人間にならないとダメですか?
王子を助けたせいで朝帰りになってしまった私は……家族達からとんでもなく叱られた。
ぐぬぬっ……それも、これも全部、王子のせいだ!!
十五才になったばかりの娘が、誕生日に行方不明になったのだ。心配されないはずがない。
父や姉達からの涙ながらの説教の結果――私は『外出禁止』を言い渡されたのだった。
そして今、ベッドの上でゴロゴロと転がりながら、赤いロブスターのルミエールのお小言を聞いている。
「姫様が不良になってしまったかと、みんな心配していたのですぞ!」
何故かルミエールの頭には角帽がちょこんと乗り、ガウンの様な黒いマントを羽織っている。目元にはモノクルが付けられていて、手には指揮棒までもが握られている。
教師棒ではなく指揮棒なのは、ルミエールが『蟹爪楽団』の指揮者をしているからだろう。
――因みに、楽団の発表会では黒の燕尾服に真っ赤な蝶ネクタイをしている。
そんなルミエールが、こんなアカデミックな衣装を着ているのかは分からないが……恐らくは、私を指導する教師にでもなったつもりなのだろう。
「聞いてますか!?」
「うん。聞いてるよ~」
「姫様!?」
「はい、は~い。聞いてるってば」
ルミエールのお小言を上の空で流す。
物語に出てくる人魚姫ならばきっと、この状況から抜け出して魔女の元を訪ねる。
恋した王子様の元に行く為に、【人間になる薬】を手に入れる。
だけど、その王子様に恋をしていない私は、人魚の尾びれと声と引き換えに、激痛の伴う足を手に入れてまで人間になりたいとは思っていない。
つ・ま・り。
私は
行く必要がないのだ。
行動しない事が抵抗になるなんて……『外出禁止』最高!!
「ふわぁぁ……」
「姫様!?」
「は~い……むにゃむにゃ……」
ルミエールのお小言を子守唄代わりにして、私は眠りについた。
****
「…………?」
気が付くと薄暗い場所に立っていた。
私は自分の部屋で眠っていたはずだ。
……なのに何故?
キョロキョロと辺りを見渡すと、部屋の中には分厚い本の山やトカゲ、蛇の入った瓶詰めが目に入る。
――ここには見覚えがある。
しかもわりと最近の話だ。……ていうか、昨日。
「やあ、奏。よく眠れたかい?」
「……アスラ」
やはり現れた。
私はここに来る予定も必要もなかった。……アスラの部屋なんかに。
「言ったでしょ?『行動を起こす、起こさないにかかわらずストーリーは進行しているから』って。ストーリーは進まないといけない。だから君がここにいるんだ」
「それってつまり……」
「ああ。僕がこの部屋に喚んだのさ。奏は訪ねて来る気がなかったから仕方無いよね」
「…………」
ジト目でアスラを睨むが、アスラは飄々と笑っている。
「君が何もしなかったら――『王子様は自分を助けてくれたと勘違いしている隣国のお姫様と結婚して、いつまでも仲良く暮らしましたとさ』と『人間にならなかった人魚姫は海の中で普通に暮らしましたとさ』――に、なっちゃうじゃない?」
「いや、それで良いと思うけど。……私的にはその方が嬉しいし」
無駄死にするなら普通が良い――いや、普通でも十分です!
「それじゃあ、僕がつまらない。君は僕の為の駒なのだから」
ぐっ……。鬼畜がおる……。
人の事を平然と『駒』と言い捨てたし……!
