ep22.『メンデル』

♦︎


4月24日昨日


『音楽の先生になってほしい?』


西根茉莉にしねまつりさんの両親にこんなことを言われた。


『緩和ケア目的で家庭教師として雇いましたが、茉莉は夜春よはる君と同じ公立の学校に入学したので面倒を見てあげてください。そのかわり、これからは音楽…ピアノの先生として来てくれませんか?無事志望校にも合格できたので前の一件も受験のことも含めて茉莉は夜春君に助けてもらいました。これ以上は茉莉に聞いてみてください。あの子からの方が私たちよりも上手く伝えられると思うので』


と。


別に俺は構わない。だけど、急でびっくりしたんだ。


「俺もあの両親からはいろんな面でお世話になってるから断る理由はないけれど音楽の先生か…」


茉莉さんの家に向かっている途中の僕は茉莉さんの両親から言われたことについて深く考えていた。別に音楽、それもピアノができない訳じゃない。けれど、それでも悩む理由があった。


「僕なんかでいいのかな…」


自分でも気づかないうちにそう呟いてたんだと思う。そのまま、答えを出せずに茉莉さんの家まで歩いていった。






♦︎


「夜春君!」


家のチャイムが鳴り響いた途端私は真っ先に玄関に向かった。


「うわっ!どうしたの?」

「なんでもないです。えへへ」


来てくれたことが嬉しくて思わずにやけてしまう。強制的な両親との旅行で家を留守にしてたから夜春君とは全く会えなかった。そのせいで話したいことが山ほどあるんだ。今日はお願いとおはなしの意味合いも兼ねて夜春君は来てくれたんだ。


而も今日は月曜日で両親はお仕事!夜春君は二人きりという初のシチュエーションだけれど冷静にいつも通りいなきゃいけない。だから「えへへ」なんてふざけた声を漏らすのはもうやめよう。恥ずかしい…。


「あ、やっぱなんでもありました!夜春君と同じ学校に合格できたんですよ!まだ夜春君とは学校で会ってないんですけどこれから見かけたら声かけてくれると嬉しいです!まぁ、いつまでも玄関だとあれなんです入ってください」

「え?あ、うん…」


少し尻込みした様子を見せながらも夜春君は小さくうなずいた。



「麦茶で大丈夫ですか?それでですね。夜春君聞いてください!」

「今日は積極性が隕石よりもすごいね…」

「会えなかった分話したいことがたくさんあるんですよ…」

「そっか。でもまぁ、一先ず合格おめでとう。まだ向こうだと僕も見かけてないかな…。まさか合格してたとは…でもま、はいこれ。合格祝いでショボいんだけど気持ちは強く込めてあるから」


私はマグカップとガラスのコップに麦茶を注ぐと同時に夜春君からなんかちょっとたかそうな袋をもらった。気になりすぎて手早く麦茶を入れ終えると確認もぜずに袋のヒモに手をつけてしまった。


「あ、ごめんなさい…」

「大丈夫だよ。気にしないで。それより早く開けた時の反応見たいんだけど」

「じゃ開けますね。えっと…………え?」


あまりにも意外なものに素っ頓狂な声が出てしまった。本当に意外すぎて頭の隅にも考えてたかったもの。でも、すごく嬉しいプレゼント。


「メンデルの楽譜だー!」


私はメンデルスゾーンの曲が大好きで、毎日聞いたり弾いたりしてるけれど全部弾けるわけじゃない。その中でも夜春君が楽譜を見つけて来てくれたんだ。今はネットで探せばパッと出てしまうけれどそれでも紙の楽譜には愛着が湧いてくる。


「夏の夜の夢、フィンガルの洞窟、天には栄え、結婚行進曲…すごーい!夜春君ありがとう♪すごく嬉しい…」

「良かった…ちなみに僕の自作で全然お金も何もかかってなくてもう少し高価な物

の方がいいかな?なんて悩んだりしたけどそれで大丈夫そうで良かった…」


「うん。これが一番嬉しい!早速弾いてみていい?」


家庭教師のときは夜春君は口調が固いけど、そうじゃないときは柔らかい口調で私も話しかける時ついつい敬語を忘れちゃう。まぁ、例の一件以降夜春君は両親の前だと今でも固いけど私と話してくれるときは素でいてくれるから話していてとっても楽しいし嬉しい…。


「持っていた楽譜にはピアノじゃ弾けないのもあるけど何弾くの?」

「うーん、三重奏曲第1番ニ短調Op49を弾いてみようかなって思います。聞いててください!」


ピアノの達人と呼ばれたメンデルみたいには弾けないけれど、19世紀のモーツァルトと評されたメンデルじゃないけれどそれでも弾ける限り楽しく弾いた。まだ未熟な私は第1楽章しか弾けないけどこれは後々練習しかないなと思う。


夜春君はきっと全部弾けるんだろうなぁ…。どこでピアノ習ったんだろう…。



「どうでしたか?」

「まだ上手くなった?」


「そ、そんなことないですよ」

「もう僕より上手いんじゃない?」

「それこそないです!」


まぁでも、言われて少し嬉しくなったのは内緒ということで。


「夜春君」

「ん?」


私が夜春君の名前を呼ぶと、いつも通りキラキラしてる目がこっちを見てくれる。前みたいに…濁った色の目じゃなくて安心する。その瞳には私が写ってなさそうで夜春君にちゃんと私が見えてるのか不安だった。


いつも辛そうで、悲しそうでそれでも毎日私の悩みを聞いてくれて解決してくれる為に休日でも平日の放課後でも付き合ってくれて、だから今度は私が夜春君のことを助けたいと思ってる。

その為には夜春君をもっと知って行かなきゃ。


だから


「たくさんお返ししますから!」

「え?あ、ちょうど僕からも方向があるんだった」

「なんですか?」


「音楽の先生になって欲しいって言ってたけど僕はいいよ」

「ほんとですか!?家庭教師のときよりもお金は…」

「うん。それとお金はいらないよ。僕なんかの教えだからね」

「え?」


なんでだろう…。


「でも、一応払わないと…教えてもらってるんですし」

「友達っていう関係で教え合う形にすればいいんだよ。ほら、もう同じ学校だし」


うーん。これは後でお母さんにも相談しなきゃ。そういえば


「夜春君の、バイトもう一つの方やめちゃったんですか?」

「あーそれね。もとから掛け持ちはしてなかったんだよ」

「そうだったんですか?」

「うん。 色々あってね。さぁさ、次は何弾くの?」

「あ、次はですね…」


その日は6曲くらい弾いたらもう私がダウンした。その後はおはなししたりちょっとだけ勉強の復習をしたりして午後を楽しく過ごした。


それでも、夜春くんは一回も笑ってくれなかった…。

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