ep8.『ちょっとした親切』

♦︎


昨日の電車の騒動の後、結局、恐怖と頭痛を患ってしまい家に帰ったらそのまますぐに寝てしまっていた。


そして翌日。卒業式。無理をして出席し、先輩達を見送るために花のアーチを持つ係を担当していた。2年後にこのアーチを潜るのは…そんなことを思った。


「キッツ〜!もう、休憩〜」


目の前から、そんな声が聞こえてきた。見れば、アーチの反対側を持っていた男子が腕が疲れたのか音を上げていた。


「お疲れさん」


その隣にいる男子が疲れて座っている男子の肩に手を置いてポンポンとしていた。


その絵面えづらを見ているだけで、あー仲がいいんだなって傍目に見てもよくわかった。


「はーい。 !皆さん。アーチを片付けたら教室に戻ってきてください」


先生が1年と2年に聞こえるような大きな声でそう言ってきた。

先生に言われる前に、校舎に戻っている人もちらほらといたけど大方は言われてから動いて、あっという間にその場は俺だけになった。


「俺も行くか…」


そうして、三年生の長いようで短かった卒業式は雨のように幕を閉じた。






♦︎


3月14日 日曜日。午後3時52分。


天気は朝から雨が降り続けている。そんな雨の中、図書館に来ていた。


「うーん…本屋に売ってなかったから来たんだけどまさか図書館にもないとは…」


不思議の国のアリスの小説。ルイス・キャロルが書いた本だ。幻の初版しょはんは手に入るとは思っていないけど…それでも一般に普及してる小説はあってもいいと思うのは欲深くはないだろう。


本棚に綺麗に揃えられている本の背文字を人差し指で触れて右にスライドする。

ジャンルである児童文学もナンセンス文学の方でも探してきて、現在ファンタジーを探しているけど一向に見つからない…。


「マジか…ここまでないものなのか」


図書館に来てもう既に2時間以上経過している。これだけ探してないのだからもう仕方ないと割り切って帰ることにした。


ボディバッグを少しずらして、アイポッドを取り出しドラゴンクエストという有名なゲームの曲「序曲」を流してイヤホンを耳につける。


それから、ポケットにアイポッドを入れて、歩いて行ったら図書館の自動ドアが僅かな機械音を立てて開いたのですぐに通り抜け傘立てに入れておいた黒い傘を手に取って歩き出したのだった。






♦︎


傘に雨がポタポタと音を立てて降ってくる音とイヤホンから流れてくる音楽がゆったりとした自分だけの空間を作ってくれていてとても落ち着いていた。


駅が近くなってきたからか、車の通りが激しく人の数も多くなってきた。

だからなのか、途切れずに水飛沫がこちらにかかってくる。


「4時42分…早いな。家に帰ったら、夕飯作って勉強もしなくちゃ」


はぁ…とため息が一つ溢れた。


駅に着いたので、傘を閉じた。そのまま駅内に入っていく



「あーどうしよ…なんでよりにもよって…」


慌てている声が耳に入って、不覚にも立ち止まってしまった。声がした方に目を向ければトートバッグを慌ただしく漁っている様子だった。


背丈からして中学生か高校生であることには間違いない。今日は休日でしかも私服でいることから予備校帰りかなんかだろう…。


「スマホも充電切れだし…待つしかないのかなぁ…」


その女の子は、はぁ…と重たい嘆息を吐きそのまま近くにあるベンチに腰を下ろした。きっと持ってきていたと思っていた傘が無くて迎えを呼ぶにも連絡手段であるスマホが充電切れで連絡することもできない。そんなとこだろう。


若干、落ち着いてきてはいたがそれでも帰りが遅くなることから焦っているのは、よく見ればわかる。


「もう一回探してなかったら諦めよ…」


そしてまたトートバッグを覗き込み始めた彼女に呆れて、俺はボディバッグから仮に無くしたようのスペアで持ってきている折り畳みの傘を取り出してそれを持って彼女に近づいていく。


視界を曇らせて、心の波を一定にして、ただ傘を渡すだけ。未だに近づいてきている人に気づく素振りも見せずに無我夢中でトートバッグを漁っている。


「あの、すみません。これ、良かったらどうぞ」


明確に彼女に向けて話しかけたからかこっちを振り向いた。だが、当然知らない男の人から話しかけられたからか怪訝な表情を浮かべた。


「え?なんですか?」


濁っている視界には彼女がどう映っているのかはわからない。めんどくさいので手元にある折り畳みの傘を適当にポンっと太腿の上に落としてあげた。


「気をつけて。それじゃ」


そのまま綺麗に回れ右をして、駅内に向けて歩みを進めていく。呼び止められたくもないのでイヤホンを耳につけようとしたらつける前に話しかけられた。


「えっと、ありがとうございます。でも、どうし」


「その傘は適当に使うなり処分するなりして構いませんよ。どうせ今後会うこともないでしょうし。それでは」


これ以上は話さない。すぐにイヤホンを耳につけてそのまま駅に入る。帰り方面の電車が丁度よく来たので濡れた靴底でキュイっと音を出して車内に乗り込んだ。


今日の電車は、何事もなく静かに走っていき雨から身を守って家に届けてくれた。


それでも、心までは守ってくれず今もずっと何かを恐れていた。






♦︎


恐怖とは、常に無知から発生するものである。


ラルフ・ワルド・エマーソンより。


無知とは罪である。罪とは罰である。その罰として恐怖が生まれる。

英知は無罪か?否。そうではない。


己が自身。無知であることを知っていればなによりも英知である。

己が自身。英知であることを知らねばなによりも罪である。


だが、そんなことはあり得ない。何故なら。


すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。のだから。


アリストテレスより。古代ギリシア哲学者。


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