ep5.『スノードロップ』

モーツァルト ピアノ・ソナタ 14番を弾き終えた茉莉まつりちゃんを見て拍手を送った。


「普通に、上手かったよ」


思った感想を述べる。全部弾いたわけでもないからそこまで時間は過ぎていない。


「ホント!?」


「え?うん。上手かったよ。俺が教えるところなんてないよ」


そう言ったら小さくガッツポーズをとっていた。この反応だと、前々から練習してたんだろう。それも今日の為に。なんのために?


「うーん…ピアノを教えてのもアレだし、課題を置いて帰るとするよ」


課題は、「春の歌」メンデルスゾーンだ。


「メンデルだ!わかった。あ、明日も来るの?」


「明日は学校から帰っていくとこがあるからお休み」


「…はぁーい」


テンションが下がった気がするけど、返事もしたし了承も貰えた。大丈夫。来てから、約1時間30分くらい居た。


「んじゃ、また明後日。またね」


「うん。今日もありがとう。バイバイ」


玄関で見送りを受けて、茉莉と別れた。






♦︎


スノードロップ。別名、待雪草。花言葉「希望」「慰み」とある。本当かどうかは知らないけど「死」という意味もあるらしい。流石に詳しくはしらないけど死んだ恋人の体に、この花を置いたらスノードロップになったというらしい。


そんな花が二月だというのに咲いていた。確か、秋頃から冬にかけて芽を出して春の始めに花になる筈なのに。


「ま、いっか」


茉莉の家庭教師になった経緯は友達の紹介で教えてもらったことから始まる。俺が家庭教師をやりたいと言ったら「知り合いに高校生でも契約してくれる人に伝手があるからお前のこと、紹介しとくよ」と言ってくれて有り難くお願いした。


一週間後、会って話せないかというアポイントメントを取ってきてそれに取り敢えず了承のサインを出して友達に伝えてもらった。


5月5日の午後2時に、駅前で待ち合わせと教えてもらったので分かりましたと友達が伝えてくれてそのまま何事もなく会った。今思えば運が良かったんだろう。


「同じ年頃の子に教えてもらえる方が茉莉も気楽だと思うから、お願いします」


「未成年で、こんな未熟者な僕と契約してくださりありがとうございます。志望校に受かる為のお手伝いを精一杯尽くしますのでこれから宜しくおねがいします」


このやり取りの末、茉莉の家庭教師になった。社会的に見たら茉莉の親御さんは頭が可笑しいように見えるかもしれない。でも、それもちゃんとした理由があった。



そう。理由だった。



学校、プライベート、コミュニティ、ネット。親御さんも何で茉莉が被害を受けたかは知らないと言っていたけど今のご時世この四つのうちのどれかだろう。


茉莉に被害を加えず、且つ適度なラインを保って教えとケアをしてくれる人間。

大人は利益を優先し、何をするからわからないと言う理由で契約しないらしい。


それを言うなら、俺だって当てはまるとは思うのだが高校生で子供だから自分たちで俺が何かやっても対処できるらしい。する気もないからされる言葉ないだろうけど。まぁ、子供だからと舐められているという訳だ。別に構わないけど。


今は、随分と信頼されているけど、俺はそんな信頼にはそぐわない人間だってことを俺が一番よく知っている。


所詮形だけの関係。求められたから応じる。それに相応の対価を報いる。

所謂、ギブアンドテイクの関係。それ以上、それ以外でもない。


だから、今以上に関係が進むことが俺はなによりも怖かった…






♦︎


3月1日、月曜日の朝の6:20。ソファに座ってテレビを見ていた。


制服姿で、既に玄関先に鞄が置かれてある。昨日茉莉の家から帰った後すぐに学校の準備をして、お風呂から出て自室の布団で寝っ転がってたら寝てしまっていた。


そして、今日の5時30分に起床して10分くらいで準備が終わってしまったので現在ゴロゴロしていた。


「暇だ〜もう学校行こうかな…」


俺が通っている学校は学区外だ。同じ中学の人が全く少ないところ、遠いところそして最後に偏差値が50を超えている就職よりも進学メインの学校に通っている。

最初は、工業に行くつもりだったけど色々あってやめた。


まぁ、話を戻して学区外だ。だから、当然遠い。家から1時間で着けばいいくらい。

自転車で20分で駅まで行ってそこから3駅通過したところで、乗り換えて4駅跨ぐ。


学校は8:30までに登校していればいいので、早いに越したことはない。

それも考慮した上で、もう登校してしまうことにした。


「アイポッドを持って、と。おし!行くか」


玄関を開けたら外はやっぱり冷え込んでいた。今思うと、もう少しで卒業式だ。

その一週間後には春休みが待っている。この冷え込みもあと少しでだと思うと足が軽くなった。


自転車のスタンドを蹴っ飛ばして、鞄を前籠に投げ込む。イヤホンを耳につけ曲を流したらペダルを漕ぎ始めた。


道路沿いに立地してある我が家は少し漕いだらもう見えなくなっていた。


ふと視界に、見慣れた花が映った。



真っ白で綺麗なスノードロップが道路の微かな割れ目から顔を覗かせていた。

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