物語の始まりは突然に……

私が『人魚姫』に生まれ変わった事に気付いたのは、ついさっきの事である。


妹を心配して海から顔を出していた姉達の前で、人魚姫わたしは朝日を浴びて泡となって消えた…………。

泡になって消える瞬間に私は全てを思い出して察したのだ。


……って、いやいやいやいやいや!

お・そ・す・ぎ・る・でしょ?!


言っておくが、私には自殺願望はない。死にたいとも思っていない。


生まれ変わったのに気付いた瞬間に死ぬって……何だそれ。


絶望の中で泡になって消えたと思ったのに……気付けば、分厚い本の山やトカゲ、蛇の入った瓶詰めが壁際の棚に並べられた……こんなにも怪しい部屋の中に私は居た。


ど、どういう事?

辺りをキョロキョロと見渡すと……自分の足下が視界に入った。

そのまま視線を上げると、丁度良い場所に鏡が設置してあるではないか……。


……何だろう。この……『鏡見るよね?』的な配慮は……。

腑に落ちない感じと違和感を抱きつつも、私は目の前の鏡を覗き込んだ。



薄い金色の髪にマリンブルーの瞳。小さく愛らしい唇。

半裸の胸元にはチューブトップに似た形のピンクの布を身に付け、二本の足は無く……オレンジ色にもピンクにも光る鱗のキレイな魚の尾がある。

水の中ではないというのに、器用に魚の尾で立っていた。


……可愛い。

私はペタペタと頬を触ってみた。


胸は控え目ではあるが、とても可愛い。あのバカ王子様は、こんなに可愛い子を選ばなかったわけ!?

怒りが沸々と湧いてくる。


「ふふふっ。怖い顔。気に入った?」

少年の声と共に、黒い影が私と鏡の前に降り立った。


黒いローブを身に纏った漆黒色の短髪と同じく漆黒色の瞳を持つ少年だ。


――怪しい。

私は咄嗟に警戒体制を取った。


「……誰?」

「いやー、とは初めまして――かな?前の人魚姫はさっき死んだところだからねー」

少年は瞳を細めながら私をジーッと見ている。笑顔なのにもかかわらず、まるで内面を見透かすかの様な鋭い視線に、自然と身体が強張る。


「……意味が分からないのだけど?」

「そのままだよ。『人魚姫は自ら死を選ぶ』。よく知っているんじゃないかな?」

「私は……」

「君は『人魚姫』が大嫌いだ。違うかい?」

「……」

「ふふふっ。違わないだろう?だから僕は君を選んだんだ」

笑いながら少年が一歩、また一歩と私に近付いて来る。


「いつもつまらないよ。どんな選択肢を与えたって、最期は自らを犠牲にしてバッドエンド。……んー、何でだろうねぇ?あんな見る目のない王子なんて殺しちゃえば良いのに」

そう首を傾げながら笑う姿は、どこか狂気じみて見える。


「あなたが……選択を与えた?」

私は少年から視線は逸らさずに、少年が近付く度に一歩分、また一歩分と後退して行く。


「そうさ。僕はこの世界の管理者であり、偉大なる魔法使いだ。君は……『かなで』だよね?」

「……えっ!?」

――急にその名前を呼ばれたりしたから驚いて立ち止まってしまった。

私の瞳は極限まで開かれている。


「どうして……その名前を?」

少年は今の私の姿よりも少しだけ背が高かった。呆然と少年を見上げると、そのまま壁に背中を押し付けられた。

――いつの間にか逃げ場を失ってしまっていたのだ。


「言っただろう?僕はだって。君は元の世界で呆気なく死んだ。だから君の魂をこの世界に引っ張り込んだのさ」

クスクスとした笑い声と共に耳元で囁かれた言葉……。


今までの自分の姿ではなく、人魚姫になっているのだから、そうなのだろうとは漠然と思った。


――私はどうして死んだんだっけ?


