第2話
アイドルへの造詣はあまり深くない。『三度の飯よりタピオカ好きのユメカワ日本代表』みたいなイメージだ。小学生のころ、すこしだけアイドルを好きだった時期はたしかにあった。ていうか、そんなのはみんなある。魔法少女好きになったり、非行少年好きになったり、ユーチューバー好きになったり、そのくらいのレベルでアイドルも好きになった。私くらいのエリート一般人ともなれば「ああ、ご存じ、その時期ね」みたいな人生周期はあらかた通過させてもらっている。
そのころ流行っていたアイドルというのは、たくさんメンバーのいる大所帯グループだった。50人弱の女の子たちが綺麗に揃って、歌って踊る。キラキラした宝石のアソートみたいな。
じつはそのグループのライブには、友だちの付き添いで行ったことがある。光る棒のひとつも持っていなかったから、ずっと保護者のように優しい拍手をして見てたけど、まあそこそこ楽しめた。
でも、あいつの「アイドル好き」は明らかにそれとはちがう気がする。なにかもっと並々ならぬ熱量を感じさせる。もはや狂気に近い。なんとなくそんなことを考えていたら、あいつの言っていたアイドルが気になってきてしまい、スマホで検索をかけた。
最初に出てきたまとめサイトの見出しは『いまアツい地下アイドル十選』。なるほど、BIRTHは地下アイドルという分野に属するらしい。地下アイドルという言葉自体は聞いたことがある。なんとなくだけど、秋葉原の小さなステージとかで歌って踊っていそう。衣装とか手作りで。けど、曲はそんなにチープなかんじじゃなかった。ジャージャーうるさくて聞き取りづらかったけど、むしろすこしかっこよかったかもしれない。ワイワイしたくなる気持ちもすこしわかる。
そのまま流れで動画投稿サイトも調べてみたら、ライブ映像が上がっていた。
まず最初に驚いたのがそこそこ大きなライブハウスをパンパンに埋め尽くすお客さんだった。私の想像では四、五人のおじさんたちが光る棒振ってるみたいのだったんだけど、全然違った。ミュートにしてステージ映さなきゃバンドのライブっていわれても信じちゃうような、酸素の薄さとか熱気が伝わってくる息苦しいかんじのフロアだ。
ステージの女の子たちもみんな汗だくだった。なんていうか、取り繕ったかんじがあんまりない。もちろん、衣装がふわふわだったり髪がチュルンチュルンだったりするから、まったくないわけじゃないけど、立ち居振る舞いっていうかな、可愛くいようというより、ライブにたいして真剣っていう表情をしてる。
彼女たちのダンスに合わせてフロアのお客さんたちは手を上げたり、飛び跳ねたり、身体を揺らしたりする。ご存じ、ジャージャーも聴けた。カラオケで聴いた曲とはちがうけど、ジャージャー自体は似たようなやつだ。どんな曲にたいしてでもやるんだな。でも、意外と揃うとそこまで悪くない。応援してるぞ感はある。
それより、とにかくぎゅうぎゅうで苦しそうなのにーーなんだかとても幸せそうに見えたのが印象的だった。
そういえば、あいつも満面の笑みだった。
思い出してみると、ほんとうに変なやつだ。私だったら、先輩たちのまえであんなに緊張感の欠片もない顔して、お腹いっぱいお菓子食べて、歌も歌わず呪文を唱えたりできない。絶対に初級職じゃない。何個かジョブをマスターして、転職してるクチだ。正直、ほんのすこし、アリンコの足くらい……いや、ミジンコの手くらいちっちゃくだけど、尊敬できるし、興味が湧いてる。だからあいつのこと、観察してやらないこともないなと思う。
なのに、放課後になるとあいつはいない。クラスが違うから、違和感がないようにすこし自分の教室でのんびりしてあいつの教室を見に行くけど、絶対いない。さりげなくいろんな部活を見て回ったけど、どこにも入っていないみたいだーーちなみに、私も結局どの部活にも入ってない。カラオケでパーティーして頭を悪くするのはすこしおあずけにした。
