第3話

早くしないと始まっちゃいますよ。あいつが言うもので、私は駆け足だ。

渋谷のハチ公まえはいつもざわざわと騒がしい。流行の発信地なんて呼び方、昔テレビで聞いたことがある。実際のところ、行くと背伸びしたかんじになる。すごく居心地が悪い。でも、オシャレな店に入ると背伸びしたかんじになるし、居心地が悪いから、つまり、この街はオシャレなのかもしれない。そういうことなら、納得できる。ひとがウジャウジャいるのも、ゴミがいっぱい落ちてるのも、なんか臭いのも、全部まとめてドライでアーバンみが強い。それは悪徳商法のお兄さんたちが身なりを着飾って、お腹の中に欲望を抱え込んでいるのに似てる。

華々しさと汚らしさは表裏一体、ニコイチ、ズッ友だと思う。

だから私は渋谷の街って気を張っちゃうけど、こいつはそんなことないみたいだった。

「渋谷でアイドルのイベントなんてあるんだね」「なに言ってんすか、渋谷はアイドルの街っすよ」「え、秋葉原じゃないの」「あそこは外国人の街っす」。正直、都心にほとんど行かない私はそういう情勢の移り変わりに疎くて、単純にふーんってなってしまった。で、ふーんなんて顔をしちゃったもんだから、そこからあいつは堰を切って唾を飛ばし始めた。仕方がなくラジオ代わりにその話を聞いて歩いたわけだけど、要約するに、すこし売れてきた地下アイドルのライブが盛んに行われているのは渋谷らしい。オーイーストと愉快な仲間たちみたいな名前を言ってたけど、あんまりしっかりとは記憶にない。今日行くのはタワーレコード渋谷店で、地下にライブハウスくらいおっきなイベントスペースがあるそう。お金なんて持ってきてないけど大丈夫かなって呟いたら、大丈夫っす無銭にきまってるじゃないすかって返ってきた。

しばらく歩くと黄色いお店が見えてきた。一階入口の中央にあるでっかいモニターのなかでは、足の長い女の子たちが踊ってる。きっと韓国のアイドルにちがいない。キラキラしてポップでかわいらしい。その横をあいつは事もなげに通り過ぎると、学校のお昼休みみたいに軽い足取りで階段を駆け下りてゆく。

すこしうねった通路を通ったその先は、暗かった。暗かったけど、たしかにわかる。めっちゃ広い。きっと敷地全体ぶち抜きなんだ。だからそこらへんのライブハウスなんかより広いと思う。そんで、いっぱいひとがいた。私たちはその最後尾のちょっぴり空いた隙間を見つけて、陣取る。ステージなんかほとんど見えなかった。女子にしては背が高い私だけど、見えるのは男のひとの頭ばっかりで、たまにチラチラって、「あ、あそこにステージがあるんだ」ってかんじ。

「ねえ、BIRTHって人気なんだね」

「え、何言ってんすか。今日BIRTHじゃないすよ」

「え?」

その時、会場中から声があがった。

私は背伸びして、ステージを覗こうとしたけど、やっぱり全然見えない。「何々ちゃん」とかそれっぽい声があがるなか、ご他聞にもれず、あいつも隣でバカでかい声をあげた。

「ひなのてーん」

ひなのてん? 私が肘で小突くと、結構デカめな声量でなんすか、とこっちを振り向く。

「それ、あなたの好きなアイドルの名前?」

「そうっすよ、ひなのしか勝たん」

あの左から二番目の子っす。チラッと隙間から見えたのは黒髪のサラサラストレートの女の子だった。黒を基調とした衣装で、なんだかスラッと縦に長い。顔とかはほとんど判別できないけど、なんとなく綺麗系なかんじかなって思う。

入場の騒々しさがあらかた落ち着くと、音楽が流れた。

やったーって、ものすごくバカっぽい叫び声があがった。ちらっとあいつを見る。またあのにやけ面になっていた。口ぱっかーん。いまにもヨダレ垂らしそう。ていうか垂らしてるのかも。暗くてわからないけど。足を肩幅より広く拡げて、ぴょんぴょんと軽く飛び跳ねてる。

