ep19.『どうして』

♦︎


「下がってる…」

「ですよね。ありがとうございました。あ、彼女来たんですね」


黒い水筒が机の上にあるのを見てからそう言った。来るとは思っていた。

先生が何かを隠してるような感じがしなくもないけど。


「言われた通り預かっておいたよ。心配してたよ。私のせいかもって」

「だからって心を許す気にはなれませんがね。何か吹き込まれました?」

「全然構ってくれないって言ってきたわよ。すごく入りたがってた」

「入れないでくれたことに感謝します」


熱は今の所は下がってる。またいつ症状が出るかわからない。


「はいっと。それじゃ、昼休みも終わる頃だし行った行った」

「…はい。ありがとうございます。失礼しました」


名前を知られた。迂闊だった…最近気が緩んでる。なにをしているのだろうか…。






♦︎


「あ、先輩大丈夫ですか?」


放課後、昇降口から出た途端やはり声をかけられた。なんで僕に関わってくるのかが理解できない…。名前も知られてるし。保健室を使用した人の名簿を見て知ってしまったんだろうけど結局後には知られていたことなんだ。


「…」

「しつこかったですよね…すみません。反省してます。これからは控えるようにするのでどうか元気だけ出してください」

「じゃあ、もう話しかけないでくれ…」


ぶっきらぼうにそう答える。


「それは…わかりました」

「なら良かった。じゃ帰るから」


そう言って、帰ろうとした。すると校舎に戻ろうとした彼女が人にぶつかって転んでしまった。


「いたっ、えっと。すみません」

「なにやってんの?ちゃんと前見ろよ!」

「すみません」

「それしか言えないの?気遣う言葉くらい言えよ」


男二人の声だ。威圧的な重みのある言葉を投げてくる。怒声が上がった瞬間彼女が怯んだように見えた。相手は不機嫌なのだろうか…。


だけど俺はその光景を背に歩き出していた。昇降口前ではバトミントン部が練習していて怒鳴り声に反応したのかそちらを見ている。


「えっと、荷物を取りに行くのでそこを…」

「詫び入れずに去ろうってか、はっ、クソ人間だな。お前」

「ぶつかったのはすみません…私が悪かったです。今度からは気をつけます…」


なので、と言ってそのまま去ろうとしたんだろう。でも、それは叶わなかった。

少しだけ気になったので、振り向いた。そこには、地べたに尻餅をついてる後輩の姿と大仰に見下ろしてる男がいた。


「だから詫び入れろって。イライラしてるとこお前がぶつかってきて更にムカついてきたんだよ。あぁ?おい」

「ほんとにすみません…ごめんなさい…」


二人の男が寄ってたかって、ひとりの女の子にこんなことして馬鹿じゃないのかという気持ちはあっても仲介に入るという考えは浮かばなかった。


「謝罪を求めてるんじゃねぇんだよ。詫びだよ詫び」


いい加減ムカついてきた。さっさと帰ってしまおう。そのまま、今行われてることから目を背けて立ち去ろうとした。けれど、できなかった。


「いつまで座ってんだよ!」


また怒鳴り声を上げて、後輩の胸ぐらを掴もうとしたのを見て俺も声を出した。


「そっちにも非はあるだろ。大体、ぶつかったぐらいで大袈裟なんだよ…もう煩いから黙ってくれ…俺も今はイライラしてるんだよ…頭が痛くて…」


今も頭痛がジンジンとする。頭の中から鈍器で殴られてるような痛み。我慢をしてるけど周囲の癪に触る声を聞いていたら余計に痛くなってきた。


「なんだよお前。お前こそ黙っとけよ」

「謝罪も寛容に受け入れてやれない人間に俺はアドバイスをしてやる」


「いつまで小学生でいる気?」


そう言った瞬間俺じゃなく後輩に手を上げようとした。上から振りかぶるその拳を女の子の顔面に躊躇も容赦もなく。


ここでの目撃者は多数。教師も部活をやってた子の誰がが呼びに行った。だから言う言葉は一つだった。


「手を挙げる相手は結局自分より弱い奴に行くんだな」


振りかぶろうとした腕の手首を掴んで背後に引っ張る。態勢を崩すと同時に膝裏の筋を蹴ってバランスも崩す。喋らせる暇もないまま組み伏せる。


もう一人が俺の肩を掴もうとしてきたのを、容易に掴ませることはなく膝でもうひとりの男の掴もうとしてきた右腕の肘を蹴る。


「いった!ちょ、待って待って」

「?」


牽制程度に攻撃したのに関わらず、相手は攻撃された後にする態度ではなかった。

組み伏せた大仰な男は今はもう解放している。


「悪かった。俺が、もう少し早く止められてれば良かったんだけどあいつの機嫌を図り損ねてた…今回の件、全部俺に責任があることにしてくれないか?」

「それは俺に言うんじゃなく、そこの後輩に言うべきだと思う。少なくとも俺は」


チラッと震えてる後輩を尻目に相手にそう言う。


「そうだな。えっと俺が代わりにごめんなさい。明日、そこにいるコイツも連れてきちんと謝るんで今日はこれで。すみませんでした」


もう一人の男の立場がよくわかなかったけど、悪い人ではなかったので攻撃してしまったことに罪悪感が生まれてきた。

駐輪場に向かって、二人で歩いていく背を眺めた。


「…大丈夫?」

「はぃ…ありがとうございます」

「そう。なら良かったよ。俺はこれで帰るから気をつけて帰れよ」


そう心配する言葉を投げかけたけど、本音は心配も何もしていなかった。言葉だけの偽善者だ。相手を慮ることをせずに上っ面だけの言葉。

だから今すぐにでもこの場を、暴れてしまった後悔と共に去ろうとする。


「夜春、さん!。ど、どうして動いたんですか?」

「…俺もイライラしてたから。んじゃ」

「私の名前は友恵です。ちゃんと覚えてください。お願いします」


「…分かった」


それだけ言うと、そそくさと歩き出して家に帰った。





♦︎


自責の念に駆られて、深く深く落ち込んでいた。いや、自虐していた。


どうしてあの時、動いてしまったのか。どうして手を挙げてしまったのか。

決して振るわないと誓った事までも破って…。


ニーチェは言った。

「自分自身の主人たれ」と。自分を認めることだ。


人間の何かの為に、という理由をつけがちだ。自分を目的の道具にしていると。

犠牲者意識が生まれるだの、恩が着せられるだの、わかってるんだ。


こんなことはわかってる。わかってるけど。

でも、だけど…そうしないと





その日は、熱が再び40度まで上がったことにより寝てしまった。

けれど見た夢は魘される内容の夢で、が死んでしまう夢だった。

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