第9話 【エレベーター】

    ── 9番目の扉へようこそ ──



 友人の転居先マンションを訪ねた時の体験です。


 急な引っ越しでバタバタしてる、と言っていた友人のFから「だいぶ落ち着いたから遊びに来て」との連絡を受け、数日後に私は転居祝いを持参し訪ねていきました。


 7階建の、賃貸にしてはわりと大きなマンションでしたが1階エントランスは特に共有インターフォンもなく、出入り自由になっていました。


(セキュリティは大丈夫なのかな?)


 そう思いながらエレベーターボタンを押し、何気なく壁付けのポストに目をやると、入りきらないチラシが溢れるように突っ込んであるのが幾つもあり、満室でないことが一目瞭然でした。


 急行が停車する最寄り駅から徒歩10分圏内にしてはけっこう空き部屋があるんだな、という印象でしたが、その時は特に深くは考えませんでした。


 やがて到着したエレベーターが開き、中年男性がひとり出て来ましたが、すれ違いざまに大きな溜め息を吐いたため私は一瞬振り返り、そして中に入りました。


 その瞬間、嫌な匂いが鼻先をかすめ、思わず(あの人かな・・・・)と、すれ違った男性のことが浮かびました。

 が、ただそれはいわゆる体臭的な臭気とは異なる、例えれば鉄錆びのような匂いだったので首を傾げつつ私はFの住む5階のボタンを押しました。


 ドアが閉まり動き出した時、ふいに動悸がしてきたため寝不足のせいかとも思ったのですが、それにしては寸前まで何ともなく、走ったわけでもなく、しかもバクバクするに近いくらいに徐々に強くなるため不安を感じてきたところでエレベーターが5階に到着しました。

 

 廊下に出て胸を押さえ呼吸を整えると、幸い、すっ、と楽になったので、何だったのか? と首を傾げながらFの部屋へと向かいました。


 久しぶりに会い話がひとしきり盛り上がったあと、飲み物を買いにコンビニに行こうと言われ揃って部屋を出たところでFがふいに口走りました。


「階段使っていい?」


 え? と思い彼女を見ると、すでにエレベーター横の非常扉に手をかけているので取り合えず階段に向かいました。


「あんまりあのエレベーター使いたくないんだよね・・・・」

「何で?」

「何か・・・・変なんだよね色々。急に止まったり電気が消えたり・・・・」

「そうなんだ・・・・」

 実はさっき私もエレベーターで──と言いかけましたが、住み始めたばかりの彼女にプレッシャーをかけてもいけないと思い口をつぐみました。


 帰宅時も5階まで階段を使い、それだけFがエレベーターを避けている本気度が分かりました。


 日暮れ近くになり帰り支度を始めた私に「エレベーター使う?」とFが聞いてきたので「うん。階段ちょっとしんどい」と返したところ、Fは「そっか」と言い、廊下に出たところで「じゃ、ここで見送りでいいかな? 下まで行かなくてごめんね」と申し訳なさそうな顔をしました。

「もちろん、いいよ」と返し、私はエレベーターに乗り込みました。


 互いに手を振りながらドアが閉まると、一瞬の間のあとにいきなりまた動悸がし始め、しかも来た時に乗った際のそれより強く、喉の方まで脈打つくらいです。

 同時に鉄錆びのようなあの匂いも鼻先に漂ってきます。


 そして1階に着く寸前、ありえないことが起きました。


【【視界が真っ赤】】


 染まった──と表現するのがピッタリなほど、エレベーター内が真っ赤になりました。

 まるで一瞬にして赤い照明に切り替わったかのような異様さにパニクりながら、開いたドアから飛び出ました。


 すると動悸はまた、すっ、とおさまり、視界の色も平常に戻りましたがあまりのことに気分はぐったりし、得体の知れないものから逃げるように私はエントランスを出ました。


 それからしばらくしてFから連絡が来ました。

「階段使ってる人が他にもいて、その人から聞いたんだけど・・・・」と話してくれたその内容はおぞましく、実にゾッ! とするものでした。


 10年以上前、あのマンションで殺人事件があったのだそうです。

 別れた元彼がストーカー化し、女性を追い詰めた挙げ句に殺害をした──その現場が、まさにあのエレベーター内だった、と。

 刃物で滅多刺しの酷い殺され方で、それはもう凄惨な状況だったようです。


「だから私、無意識に乗りたくなかったんだろうね・・・・初めて乗った時から何だか嫌だったし変な匂いもしたし・・・・」

 匂い?!

「それって・・・・鉄錆びみたいな?」

「鉄錆?」

 そこで私は訪ねた日にエレベーターで体験した話をFにすべて話しました。

 すると──

「そうだったんだ・・・・錆び・・・・それってもしかして血の匂いかも・・・・」

 ハッ! としました。

 そう言われてみれば──脳裏に血溜まりに倒れる女性のイメージが浮かび、全身に悪寒が走りました。


 そして思い出しました。


 Fの部屋に行くべくエレベーターを待っていた時、到着して中から出てきた中年男性が大きな溜め息を吐いたことを。

 もしかすると、あの人も中で何かを感じたか、見たかしたのかもしれません。


 通勤通学に便利な立地条件の割に空き部屋が多いことの理由も分かった気がし、Fに「じゃ、これからもずっと階段だね」と言うと、「いや、引っ越す。先週だったかな、隣も引っ越しちゃってこの階、今、私だけなんだよね。怖すぎでしょ」とさらに寒くなるような発言をしました。


 もしかしたら、その被害者が住んでいた階が5階だったのかも── 

 そんな考えもよぎりましたが、あえて口にはしませんでした。

 だったとしても、言っても仕方のないことですし。


 それよりもっと恐ろしいと思うこと──それはあのエレベーターが交換されず、当日の《記憶》を生々しく保ちながら使われ続けている、という事実であり、おそらく場の供養もされていないのでは・・・・と感じることです。


 話をしてくれた住人によれば、事件の翌日には使用開始になり、クリーニングが雑なのか、何ヵ月も血生臭さが消えなかった──とのこと。


────実に滅入る話でした。



 それではまた、次の扉でお会いしましょう。



 

 

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