ep9.『枯れ木に花』

♦︎


あの日、傘を貸してくれた男の子。


雨の日と知っていながら傘を忘れて、スマホもタイミング悪く充電が切れ、家までの距離が遠いため最悪、濡れて帰ることになっていた。帰れないことはないけれど流石に家まで濡れて帰るのは嫌だった。


そこに、素っ気ない顔をしながらいきなり話しかけられたのだ。


当然、勘ぐってしまう。


「あの、すみません。これ、良かったらどうぞ」


そう言って太腿の上にポンっと落とされたのは黒い折り畳み傘だった。傘が降ってきたことに驚きながらも、私は傘を落とした男の子のほうが謎だった。

だから、疑問の声をあげた。


「え?なんですか?」


こちらを見ているようで別のものを見ているかのような瞳には私がきちんと映っているのかまるでわからなかった。


「気をつけて、それじゃ」


私の疑問には答えず、それだけ言ってすぐに立ち去ろうとしていたから思わず呼び止めてしまった。


「あの!えっと!ありがとうございます!でも、どうし」


「その傘は適当に使うなり処分するなりして構いませんよ。どうせ今後会うこともないでしょうし。それでは」


私の言葉を遮って駅の中に入っていった。暫く、ぼうっとしていたけど雨で冷え込んだ空気にくしゃみをして借りた傘を丁寧にさして家に帰った。






♦︎夜春


3月21日月曜日。


3学期修了式が終わり、帰路に着いていた。今日で、高校1年生は最後だ。明日からは春休み。部活にも入ってないし塾も習い事も今はやっていない。


楽ではあるけど、部活や塾に真面目に取り組んでいる人を見ていると不思議と心が罪悪感のようなものに満たされる。


自分だけやっていない。後ろめたさとでも形容すればいいのだろうか…とにかく校門を出るまでの間はすごく居心地が悪かった。


「駅までさっさと帰ってしまおう。そしたら、同じ学校の奴等も減るだろうし」


そう呟いた後、そそくさと歩きながら頭の中で音楽を再生していた。

そんなことをしてきたらいつのまにか駅に着いていて、いつも通りスマホを改札機に翳してピッと機械音が発せられる。


ゲートが開いて、通れるようになったので迷わず素通りしていく。


帰りの電車がタイミングよく停車していたので、ドアが閉まる前に乗車する。

乗車したらいつもの定位置であるスタンションポール脇の座席でイヤホンをつけて乗り換え駅まで適当に暇つぶしをする。


今日もいつもの、本を読みながら静かに時が過ぎるのを待っていた。


それから程なくして乗り換えの駅に着き、車両から降りる。

乗り継ぎの電車が来るまでまだ程々にある。人もそこまで多くないから大丈夫。



そう思っていた。だけど、これが

駅内から出た直後だった。


「あの、すみません」


背中越しに話しかけられたのが分かった。どこか、最近聞いたような声…ゆっくりと振り向いて視界に入った顔を見ると驚きを隠せなかった。


「すみません?誰ですか?」


それでも、取り繕い知らないふりをした。あの、濁り切った視界でも輪郭ははっきりと見えていた。それを、覚えていた脳がの女の子だと伝えていた。


「え?人違いだった?そんなはずは…うーん…」


「きっと、人違いでしょう。じゃ、僕はこれで」


そう言って、すぐにでもその場を去ろうとした。けど。


「あ、待ってください。その…」


視界は既に切り替えてある。虚無感を宿した瞳に映るのはすべてが曖昧にぼやけて

見えている。


「なんでしょうか?別の用事でも?」


「い、いえ。やっぱり…この傘を貸してくれた人ですよね?」


そう言って、以前会った時に持ち歩いていたトートバッグから見覚えのある黒い折り畳み傘が出てきた。それを見て疑問の声よりも先に驚きの言葉が出てしまった。


「な、なんでまだ持って、っ!な、なんでもないです」


失敗した。これだと…


「やっぱりあの時貸してくれた人ですね!良かった〜」


ほら、バレた。もう嘘はつけない。嘘をついたことを攻められても言い訳する材料もない。だから、彼女になんて言われるかがただ怖かった…






♦︎ひより


ようやく見つけた。一週間くらい?探してて全く見つからなかった。


駅前で待ってたり、チョコチョコ駅内に顔だしてそれらしき人物いないかなぁと探したりしてたのは今となって思い返すと少し恥ずかしい…


だから、会った時の嬉しさ?いや、ようやく見つけた感はすごかった。 で、話しかけたら「誰ですか?」だよ。なめとるのかーコラーってなるわ。


でも、ま、忘れててもしょうがないよね、とすぐに割り切れた。


でも、すぐに別れようとするのはなんだか悲しかった。

人と話すのが嫌なのかな、と思ったけどそうな風には見えないし、取り敢えず絶対にこの人っていうのは間違ってない。


一瞬、誰ですか?なんて聞かれた時に本気で人違いだった!?と思ったのは内緒。


兎も角、この一週間ずっと探してたから今のうちに傘を返さなきゃ。


「えっと、これ。ありがとうございました。すごい、助かりました…一週間ずっとこの駅で夕方の6時くらいまで来ないかなぁって待ってたんですが中々会えなくてそれでも、一先ず返せたのでよかったです!」


借りたものは返さないとね。

返事を期待して見てみると貸してくれた男の子は茫然と虚空を見つめていた。


「えっと、大丈夫ですか?」


心配の声をかけてもピクリとも反応しない…。


少し躊躇いながらもう一度声をかけて見ることにした。


「あの…迷惑でしたか?」


私は恐る恐る男の子に聞いた。もし、迷惑だったなら今すぐこの場を去ろうと思った。それでも、男の子はなんの反応も示さない。


動きもしない、喋りもしない、反応も示さない。体調が優れないのかな…


ちょっとだけ袖先を摘んで、くいくいと引っ張ってみるとようやく反応があった。


「いたっ」


「え?あ、ごめんなさい…だ、大丈夫ですか?」


どうしよ、どうしよ…この女酷い奴なんて思われないかな…。痛くしたつもりは、全然なかった。ただ、反応してほしくて引っ張ったんだ。


「っはい、大丈夫です。傘、態々ありがとうございます。てっきり捨てられてるかと思っていたので驚きました」


「人に借りたものなんで捨てたりしないですよ。それより、本当に大丈夫ですか?さっきまでいかにも虚無って感じでしたけど」


「まぁ、はい。大丈夫、だと思いますよ」


思いますよって…不安要素しかないじゃん。ほんと、大丈夫かなぁ…


「それじゃ自分はここで。傘に関してはありがとうございます。それでは」


「はい。また。気をつけて」


そのまま戻っていく夜春君が見えなくなるまで私はずっと小さく手を振っていた。

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