第4話 返事
薄暗い窓の外、雀の声。布団の中。
駅前広場でジャンプした前後のことが風が吹き上げるように体に戻って来る。
胸が小さく高鳴る。
現実。今と繋がっている。
「私」
自分の声が強く響く。その力に押し出されるように、次の言葉が出る。
「ヴォーカルになるんだ」
自分の決意を外からなぞるよう。
時計を見れば六時、学校まで二時間もある。昨夜、バンドと歌った興奮と連絡待ちで眠れないだろうと備えて、早く床に就いた。すぐに泥のように眠って、今。
時間がある。歌のことをしよう。静謐の中で、しよう。
凛は、声を出すのは近所迷惑だからと歌詞を書き始める。何を歌にするのかで躓いて、ぐるぐると回って、気が付けば出発の時間になっていた。歌関係の一式を鞄に入れて、学校に向かう。
通学路。凛はこの一週間で自分に起きたこと、自分が起こしたことを反芻する。誰に話すためでもなくて、今の自分の場所を確認するためでもなくて、その強烈なインパクトをなぞらずに居られない。
私はヴォーカルになる。きっとあの三人は私を選ぶ筈だ。
授業とは関係のない意気込みが漏れ出ている状態で教室に入る。たむろしていた男子が凛の気配に道を譲る。
階段教室の一番後ろは凛の指定席だ。追いかけるように祐里も来る。
「おはよう。昨日はすごかったね」
「おはよう。実感がまだ体に残っているよ。でも、昨日は爆睡した」
「そりゃあ、ゴールデンウィーク中ずっと歌って練習してを繰り返していたんだもん。流石の凛でも疲れるよ」
そうだよね、と言いかけたときに、先生が入って来た。教養過程の「文学」で、先生はナイスミドルと渾名されている、スマートな中年男性。凛からしたらどこがいいのか分からない。血が熱くない感じが反りが合わないのかも知れない。
教壇に上がるナイスミドル。教室が静かになる。その静かさよりも彼自身の方が静かなように思う。
それでも、壇上ならば何かを講義するので、彼は声を出す。その予備動作の瞬間。
パラッパラッパッパッパー!
陽気なラッパの音が教室中に響き渡る。殆どの生徒はそれが着信音だと分かるのだろう、振り向かないが一部が凛の方を見た。
コホン。咳払いをするナイスミドル。
凛は音を消し忘れていたが、悪意があってのことではない。メールの着信音を消し忘れていただけだと言う意志を伝えるために、立ち上がって一礼する。
ナイスミドルの方も軽く頭を下げる。しかし、何かのタイミングが狂ったのか、そのまま壇上を黙って歩いている。
その隙に凛はメールを確認する。
ナイスミドルが教壇の中央で構えたとき、凛は勢いよく立ち上がる。殆ど飛び跳ねた。
「やったー!」
今度こそ教室中に声が響き渡った。概ね全ての目が凛を捉える。
祐里が苦虫の顔で凛の服を引っ張る、座れのサインだ。
凛は衆目の中、着席する。
壇上から、ずっと強烈な咳払いが聞こえたので、三度立ち上がって、頭を下げる。
『凛さん
協議の結果、あなたに私達のバンドのヴォーカルをやって欲しいと結論しました』
「『つきましては、土曜日の二時にスタジオ『音楽広場』に来て下さい』だって。祐里、やったよ。私選ばれたよ!」
「それは良かったけど、授業中に叫ばないでよね」
祐里が、私が恥ずかしいんだから、と言う顔をする。
「ごめん。でも人生で二度とこのシチュエーションはないから安心して」
凛がへらっと笑う。その表情がおかしかったのか、祐里がつられて笑って、やれやれとため息をつく。
「ちゃんと返信はしたの?」
「そりゃしたよ、授業中に、すぐ」
「でも、凛ってスタジオって行ったことあるの?」
「ないよ」
平然の凛。スタジオの経験など、歌うことに付随するものでしかないので構うべきものではない。物事の主従がはっきりしているからこその余裕だ。
「そっか。ま、そうだよね。どうだったか教えてね」
「もちろん。私の物語は祐里に伝えることで完成する」
「彼氏が出来ても同じことが言えるかな?」
祐里が悪戯っぽい顔をする。凛はそれにちょっと押される。
「それはなってみないと分かりません」
棒読みで答える。
学校がスタジオまでの繋ぎの時間のように感じた二日間。
二時の本番の準備のための半日と化した午前中。
昼食を軽く摂って、いよいよスタジオ「音楽広場」に向かう。場所はこの前の駅前広場からそう遠くない。
地下にある。そのぶっきらぼうな階段は少し踏み出すのに勇気が要る。それでもこの先にしかゴールがないことは分かっている、進む。
壁にはチラシのような、ステッカーのようなものが所狭しと貼ってある。階下に降り立ち、入り口のドアを開けると、体中に金属を埋め込んだような人と、黒の革ジャンのおじさんと、スキンヘッドにこれまた革ジャンの三人組が立っている。柄が悪いとか素行が悪いとかを証明するものではないけど、近寄るのに勇気の必要な一団だ。
しかしそこを抜けないと受け付けには達せない。
三人は立ったまま何かを喋っていて、彼等が順番待ちをしているのか帰る間際なのか見当が付かない。だから待てば居なくなるのか予測が立たない。
しょうがない。
凛は覚悟を決める。
「あの、すいません、受け付けはこっちですか?」
「あ、すいません。邪魔でしたね。あそこが受け付けです、どうぞ」
スキンヘッドは低姿勢で親切で、道を開けてくれた。そうか。ここは音楽をする人が交差する場所だから、外の世界では舐められないようにとか、ロックな俺の主張をしていても、ここでは緩く仲間と言うことになるんだ。先入観にとらわれずに、私もちゃんとしなくてはいけない。
