ジャージャーうるさいヤツと私
どばすぃ
第1話
人生とは何事も経験だと私は思う。
だから、私はどんな恥ずかしい姿を見せることもたいして苦じゃない。なぜなら、経験を積むということは失敗を重ねることだからだ。そうやって人間は大きくなっていくものではないか。そしてそれは当然、恋愛に関してもおなじことが言えるはずなのだ。
しかし、残念ながら私には現状彼氏がいない。ていうか、生まれてこの方いない。まあこれまで私に彼氏がいなかったのは「さすがにあんまりにあんまりだな」みたいなひとしかいなかったからで、べつにそんなひとたちで無駄に交際人数を稼ぐことがイコール人生経験とは思っていないから、そんなこと悩んじゃいない。どうだっていい。けれど、困っている。いまはすごく困った状況にある。
正直な話、私は悪くない。
悪くないというのは、女としての話だ。こういうことはあんまり口にするべきじゃないと思うけど、実際、悪くないもんは悪くない。顔もスタイルも性格も、成績だってそう。卑屈になるような部分はべつにない。そりゃあ、モデルとか女優みたいなひとと比べたらアレだけど、ふらっと街を歩いてナンパもされるし、クラスメイトから告白されたこともあるくらい、悪くない女だ。
あと、異性に求める理想もとりたてて高くはない。たとえば、イケメンアイドルがテレビに映っているとする。それを見る分には嫌な気持ちになることなんてないし、むしろまじかっこいいじゃんって思うこともある。ドラマとか観て「は? クソ胸キュンなんですけど」みたいな気持ちを抱かないでもない。とはいえ、かなりドライに現実を見ている。いや待て私、これはフィクションぞ。と常に自身を戒め、警鐘を鳴らし続けることをやめない。
だって、冷静に考えて、イケメンアイドルは住む世界が違うからまず一般生活で知り合うことはないし、仮に知り合ったところでふたりの間にドラマチックが生まれる確率は限りなくゼロに近くてブルーになってしまうし、万が一付き合ったところで育ってきた環境が違い過ぎてすぐに関係が冷めるはずなのだ。
だから、私はきっとこれから最低限のレベルをクリアした普通の男性と付き合ったり別れたりして、様々な経験を積んで、なんとなく意気投合した普通の価値観の男性と結婚する。
それで上々、最高、なんにも異論はない。
と、思っていた。の、はずだった。
じゃあなんでそんな私がその最初の一歩ーー初恋なんていうもので、こんなにもつまずいているかと言うと、私の好きになってしまった相手というのが普通の価値観を抱いた殿方ではなかったからだ。
もちろん、相手はアイドルではない。
むしろその逆ーーアイドルを応援する男なのである。
事の始まりは四月に遡る。華のJKとなった私は、そういうところ割と年相応に夢見がちな可愛い一面があるから、まじそれはもう華やかな学生生活がはじまると信じて疑わずにいた。すこし舞い上がっていたところがある。それは認める。どれほど舞い上がっていたかというと、軽率に軽音部へ入部しちゃうくらいには舞い上がっていた。頭韻を踏んだわけじゃない。とにかく、なんかロックってかっこよくね? と思って、軽音部に入部した。
正直ロックなんてほとんど聴いたことがないと胸を張って言える私だけれど、ビートルズが見たら「悲しいことがありました」ってツイートするだろうなってくらい、ウチの学校の軽音部はロックじゃなかった。一安心した。とりあえずなにかあれば、カラオケ。お菓子会。海行こうよ。山行こうよ……さすがの私も、いやいや、お前らまずスタジオ行こうよって思うような部活だった。
そんな部活に新入部員が来るとあれば、当然のように歓迎会が開かれる。
都内某所のカラオケルーム、お菓子を持ち込み、自己紹介などをした後、J-POPとも邦楽ロックとも取れるような曲を適当に先輩たちが歌い、それを聴く後輩たちはコーラスやらコールアンドレスポンスに勤しむ。あな愉快。つい最近まで、息も絶え絶えに高校受験の戦場で戦っていた私は、これほどまでに脳みそを使わなくていい時間があるのか、と感嘆した。その時の私の顔を絵に描くのなら、恐らくだいぶエッジの効いたあおり目線だったにちがいないーー要は相当小馬鹿にしていたのだ。
