もし僕が火なら

 前回、イタリア語の仮定法が難しいという話をちらっとしました。何が難しいかというとですね、たとえば「もし私がFカップだったら」という一文を例にとると


「もし(今)私がFカップだったら」

 と

「もし(あのとき)私がFカップだったら」


 で動詞の形が違ってきたりします。時間軸のどの時点をとるかで言い方が違うという。


 日本語は「もし~だったら」で過去も現在もありえますよね。


「もし6億円あったら」と言えば今6億円の使い道を考えているのかもしれないし、「あのとき6億円あったら天才外科医に現ナマをわたして今頃はFカップを手に入れていたのに」と言いたいのかもしれない。とにかく包容力あります。迷ってる時に「きみの過去も現在も受け止めてあげる」って言われたら日本語に乗り換えますよ。


 そんなことを考えていましたら、とあるイタリア語の詩を思い出しました。

 作者の名前はチェッコ・アンジョリエーリ。



もし僕が火なら、世界を燃やしたい

もし僕が風なら、嵐でめちゃくちゃにしたい

もし僕が水なら、底に沈めたい

もし僕が神なら、深みに突き落としたい

もし僕がローマ教皇なら、嬉しい、すべてのキリスト教徒を苦境にはめてやれるから

もし僕が皇帝なら、何をしたいかわかる? 全員の首を斬る

もし僕が死なら、父のところへ行く

もし僕が命なら、彼から去る

母にも同じことをする

もし僕がチェッコなら、過去そうだったし今もそうあるように

若い美女は自分のものにして年老いた醜い女は他の人にあげる



 全編に漂うアイロニー。父親といったい何があったのさ。


 これ原語はたいへん古風な文体で書かれております。最初に読んだのは現代語訳バージョンだったし、内容が斜に構えた感じなので現代人かと思っていたら、中世の人だった。13世紀の人。


 詩人で文学者だったこと以外は知らなくて、手元に資料がなんにもないので今回ササっとぐぐってみました。ズボラエッセイですからね。


 チェッコ・アンジョリエーリは1260年頃にシエナに生まれ、1311年から1313年の間に死去したとされています。享年53歳くらいでしょうか。


 裕福な銀行家の息子。詳しい生い立ちは不明で、現存するわずかな記録は罰金とか、何かやらかして、たぶん政争に巻き込まれて追放されましたとか、そんなのばっかり。父親との関係は結局よく分からない。よい家柄のご子息なのに借金まみれで死んだそうな。


 調べていたらチェッコさんの詩をもうひとつみつけました。



 思うように手を出せないけど

 僕が好きな3つのこと、

 つまり女と酒とサイコロ賭博、

 これだけが僕の心を明るくしてくれる。


 けれど滅多にありつけない、

 財布がからっぽだから。

 それを考えるとわめき散らしてしまう、

 金がなくて欲望を満たせないから。



 いいわー。この不良中年臭。私チェッコさんのことよく知らないし、あくまでも作風なので、これで不良中年だったと決めつけるのはあまりにも短絡的ですが。


「もし僕が火なら」は上記の文法ががっつり出てくるのでよく教材に使われる詩で、最初の出会いも文法のテキストにたまたま載ってたから。仮定法の文法は難しいけど、この詩が好きすぎたおかげでいくらか親しみやすい存在に変わったので、チェッコさんには感謝しかないわけです。


 かといって使いこなせるようになったわけでは全然ないんですけどねー。

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