「司書の久遠くどう かなでさん。二十七歳。独身。彼氏もいなかった君は、仕事場の図書館でナイフを持った暴漢から小さな女の子を庇って、そのまま刺されて死んだんだ。――覚えてないの?背中からナイフで心臓を一突きにされて、血がたくさん溢れてきて……どんどん、どんどん身体が冷たくなって……」

「ストップ!思い出したから止めて!!」

私は少年を睨み付けた。


……思い出させる方法は、他にもあっただろうに、悪趣味にも程がある。

死の瞬間を思い出した私の身体は、無意識にブルブルと震えていた。


――そうだ。私はあのまま死んだのだ。


両親を早くに亡くし、兄弟や頼れる親戚等がいなかった私はまだ良い。


……どうか、あの女の子のトラウマになりませんように。

そう願わずにはいられない。


「ちゃんと思い出したんだね。良かったー。ああ、因みに僕の事は『アスラ』って呼んで。あ、君が負い目に感じると思ったから女の子の記憶は消しといたよ。嬉しい?嬉しいでしょ?」


私の危惧は早くも解決された。

目の前の少年は多少ウザいが……これだけは感謝しても良いと思った。

良かった…………。


「……アスラ?」

「うん。この名前の方が君には馴染みがあるでしょう?君の好きな方の人魚姫に出て来る魔女の名前から取ってみたよ」


……という事は、本当の名前は別にあるという意味だろうか。


「さて、君の心残りが何も無くなった所で、本題に入ろうか。……僕は『人魚姫』のストーリーに飽き飽きしてしまったんだ。だから人魚姫が大嫌いな君に内容を変えて欲しい」

「……え?」

「奏。これには君の命が掛かっているんだ。人魚姫になった君は、このままだとストーリー通りに最後には泡になって死ぬ運命だ。せっかく生まれ変わったのに残念だねぇー?」

「な……っ!?あなたが勝手に私を転生させたんじゃない!」

「そうだよ?僕は君にこの世界で生きられるというを与えた。充分褒められた行いだよね?この先をどうするかは君次第だ」 


……何だか、無性に殴りたくなってきた。

勝手に転生させといて、この突き放し方……って。


「……本当にストーリーを滅茶苦茶にしても構わないの?」

「うん。君の自由に任せるよ。ただし、行動を起こす、起こさないにかかわらずストーリーは進行しているから。それだけは覚えておいて?最初のイベントは嵐の夜だ。君が王子様を助けなかったら、彼は脆弱だから普通に死ぬからね」

サラリと告げるアスラ。


「王子様が死んだら……どうなるの?」

「さあ?今まで僕が選んだ人魚姫達はみんな助けてたから、どうなるか分からないなー。ふふっ。そのままバッドエンドだったりして?」


……嫌な言い方だ。

これでは『助けろ』と言っているのも同じではないか。


「助けなかったら死ぬって……この世界は、現実なの?……夢なの?」

「現実でもあり、夢でもある。この世界は僕が作った箱庭の中の世界に過ぎない。君はその中で、僕に生かされている」


私を覗き込む漆黒の瞳はどこまでも黒く――暗かった。吸い込まれたら二度と戻れないブラックホールの様だ。


「どうして……私なの?」

アスラの基準ならば、私だけじゃなくて他にも選考の候補は他にもいたはずだ。

……そして、みんな……ストーリーのままに死んだ……?


「んー、そうだなぁー。今回君を選んだのは面白そうだったからだよ」

……面白そう?

私を始めとしたみんなの命が掛かっているのに、何を言っているのだ。


「じゃあ、頑張って。僕はいつもお城の地下にいるから。君が死ななかったら、また直ぐに会えるよ」

ふと、アスラの唇が頬をかすめた。


「ふふふっ」

瞳を細めたアスラがパチンと一回鳴らした……瞬間。


……え?!

私の身体は、深い海の中に放り出された。


えっ?!

……し、死んじゃう!い、息が……!!


ゴボゴボッと大量の水が肺に………………は、入らないな。


って……そうだ。

人魚姫なのだから普通に水の中で呼吸出来るよね。


ホッと一安心したのと同時にアスラに怒りが湧いてくる。


アスラは城の地下に居ると言った。

つまりは……私の……人魚姫の家だ。

ならば、文句はいつでも言える。


――その前に、私にはやらなければならない事がある。


私はこの深い海の中を移動する為に尾びれを動かした。

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