運命の夜がやって来た
――否が応にも物語は進む。
「キャー!」
「うわぁーー!」
「助けてくれ!」
船上からたくさんの悲鳴が聞こえてくる。
眩しい稲光と共に強風が激しく吹き荒れ、高波が船を飲み込もうとしていた。
……やっぱりこうなったのか。
溺れることのない私は、大波に揺られながら、目の状況を意外にも冷静に受け止めていた。
ストーリー通りに展開が進むのならば、乗客や乗組員達は無事に嵐を乗り越えられるはずだ。
「
王子らしき力強い声と、それに応えるかの様に歓声が聞こえてくる。
王子はこの言葉通りに、乗客や乗組員達を順番に避難させていく。
最後に避難するのは自分……という時に、グラリと揺らいだ船のせいでバランスを崩した王子は、嵐の海の中に投げ出されてしまうのだ。
――つまり、大丈夫じゃないのは王子だけなのだ。
やっぱり助けに行かなきゃダメ?
……ダメに決まってるよね。
私が助けないと死んじゃうんだもんね。
王子は好きじゃないが、助けないと死ぬのが分かっているのに黙って見過ごす事は出来ない……。
溜め息を吐いた私は、船から少し離れた海の中でその時を待った。
****
――トプン
微かな水落音と共に大きな物が落ちて来た。
王子だ。
……遂にこの時が来てしまった。
水面に顔を出して、沈まない様にと必死に水を掻いていた手は、徐々にゆっくりになり――そして、力を無くしてだらりと垂れた。
意識を失った王子の身体が、ゆっくりと海の中に沈み始める。
本当ならば、余り苦しめずに助けてあげたいところだが……私は自分の正体をバラすつもりはない。
だから、ギリギリのラインを見定めて王子の元へ向かう。
沈む王子の身体をしっかりと抱き止めた私は、水面まで王子を引っ張り上げた。
そうして荒れ狂う海を縫うように泳ぎながら、ひたすら陸を目指す。
………しかし。
目や口に入る海水は全く気にならないのに、泳ぐ為にぴったりと密着している王子の身体がやけに気になるのは何故だろうか。
程好く適度に筋肉の付いた身体には無駄なお肉はない。目を瞑っていても分かる整った鼻梁。サラリとしていた髪は濡れて顔に貼り付き、どことなく妖艶さを漂わせている。
王子相手に意識するつもりなんて全くなかったのに、恥ずかしくなってくる。
身体の底からじわじわとしたむず痒さを感じる。
海水に長時間浸かって体温が低下していても、王子は私よりも体温が高い。
火傷するほどに熱い訳ではないが、互いの体温の違いのせいで、王子を意識せざるを得ない。
そうか。
これが………………魚の気持ちか!!
人間に触れられた魚は、人間の体温の高さのせいで火傷をしてしまうと聞いた事がある。その為に、生きた魚に触れる必要のある職人は、氷水で十分に自らの手を冷やしてから触れるのだという。
人魚の私は、人間の王子に触れているせいで、火傷しそうになっているということだ!
成る程。それならば今感じている状態の説明がつく。
表面だけでなく、身体の内側からじわりじわりと焼かれているのだろう。
王子は遠赤外線か……!
この身体の中から燻ってくる様な火傷の症状を人魚姫は恋だと勘違いしたのかもしれない。確かに、胸を焦がす様な感じに似ている気がする。
それならば、さっさと王子を陸に捨てねば。
『焼き人魚』にはなりたくない。
――それなのに、まあ……陸までの距離が遠い、遠い……。
この王子ときたら、無駄に筋肉が付いているせいで水に浮かないのだ。
気を抜くとあっさり沈みそうになるので、しっかりと抱き締めておくしかない。
自分一人なら陸まであっという間に辿り着けるのに、王子というお荷物があるだけで、果てしなく思う。
嵐の海の中を……それも人魚姫の小さな身体で、成人男性を陸まで運ぶって本当に大変な事だったんだね。
――私は今、歴代の人魚姫の体験した苦痛を身をもって経験しています。
「……捨てても良いかな?」
思わず本音がポロリと溢れた。
「重いし……疲れた」
本気で捨てるつもりはないが、助けてあげているのだから、文句や愚痴位は言わせて欲しい。
「こんなに大変な思いをしてまで助けたのに、助けた相手を間違える王子様って……最低」
王子が意識を失っているのを良い事に、言いたい放題する。
性格の良くない私とは違って、心優しい人魚姫達は王子が鈍感なせいで泡になって消えてしまったのだ。今回の人魚姫になった私が代わりに文句を言っても罰は当たらないはずだ。
どのみち、アスラの気が変わらない限りこの物語が終わる事はない。
それはつまり、私も物語の中の一人にすぎないという事で……代わりは幾らでもいるという事だ。
強制力に抗えずに、泡となって消える可能性は十分にある。
――だからこそ、私は自由に動く。
せっかく可愛い人魚に生まれ変わったのに、消えるだけの運命なんて真っ平ごめんだ。
物語通りに事態が進むのなら、その中でイレギュラーな行動を取ってやる。
***
「女ったらし……恩知らず……鈍感……薄情者」
王子への思い付く限りの文句を言いながら泳いでいるとかなり気分が紛れた。
寧ろ、楽しいとまで思い始めてきた。
――だが、そろそろ私の語彙力は限界だ。
「女泣かせのイケメン……極悪非道の悪人――って、これは違うか」
このままだと小学校低学年レベルの悪口に突入してしまいそうだ。
「むう……」
可愛い
さて、どうしたものか。
「ぷっ」
突然、誰かが吹き出した様な声がした。
……勿論、私ではない。
泳ぐのを一旦止めて王子をジーッと見るが、王子は相変わらずぐったりと意識を失ったままである。
……もしかして気が付いた?
起きているなら動揺してもおかしくないはずだ。
人魚に助けられているという非現実的な状況である。
穴が開きそうな位にジロジロと見続けてみるが、ピクリとも動かない。
釈然としない感じはあるが、現状では答えは出なそうだ。
諦めて泳ぎ出そうとした私は、辺りが明るくなってきている事に気が付いた。
いつの間にか嵐は収まり、綺麗な朝焼けが地平線の彼方に広がっている。
私は夜通し泳ぎ続けていたのだった。
陸――砂浜はもう目の前だ。
両腕の力を使って、なんとか王子の身体を砂浜に押し上げた私は、へとへとだった。
浮遊力のない場所で自分よりも大きい相手を運ぶのは骨が折れすぎる。
……きっと明日は筋肉痛で苦しむだろう。
ウンザリとした気持ちで王子を見下ろす。
だけど、まあ……
「助かって良かった」
大仕事を成し遂げた後の解放感から、自然にふにゃりと頬が弛んだ。
この後すぐに修道女の格好をしたお姫様がやって来る。
後の事は全て彼女に任せよう。あなたの旦那様になる人だから……頑張れ。
「じゃあ、さようなら」
もう二度と会わないという決意を込めてそう告げた私は、王子を振り返る事もなく海に戻った。
父と姉達の待つ
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