受け付けには二メートル近い大男の店員さんが長い前掛けをして立っている。
「あの、二時に予約している……」
バンド名がない。一体何と言えばいいんだ。
「はい。どうしましたか?」
店員さんの声が信じられないくらい高い。さっきまで街を歩いていたら出会わないような人がこの地下にはゴロゴロ居る。きっと店員さんも音楽をやっていて、私のライバルの一人なのだと思う。
「あの、二時に予約を、仲間がしているんですけど、何て名前で入れてるか分からなくて」
「そうですか。二時から始めるのは二組しか入ってないですので、可能性のある単語を言っていただければ、当たりを付けることが出来ますよ」
可能性。つまり私が知っている全てのこと。
「凛」
「ないですね」
「スカンク」
「いえ」
「全部で四人」
「両方ともそうです」
「ギター、ベース、ドラム、ヴォーカル」
「それもそうです」
「桃子」
「あ、桃子さん」
店員さんの表情がぱっと明るくなる。知り合い以上の人だと言っている。
「桃子さんのバンドの新メンバーの方ですか」
「はい。今日上手く行けば正式加入となります」
うんうん、と頷いて、店員さんはゴソゴソと何かを出す。
「じゃあ、桃子さんの方と言うことで入って頂くのですけど、最初に会員登録をして下さい」
それもそうか。
登録を済ませると、店員さんがわざわざ案内してくれる。
部屋に入ると、誰も居ない。時刻はジャスト二時。
「スタジオのシステムと言うのは、予約の時間になった後に部屋に入れるんです。だから早く来ても待ち合いで待って頂くことになります。だから、ギリギリに来る人が多いですね。で、退出の時間までに片付けを済ませて、出るのも時間厳守です。だから、メンバーの方は今頃到着されているんじゃないですかね」
高い高い声で、懇切丁寧に説明してくれる。
「パートは何になりますか?」
「ヴォーカルです」
「じゃあ、マイクのセッティングの仕方を説明しますね」
凛がレクチャーを受け始めたその瞬間に、ドヤッ、と三人が入って来た。
「あ、凛ちゃん。早いね、いいね」
桃子が嬉しそうに呼ぶ。でも、いつの間に凛ちゃんになったんだ。それでも大事なことが先。
「あの、よろしくお願いします」
凛はマイクを片手に深々と頭を下げる。
「うん。そんなに固くならないでね、まずは説明をちゃんと受けてね」
喋りながら桃子はドラムの準備を進めている。ギターとベースも各々セッティングをしている。
マイクのレクチャーは終わり、店員さんが部屋を出ると、ガシャン、ゴシュ、と圧力のある音を立てて入り口のドアが閉められる。それを見届けて、三人の用意を待つ。
ドッドッドッドッ。スタタン。シャーン。
ボベべ、ブゥーン、ドゥンパッドゥンパッ。
パリピロピプピロ、ッジャーン。
バラで聞くとそこまで魅力的ではないのに、あの日まとまったときにはあんなに素敵だった。面白い。バンドするってのは、足し算じゃなくて掛け算なんだ。だから、あのうねり声のヴォーカルが入ったときに、それが全部マイナスになったんだ。
桃子が呼ぶので近付いて行ったら、マイクをドラムのところに設置して欲しいとのこと。言われた通りにする。
元の場所に帰ったら、それぞれが出していた音が止んだ。
「凛ちゃん。私達はあなたを選んだ。でもやっぱり、その上であなたが私達を選ばないと、バンドにはなれないと思うの。だから、私達の今の最高の曲を三曲聴いて、決めて欲しい。私達を選ぶか、そうしないか。絶対に後悔しない方を選んでね」
ギターとベースが頷く。
胸がぎゅっと締め付けられる。
拳に力が入る。
この人達は私を対等に見てくれている。明らかに歌を真剣にやり始めたばかりの私を。
でもその想いを詳らかに理解する時間は与えられない。
「行くよ。まずは『スターダスト』」
ベースラインだけが走る。走る。
そこにギターが霞のようにときに被さる。
急展開でドラムが燃え盛る。同時にギターが吠える。
ギューンと一回静かになったところで歌が始まる。桃子が歌っている。
Aメロは静かに、Bメロは雄々しく、サビは曲名の通り星が降るようだ。
間奏がベース主体にまた戻り、それを優しく二人が飾る。また燃える。
二番が終わった後にクラッシックならコーダと呼ぶ場所に、元のベースラインに星を散りばめたようなギターが乗って、終わる。
凛は思わず拍手した。おざなりのものではない。自分の内で曲に照らされた部分が燃えて、行動として拍手をしたのだ。
三人はそれに反応せず、すぐに桃子がカウントを取る。
「『指』」
今度は最初からギターが主体で、リフが無限を感じさせる。
そのリフを残しながらメロディーが始まり、Bメロ、サビ、と一連の流れの内側にある。繋がりがあることが曲に良い意味でのうねりを生んでいる。間奏にもリフが登場する。二度目のサビが終わって、後奏にもリフがある。
また拍手する凛。一曲目よりは熱が弱い。
「『届け』」
バラード。しっかりしたベースラインの上に、ギターはしかしエッジの効いた音を重ねる。テンポが遅いせいか、ドラムの正確さがよく分かる。これは絶対にヴォーカルが歌うべき曲だ。メロウな主旋律はすごくいいのだけど、ここにこそ私が必要だ。
優しく曲が終わる。
凛は再び拍手をする。
「私達はこう言う曲をやる。ロックだけど少しポップ寄り。さあ、どうだい?」
三人の視線が凛に集中する。
恐らく、人生最大の決断の一つが、今だと思う。
凛は唇をキュッと引き締める。
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