もしかして、あいつ、アルバイトとかしているのだろうか。それでいろんな人種と関わって初級職をマスターしている可能性も考えられなくはない。いや、それにしても、こうも毎日毎日放課後すぐに帰らなければいけないほど働くものなのかな。
なんてふうにいつもどおり、いろいろ考えながらブラブラして、いつも通り校門を抜けて、学校から一番近くの在来線の最寄り駅前に着いたら、あいつがいた。普通にいた。ホームで電車待ってた。音楽を聴きながら手足をプラプラしたり、首を回したり、ちいさくジャンプしたり。アスリートかよ。けど、あいつが立っているのは、私の乗る電車と反対行きのホームだ。どうしよう。
一瞬ためらったはずなのに、気づいたらなんか小走りしてた。なぜ。あいつのために小走らされるような筋合いはない。けど、なんか小走りしていた。風が気持ち良かったし、いいかなって、そうやって納得した。そういえば四月も終わりそうで、すこしだけ暑くなってきていたから、いいかなって。
そいつの真後ろについた時、まだ電車は来ていなかった。すこし息を整えて、前髪も整えて、軽く咳払いで喉の調子も整えて、私はそいつの背中あたりにカバンをぶつける。
「やい」
そいつは驚いた様子で振り向いて耳に刺したイヤホンを抜くと、おお、と飛び跳ねてみせた。
「え、なんすか」
「いま帰りなの?」
「え、はあ」
「早いね」
「はあ」
なんか、このかんじあれだな。
多分、こいつ私のこと覚えてないな。
「ほら、カラオケであったじゃない。軽音部の歓迎会の」
「あ、あそこにいたひとっすか」
「誘ってきたでしょ。BIRTHのライブ」
「ああ!」
そこでやっと点と点が繋がったってかんじですこしにやけたそいつは、嬉しそうに首を縦に振る。
「覚えてますよ」
覚えてるの定義ガバガバだな。まあいいけど。
「なに、アルバイトとかしてるの」
「してないっすよ」
「そっか。じゃあ帰り?」
「今日はアレっすね、リリイベっすね」
「リリイベ?」
「CDのリリースイベントっす。一緒に行きますか」
「行かないよ」
その時、電車がホームに滑り込む。そうすか、残念すって聞こえた気がした。電車の音にかき消されたからわかんないけど、多分言ったと思う。
電車に乗り込んだそいつはあの日みたいにニヤニヤしながら、じゃあと嬉しそうに手を挙げた。私もじゃあって片手を挙げたけど、なんだろうな、このかんじ。
良いのかなって。
なんかもう、なんて言ったらいいかよくわかんないけど。
気になってしまった。
私はドアが閉まるギリギリに駆け足で電車に乗る。
普通こういう時って、ドアが閉まって、電車が動き出して「あ、私なにしてんだろう」ってなるのが望ましい。驚くあいつと驚く私。ふたりは向き合ってしばらく無言が続く。そういうのってなんか、少女漫画っぽい。べつにこいつと恋愛するつもりがあるわけじゃないけど、人間は常に物語の主役でいたいものではないか。
けど、現実は私が駆け込んだせいでドアが再度開いた。車掌の腕前と漫画みたいな展開の対決は、見事に車掌に軍配が上がった。
危ないでしょう、と四十代くらいの主婦に叱られて、私は頭を下げる。駆け込み乗車はおやめ下さいなんてアナウンスまで流れる始末だ。なんていう羞恥プレイだろう。
なのに、あいつはというと、乗り込んだドアと反対側のドアに背中を預けて、スマホを眺めてる。知らんぷりしてやがる。
腹が立ったから近づいて、またカバンをぶつける。
「やい」
「……いや、なにしてるんすか」
「連れてけ。リリイベとやらに」
そいつは周囲をキョロキョロ見回して、怪訝そうに私を見る。
「なんか、変わってますね、言われません?」
「あなたに言われたくない」
どこに行くかも知らないけど、腹が立つから聞いてやらない。どこまででも着いてってやる。私もスマホを取り出していじり始める。視界の隅っこで私を見ていたあいつが首をひねってスマホに目を落とす姿が見えた。
そんなのが私の地下アイドル現場デビュー日、最初の思い出になった。
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