「これが人魚姫が飲むべき薬だよ」
どす黒い液体の入った瓶を翳した。
「……飲んで、人間になれと」
「んーん。ならなきゃいけないんだよ?」
アスラの漆黒の瞳の奥は、全く笑っていない。
深淵を垣間見ている様な感じがして、背筋がゾワッとする。
――これは無駄に抵抗しても意味がないやつだ。
本能がそう告げているが、このまま流されるのは嫌だ。
人間になれというのなら、なる。
元は人間だ。何の心配もない。
――ただし、対価の中に『歩く度に激痛を伴う足』があるのだけは見過ごせない。
「……アスラ。私は、人間になりたいとは思っていない。それでも……そうしなければならないのなら、痛みだけはどうにかならないかな?」
「痛み?」
アスラはキョトンとしながら首を傾げた。
「歩く時……すごく痛いんでしょ?」
「……ああ、成る程」
上目遣いに見ると、アスラは納得したという風に大きく頷いた。
「痛いのは嫌いなの」
好きでもない人の為に苦痛は我慢出来ない。
「それ位なら叶えてあげるよ」
「本当に?」
「うん、うん。お安い御用さ」
アスラはそう言うと、私の唇にチュッと軽いキスをした。
「……な、な、なっ!?」
驚いた私は瞬発的にアスラから距離を取った。
顔から火が出ているかの様に熱い……。
そのまま逃げる様に後退し続け、壁際の棚にぶつかってからようやく動きを止める事が出来た。
カタン。
手に当たったのは――鯨の目玉のホルマリン漬け!?
「ひいぃぃ……!」
火照った顔が一瞬で青ざめる。
「何してるのさ?」
「だって……、……だって……!?」
アスラを睨み付けようとした私は、アスラの唇が視界に入った途端――恥ずかしさのあまりに視線を逸らした。
あ、あの唇が私に……触れたの?
中身年齢は分からないが、見目麗しい少年の姿のアスラにされた事で動揺もしている。漆黒色の髪も瞳もとても綺麗なのだ。
は、犯罪じゃないよね!?
赤くなったり青くなったりする私の姿をアスラは楽しそうな顔で眺めている。
く、悔しい……。
「対価。これで良いよ」
「へ?……対価?」
「人魚姫の『初めてのキス』は十分な対価だよね」
アスラは自分の唇を人差し指でトントンと叩く。
「か、軽くない!?」
『軽い』のはアスラの態度である。
奏としては多少の経験があるが、
記憶がスキップされてあやふやな状態とはいえ、家族以外の相手とのキスの経験があるとは到底思えない。
王子様と結ばれる事を願っている人魚姫ならば、絶望の余りに泣き崩れてもおかしくない行為である。
そう思えば『対価』としては有り……なのかな?
私でさえこんなに動揺しているのだから……。
考え込んでいた私は、アスラがすぐ目の前に来るまで全く気付いていなかった。
「……!?」
咄嗟にアスラと自分の顔の間を両手で遮る。
……危ない。
何故だか分からないが、もう一度キスをされそうになった気がする。
「残念」
アスラは全然残念じゃなさそうな顔で笑う。
寧ろ、とても楽しそうだ。
「……対価が足りなかったの?」
「足りてるよ。もう一度したら君がもっと面白くなりそうだなーと思っただけ」
「いやいやいや!」
面白くなりそうなだけで何度もキスはされたくない。
アスラの世界の人魚姫にされたが……私はアスラの玩具ではないのだ。
勿論、恋人同士でもない。
「嫌だった?」
「別に嫌じゃなかったけど……」
「だったら良いじゃない」
漆黒の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。
アスラの表情からは、彼が何を考えているのかは分からない。
「……アスラ?」
「さて、そろそろストーリーを進めようか」
アスラは瞳を細めながら、私の手にどす黒い液体の入った瓶を握らせた。
消化不慮の様にモヤモヤとした物が胸を占めるが……今の私に選択権は無い。
「……痛みが残ってたら、怒るからね!?」
キュッと瓶の蓋を開けた私は、アスラを睨み付けた後に、その中身を一気に飲み干した。
「甘っ……」
甘すぎて頭が痛くなりそうな位に甘かった。
蜂蜜を更に濃厚にした様な味。
苦味を想像していた私の思考は軽く混乱している。
予想以上の甘さに顔をしかめながら、ゴホゴホと咳き込んでいると、
「痛っ……!……えっ!?」
今度は全身を激痛が走り抜けた。
まるで身体をナイフでめった刺しにされる痛みに似ていた。
前世の最期似感じた痛みと同じもの……。
ナイフで少しずつ切り刻まれ、その後に形を変えながらペタペタと糊の様な物でくっ付けられていく――。
「嘘つき……」
朦朧とする意識の中で私が口に出来たのはそれだけだった。
「*****」
意識を失う寸前に、アスラが何かを呟いた気がしたが――私にはもう聞こえなかった。
ただ、私を包み込む様な温かさだけを感じていた。
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