お客さんはみんな揃って「うっ」「はー」みたいなことを言い始める。それで手をパンパンパンって叩く。しゃーいくぞって言ってるのかな。とにかく声が汚いから、それすら怪しい。それでまたあのご存じのやつ。なにをいってんだろってすこし気になってきちゃってるのが悔しい。リズミカルで気持ちいいな、みたいに感じちゃってる。

アイドルたちが歌いはじめると、あいつは急にダンスみたいのを踊りだした。バンドのライブなんかでも見るやつだ。ツーステップって名前だったっけ。地面を見て、それをしてる。いや、ステージ見ないんかいってかんじだけど、よく考えたらステージなんかほとんど見えない。でも、すっごく楽しそう。ヘラヘラ感が身体中から滲み出てる。

目の前にいた厚底を履いた女の子が怪訝そうな顔をして、あいつから距離を取ったのが見えた。隣のお友だちの腕を握って、その子のほうに思いっきり身体を寄せる。私はなぜだかすこしだけ……ムッとしてしまった。いや、そんなに距離取らなくても当たらないでしょって思ってしまった。現に隣にいる私にもぶつからないようにこいつは気をつけてるのに。そもそもライブ観にくるのに厚底って、なんか、ロックじゃない。

それから何曲か曲が続いたけど、どの曲もカッコよかった。聴いたことのない曲なのに、自然に身体が動いちゃう。もしかしたらこいつみたいに掛け声いれたり、ステップ踏んだらもっと楽しいのかなーー。

すっごく、悩んだ。どうしようどうしようって。でも、こういう時に出す答えは、私のポリシー的にひとつしかない。

なにごとも、経験だ。失敗することは恥ずかしいことじゃない。

MCですこしフロアが静かな時に、小声であいつに声をかける。

「やいやい」

「ん、なんすか」

「あの、しゃーいくぞのあと……アレなんて言ってんの」

「スタンダードっすか。タイガーファイヤーサイバーファイバーダイバーバイバージャージャーっすよ」

「え、あれ全部べつのこといってんの?」

「ふっ。そうっすよ、ちゃんと聞いてください」

なによ、ふって。鼻で笑うな。もぐぞ。

「次の曲もアレある?」

「そうっすね、曲数的にも次ラストの曲なんで、多分。いつもどおりのセトリなら、一番最初に入ります」

「わかった。なんていってるか、ちゃんと聴いてみる」

「べつに覚えてないなら、適当に似たようにいってみたらいいっすよ。どうせ誰もまわりの声なんか聞いちゃいないっす」

「……そっか」

ーーはい、ということで、次が最後の曲になりますーー

MCが終わる。私は唾を飲んだ。よし。なにごとも挑戦だ。タイガーしか覚えてないけど大丈夫。誰も聞いちゃいないんだ。

曲が流れる。

あいつがうわ、まじかよって大声で叫んだ。

経験即的にそろそろうっはー言いはじめる……。

「ワ、ワ、ワ、ワ、ワ、ワ、ワールドカオス」

いや、なにそれ。

なんかバチバチ日本語並べ立ててる気がするんだけど。

てか、え、歌はじまっちゃったけど。

それからしばらくして、なんかよくわからないタイミングでスタンダードだっけ、それっぽいの入ったけど、こいつの言いつけどおりにして出鼻をくじかれたおかげで、私は一言も発せなかった。

結局、いままでと同じように私は棒立ちのまま曲が終わり、アイドルたちは頭をさげて、去っていく……。

「やい」

「いや、まじで神セトリでしたね。最後にやった曲、唯一、開幕混沌入るんすよ」

ギラッギラにキマッた目をして私に唾を飛ばしてくる。漫画なら機関車みたいに鼻から白い息が飛び出しそうなほど興奮してる。よかったね。私は全然よくないんだけど。

「ねえ、タイガーは」

「あーいつもとセトリ違いましたね」

なんだよそれ。私が眉をひそめていることもお構いなしに、あいつはさ、帰りますか、とスキップしそうな勢いで私のまえを歩きはじめた。

階段を登って、足の長い韓国アイドルのまえに戻ってくると、辺りは結構暗かった。もう二十時まえだから当たり前だけど、ビックリした。時間も忘れてってこういうことなのかな、楽しかったからあっという間にかんじたのかもしれない。

