マルタ旅行記⑧スリーマの夕暮れ

 翌日、滞在を延ばせるかどうかをフロントでたずねると、もう次の予約が入っているので空きがないとのことだった。


 ちょうど7月に入ってヨーロッパのバカンスシーズンがはじまり、多くの観光客でフロントも混雑していたので、予想通りの答えだった。明日の朝までにキャンセルが入れば可能だが、そんなに都合のいいことはまず起こらない。


 それならば、とレイトチェックアウトは可能か聞いてみた。


 チェックアウト後もプールで過ごせるが、部屋のシャワーを使えれば便利だと思ったからだ。利用案内には、14時までチェックアウト時間を延ばせると書いてある。


 しかし、それも次の宿泊客のために室内を清掃しなければならないので無理。


 なら仕方がない。明日はルームキーを返してフロントに荷物を預け、部屋は使えないけど少しでも長くプールにいよう。


 そこへ同居人のスマホに見知らぬ番号から電話がかかってきた。空港までの送迎タクシーの運転手からで、翌日は13時に迎えにくるとのことだった。


 残念なお知らせというのは重なるものである。


 ホテルと契約している送迎サービスで、他の仕事も入っているだろうから時間の融通はきかなさそうだ。空港まではわずか30分。飛行機は17時半なので、13時に出るとなると空港で4時間以上も余る。観光して時間を潰そうにも、思いつくところがなかった。明日は荷物を抱えて4時間、どこで過ごそうか。


 *


 その日の午後はスリーマに行くことにした。

 スリーマはマルタ島東部の海辺に位置する町だ。所要時間はバスで1時間ほど。ラバトでも使ったタクシーアプリのBoltなら40分で着く距離だが、私は移動手段に必要以上のお金をかけたくなかった。路線バスならたった2ユーロで済む。


 しかし、バスに乗った途端にタクシー代をケチったのを後悔するはめになった。


 スリーマは大型ショッピングセンターがある繁華街で、地元の人はみんなそこへ行くので車内はとにかく混む。道路の渋滞もひどく、バスはのろのろとしか進まない。

 そして揺れる。一度はよろけて隣の男性に大きく寄りかかってしまった。

 荒っぽい運転にも混雑にもフィレンツェの路線バスで慣れているはずなのに、マルタのカオスっぷりはそれを上回るものがあった。帰りはBoltを使おうね、という同居人の提案に、今度は私も異論のあろうはずがなかった。


 バスに揺られる、というよりひたすら耐えるだけの1時間が過ぎ、私たちはスリーマに着いた。


 海沿いに遊歩道が伸びている。ベンチがあったので、座ってしばらく海を眺めた。


 湾を挟んで向かい側には首都のヴァレッタが見える。あそこにはバロック画家カラヴァッジョの傑作「洗礼者ヨハネの斬首」があるのだが、見ないで帰ることになりそうだ。


 岸でヨガをやっている人たちがいて、バーでは軽快なドラムのリズムに合わせて素人のベリーダンサーが怠そうに踊っている。

 時間がゆったり流れ、海は静かで穏やかで、風が心地よい。日没後の空は水平線のあたりが赤く染まり、雲がたなびいている。


 地中海の夕暮れは、ぎゅう詰めのバスで立ちっぱなしだった疲れも忘れさせる力があった。

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