一時間ほど立ったころだろうか、ああ、こうやって頭って悪くなっていくんだな、なんて考えていたその時、そいつは現れた。
なんかよくわからんロゴの入ったTシャツにハーフパンツ、そして、よくわからん満面笑みのやつだった。
先輩たちの歌が一瞬止まる。そいつはニヤニヤした面のまま、ごめんなさい、遅れました、と元気な声をあげた。
どうやら一年生らしいそいつが全身から醸し出す全てのムードが、まあ異常だった。
そいつは誰とも話すことなく、さも最初からそこにいましたみたいな面で硬い黒革のソファの空いたところに座り、それから三十分、お菓子をたらふく食べながら、先輩たちの歌を聴き続けると、いやーぼくカラオケ大好きなんですよね、なんて言いながら、デンモクを奪い取り、なんと勝手に曲を入れてのけた。
明らかにJPOPとも邦楽ロックともちがう電子音が部屋中にこだまする。
そいつは立ち上がると、歌詞も出ていないのに、「ジャージャー」言い出した。
正確にはなんて発音しているかもよくわからない「ダャェイビャー」みたいなのを何回か繰り返したのち、ジャージャー言った。普通にジャージャー以外聞き取れなかった。
歌詞が出てきたそのあとも全部丸無視で、なんか呪文みたいなものを、もう延々と……とにかく唾がすごかった。飛び過ぎて、水溜まりできちゃうんじゃないってくらい。んで、顔真っ赤。血管バキバキ。血走った眼。明らか正気じゃない。その姿見てたら恥ずかしくなってきて、頬が熱くなるのを感じたから、たぶん私も顔真っ赤。ちなみに軽音部員たちはドン引きで真っ青。見事な赤と青のコントラスト。
当の本人は一曲そんなノリで完奏すると、肩で息をしながら、またニヤニヤし出した。
「いやあ、気持ちよく歌えました。ありがとうございました」
歌とは。
私が脳内でつっこんでいる間に、そいつはすぐ頭を下げ「ぼく、この部活辞めときます!」と元気に叫んでそそくさと部屋を後にしてしまった。
とんでもない空気だった。
やがてポツリポツリ何人かが口を開く。
「なに、あいつ」「気持ち悪くね」。
うん、それは私も思った。まじで気持ち悪かった。いやに明るい笑顔に謎の選曲、謎の呪文、気持ち悪くない部分がなかった。
でもその時、私はたしかに思ってしまったのだ。
なにあいつ。
まじロックじゃね、と。
だから、私もすぐにソファを立った。みんなの視線が集まる。よもや、こんなにもすぐこのひとたちを睥睨する現実が訪れようとはゆめゆめ思わなかった。
「ごめんなさい、私このあと用事があるので、お先に失礼します。すごく楽しかったです」
頭を下げて、上げた時にはみんなの顔を見ないように踵を返した。扉を肩で押し開けて、ジュースが零れてギシギシのタイルを小走りで駆け抜ける。
そいつはエレベーター前にいた。謎にクネクネと踊っていた。
「やい」
「え、あ、さっきの歓迎会にいた」
「あなたどういうつもりなの。なんでわざわざこの歓迎会に参加したの」
言ってからすこし、高圧的だったかな、と考えたけれど、杞憂だった。そいつはニヤニヤ笑って、自分のTシャツを伸ばしてみせた。
「渋谷でBIRTHのライブがあったんで。回せるなって」
そいつのTシャツの胸元にはたしかに『BIRTH』の文字があった。
「回す? バース?」
「あ、ライブ終わったあとに寄れるなってことです。BIRTHはアイドルですよ、さっき曲入れたやつ。マジで上がりますよ。今度一緒に行きましょう」
「いや、興味ないよ」
「興味なんて、知ろうとしないと沸きませんよ」
……悔しいかな、すこしはっとさせられた。
たしかに、何事も経験のはずだった。私はいま、ステレオタイプで好奇心の扉にチェーンロックをかけてしまうところだったのかもしれない。
「ほんとうに楽しいのかしら」
「……さあ?」
「は?」
ちょうどその時、エレベーターの扉が開いた。そいつはそれに乗り込むと振り返りざま、アッパーのように握った拳を胸の前に振り上げる。
「大丈夫、無銭の日もあるんで。無銭干すのはないっす。正義っす。今日の歓迎会みたいに」
ーー扉が閉まり、ひとりエレベーター前に立ち尽くす私にも、ひとつだけわかることがあった。
ああ、あいつ今日、無料だから歓迎会きたんだな。
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