路の果てに辿り着いたのは最初の場所だった。

 桃子が、ファイヤーバタフライが一番しっくり来る、と言えば、ゲンもポチも、俺も、私も、と続く。

「私も、そう思います」

 共謀者の沈黙。高まる集中。臨界点まで待ってから桃子が着火する。

「じゃあ、決まり!」

「イェーイ!」

 ハイタッチをしあう。初めてメンバーに触れた。ギタリストもベーシストもドラマーも、同じ人間だと思った。

「これより、私達のバンドは、『ファイヤーバタフライ』を名乗ります」

 拍手。

「じゃあ、バンドとして最初の活動をするよ。凛ちゃん、スタジオでの曲はどうだった?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る