そう、正直いって、かなり楽しかった。

でも、私は外の空気を吸って、平静を取り戻しつつあった。

いやまてよ。逆によかったなって。なんで私ジャージャーいおうとしてたんだろうって。

会場の雰囲気に呑れて、いってもいいかなってなっちゃってた。歓迎会のカラオケを思い出す。気持ち悪いってみんないってたし、私も気持ち悪いと思ったはずだ。危なく「あっち側」に片足を突っ込むところだったと思うと、こいつのいう「いつもの曲」がこなくて正解だったとしか思えない。

なのになんでこんなに釈然としないんだろうな。こいつの楽しそうなかんじを見てると、固定概念ですっごく損をしてる気がしちゃう。

「楽しかった?」

「最高でしたね、できれば接触も行きたかったっすけど、あのセトリ聴けたら文句ないっす」

「接触?」

「チェキ撮るんす」

「え、そんなことできるの? さっき歌ってたひとたちと?」

「そうっすよ。女の子ならハグなんかもできます」

「すごいね。あなたもチェキ撮るの?」

「もちろんす。今度チェキ帳見せますよ」

「いや、いい……まって、やっぱりすこし見てみたいかも」

そんなことを話しながら、電車までの道のりを歩く。行きよりもゆっくりとした速度で、隣を歩く。渋谷の街を制服の男女が横並びになって、おしゃべりしてる。

あれ、これ大丈夫かな。

まさかーーカップルとか思われてないよね。

焦って周囲を見渡す。そう考えはじめたら、なんとなくみんな私たちを見ている気がする。学生カップルを見る目をしてる気がする。そんな目に晒されたことないけど、それっぽい気がする。急に胸がソワンって持ち上がる感覚が襲う。ジェットコースターの落ちるときみたいなかんじだ。嫌だ。なんかすっごく嫌だ。

「や、やい!」

「ん、なんすか」

なのにこいつはスマホの画面に夢中だ。なんでこいつはいっつもこんなに自信満々というか鈍感というか、こんなヤツなんだ。堂々としやがって。

「え、なんすか」

勢いに任せて声をかけてしまったけど、話したいことなんか特になかった。けど、まだ駅までの道のりは結構ある。困った。私は必死に話題を探す。手汗えぐい。……そうだ、そういえば。

「ねえ、まえの女のひと、厚底履いてた、あのひと、すごく嫌そうな顔してたよ」

「あーまあ仕方ないっすね、いつものことっすよ。どうせまた叩かれるんだろうなあ」

「叩かれる?」

「ツイッターなんかでね、悪口言われるんすよ。今日のライブで変なやつがジャージャーうるさかったって」

「え、そうなんだ。嫌だね」

「まあ仕方ないっす」

私はあの時の女のひとの顔を思い出した。あのひと、ライブ中もたいして乗ってるかんじじゃなかったし、たまにスマホなんかも見てた。私はまたすこし、嫌な気持ちになっていた。

「でも、あのひと、全然楽しそうじゃなかったよ」

あいつはそれを聞くとすこしビックリしたような顔をしてから、顔のまえで手を振った。

「いやいや、きっとそのひとも楽しかったはずですよ。逆にぼくのせいで嫌な思いしてるかもしれないっす。楽しみ方なんてひとそれぞれっす」

「あなたは嫌じゃないの? 叩かれたりするの」

「嫌に決まってるじゃないすか。でもーー楽しい思いだけして、嫌な思いしないで済むなんてムシがよくないすか。だから、べつに気にしないっす。仕方ないっす」

こいつはそういうけれど、すこしだけ、悲しそうに見えた。

駅前のスクランブル交差点を渡り終えると、あいつはじゃあぼくこっちなんで、と地下鉄のホームを指さす。私はJRだ。

みんな楽しくて、みんな嫌な思いをしてる。まるで、渋谷の街みたいだ。

でも。

私はあいつの背中に向けて、すこしだけ大きく声をかけてやった。

「私はーーあなたの楽しみ方のほうが楽しそうだと思う」

あいつは振り返って、胸のまえでアッパーをした。なんかすごく嬉しそうだった。

「今度は接触行きましょうね」

なんか照れ臭いから、そっぽを向いて、お別れの挨拶代わりに、いつもどおり言ってやった。

「いかないけどね!」

改札に向けて歩く私の笑顔はきっと、あいつには見えてなかったはずだ。

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