ep3.『モデラートな鼓動』
「ん、はぁぁ、あ」
寝惚けた声を出しながら、ぐーんと伸びをした。パチパチと瞬きをしてデジタル時計に表示された2月29日 日 4:12分をぼうっと見つめた。
窓から見える外はまだ真っ暗で、星の明かりは家の中からじゃ見えなかった。
「まだ、こんな時間…ていうか俺、寝てた」
毛布もなにも被って寝てなかったので、身体が冷えていて暖房をつけた。機械音がボォォオと聞こえる中、やはり見ていた夢について考えてしまう。
もう何年も前の出来事だ。過去に実際にあった話を思い出した夢にすぎない。人の心理が生み出せるのはその人自身もなんなのか知らない。これが幸せな夢であろうと残酷な夢であろうと俺にとって夢は心理療法ではない。
昔の人は、体から抜け出した魂が体験したことが夢となってあらわれると考えていたり、神のお告げという考えをしていたらしい。そもそもの話、魂や神なんて理屈じゃ説明できない概念だ。大げさに説明しているが夢なんてものは幻覚だ。
だから、例えその夢に願望が入っていたとしてもその願望は偽物だ。
なぜなら、夢そのものが幻覚だからだ…
「今日は休日だしもう少しゆっくり寝よう」
そう言って今度は、きちんとデジタル時計のアラームを9:00にセットして自分の部屋から毛布を持ってきてソファベッドに横になった。
エアコンのかすかな音を聴きながら、静かにまた眠った。夢は見なかった。
♦︎
シュルレアリスム。
フランスの詩人ブルトンが提唱した思想活動である。
朝から、家の屋根の下で本を読んでいた。思想活動に関する本だ。
シュルレアリスムは思想活動の派生である芸術活動で、現実を無視したような絵画や文学を書くという意味だ。
「ブルトンってアンドレ・ブルトンのことか?」
次のページをめくろうとしたらチンっと音がなった。電子レンジで焼いていたパンが焼けたらしい。
「さーてと、あつつ。焼けてる焼けてる」
チーズとマーガリンを電子レンジに入れる前に塗っておいたのでいい感じに溶けていた。だけど、当然焼けてるから熱くて手で持ったはいいけど持った時は、火傷しそうだった。
ローテーブルの上に乗っけていく途中にデジタル時計を見ると丁度9:30に6度と寒い気温を表示していた。
「いただきまーす」
そう言って、トーストを齧るとサクッとした食感が伝わって蕩けているチーズがびよーんと言った感じで伸びていた。
家のなかは中途半端に寒く、カーキ色のカーゴパンツに長袖のニット素材のTシャツ。その上に黒の上着を着ていて、手元には暖かいトースト。それでも寒い。
右手にトーストを持っている状態で、左手でテレビのリモコンを操作して電源を入れた。真っ先に出てきたのは朝のニュース番組だった。
「んぅ〜美味しい。熱いけど冷めたら上手くないもんな」
階段を降りてくる足音がする。この歩調を聞くだけで誰かわかる。
「おはよう。母さん」
「うん。おはよう夜春。休日なのに早いねー」
「寝れないんだよ。そっちは今日何時に帰ってきたの?」
少なくとも1回起きた時には帰ってきた形跡はなかった。
「あ、トースト作ってあるよ」と電子レンジを指差して言った。
「ありがとう。6時ちょっと過ぎくらいだったかな?今日も夜勤があるんだよねー。ブラック過ぎてお母さん死んじゃう」
「俺がバイト掛け持ちして、母さんの負担減らそうか?」
「バカ。可愛い息子にそんな親の苦労を担いでもらうなんてできないよ」
そんなもんだろうか…俺にとっては何の負担にもならないから提案したんだが。
「高校を楽しんでればいいの」
「まぁ、うん」
高校は公立に通っている。私立だと入学費、授業料などで母さんに迷惑をかけると思って入らなかった。個人的にも、そこまで入りたいと思えなかった。
だから、公立の全日制課程、普通科を志望した。
バイトは家庭教師をしている。普通は高校生は家庭教師を引き受けられない。
専門生、大学生などを募集してるのが常だ。
じゃあ、なんでできてるかと言うと自分で生徒を見つけて家庭教師の契約を結んで家庭教師会社を介してないからだ。
ネットと身近な人づてを使って、契約を結んでくれる人を探していたら本当に運良く見つかって今はそのご家庭と契約を結んでいる。
「今日もバイトあるんでしょ?頑張りなさい」
「ああ。わかってるよ。母さんも出かけるんでしょ?気をつけてね」
「はーい」
ぼさぼさだった長い髪を整えて、セーターとタイトスカートを着用して腕に上着を引っ掛けて今から出かける気満々の様子で身だしなみを整えていた。
「よし。完了!それじゃ母さん行ってくるねー。あ、これ。今月のお小遣い」
「あー、ありがと。気をつけて。行ってらっしゃい」
テーブルの上に一万円札が5枚置かれてあるのを見てそっと嘆息を漏らした。
テレビを消して、エアコンも消して俺も財布とアイポッドにイヤホンを手に取って家に鍵をかけたらそのまま家を出てしまった。
♦︎
啓蒙思想
あらゆる人間が共通の理性を持っていると措定し、世界に何らかの根本法則がありそれは理性によって認識可能という考え方。
モデスト・ムソルグスキーは言った。
芸術はそれ自身目的ではない。人間を表現するための手段である、と。
「さっきの本の次のページってこんな事が書かれていたんだ」
ゴンビニに行ってコーヒーを買ってきた俺は、朝読んでいた本の続きを読んでいた。テーブルの上に置いてあるコーヒーの横にはカフェオレも置いてある。
当然、5万円も放置してあった。
「…インドの牛や、ヤギなら食べてくれそうだ」
母さんから貰った紙を見てそう呟いた。
午後は家庭教師で遠出だ。事前に、準備をせねばと思い二階に行ってバックと普段の持ち物を持ってきて部屋の隅に置いておく。
一週間に一度しか帰ってこない母さんは、ブラックな会社に泊まり込みや、出張の行き先で泊まったりとしていて家には全くいない、ことになっている。そんな定期的に帰ってこない母さんが帰ってきても全く嬉しくなかった。
母さんが不倫をして父さんと離れて、またすぐ別の人を見つけた母さんを真っ直ぐに好きにはなれなく、どうしても会う時はいつも胸が痛かった。
だけど、自分のために無理をしているというのも本当だから尚更、やめてほしいとしか思えなかった。
「こんな時は、本でも読めば気が紛れるかな…」
そう言って、手に取った本はスコット・トウローの「無罪・上」だった。
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