第38話 血涙の翼

敵空母を一隻沈められたのが、<サンシャルネス>にとって良かったとは言えない。

なぜなら、それに対する代価が余りにも高くついたからだ。


敵の防衛力を甘く見た訳じゃなかったのだろうが、

航空撃滅戦を始めた陸上航空隊にとって、損害は今迄の優勢を殆ど灰燼に帰してしまう結果になってしまったのだ。


当時全体像は把握できなかったようだが、後の資料によれば各部隊の損耗率は50パーセントを越えていたらしい。

保有機の過半、稼働機のほぼ全てが多かれ少なかれの被害を被ったという。

それにも況して、甚大だったのは歴戦の搭乗員が喪われた事だった。


戦闘機部隊はまだしも、攻撃隊の被害たるや未曾有うの損害を出してしまったのだ。


ヒカル達が護衛した元山空は二次に亘る攻撃を掛けたのだが、双発機で鈍足な機体故にほぼ全機が未帰還という有様。

また、攻撃隊の中には新鋭の二式艦上偵察機を改修した液冷の<彗星>艦爆が数機居たのだが、その最新鋭機でさえも、敵防御戦闘機に墜とされてしまうというおまけまでついてしまった。


スピードではF4Fに勝ると言われていただけに、上層部のショックは大きかったらしい。

それもその筈。

敵空母には、ある新鋭機が載せられていたのだ。


それは・・・




「ワイルドキャット隊長が・・・死んだ?」


ブリーフィング室で金髪の少尉が飛行長に訊いていた。


「ああ、燃える空母に着艦しようとしてな」


飛行長の中佐に詰め寄った少尉の肩が落ちる。


「部下の話によれば、隊長機は<ジーク>との空戦に敗れたが、なんとか母艦迄は帰って来たらしい。

 燃料も足らなかったのだろう、もしかすればどこかに疵を受けたのかもしれない。

 帰っては来れたが母艦は炎上中、海上に不時着しても助からないかもしれない。

 そう判断して強硬着艦に及んだのだろう・・・」


飛行長はそう言うと少尉を置いて部屋から出て行った。


「兄さんが・・・死んだ?いいや、殺されたのか?!」


後ろで束ねられた髪が、細かく震えていた。

肉親の死を知らされ、手の届きそうな場所で母艦と運命を共にしたのだと知らされて。


「いいや違う。兄さんは野良猫と運命を共にしたんだ。

 F4Fの聖獣との約束を果そうとしたんだ、自分の死を以て・・・」


金髪の少尉は蒼き瞳を陰らせる。

兄が死を選んだ理由を心の中で思い起こして。


「兄さんは野良猫に乗ってから人が変わってしまった。

 あれほど空戦は編隊空戦でやらねばならないのだと言っていたのに。

 聖獣と出会って、乗るようになってからは単機で暴れ回るようになった。

 敵の操縦者を侮るようになってしまったんだ。

 自分には聖獣が居るのだからと・・・」


少尉は野良猫の聖獣と兄が、魔法の飛行機である事を自慢している姿を思い出していた。


「自信に満ち溢れ、墜とされはしないのだと言い切っていたのに。

 聖獣と永遠に飛ぶのだと言っていたのに・・・」


ポケットから一枚の写真を取り出す。

そこには少尉と肩を組む隊長の笑顔が写されていた。


「兄さんの仇は私が討つ。必ず・・・墜としてやるんだ!」


少尉は写真をポケットに戻してブリーフィング室から飛行甲板へ向かった。

そこには愛機であるごつい姿が待機していた。

青黒い機体、長いプロペラ、両翼から突き出ている6丁の機銃。

ファストバックのキャノピー後方に描かれた6個の旭光げきついマーク。


「兄さんを落とした奴の情報が欲しい。

 そいつを墜として描き加えてやるんだ、昨日墜とした奴等と同じようにな!」


少尉の前にはF4Fと同じグラマン社の機体があった。

異世界から来た聖獣の乗る<F6Fヘルキャット>という艦上戦闘機が・・・


そう、彼女の名はワスプ・H・バルクローン。

<フィフススター>共和国海軍航空少尉、<地獄猫ヘルキャット>の聖獣のあるじだった。








堀越だが、命には別条はなかった。

唯、受けた傷は命取りとも言えた、飛空士としては。


「中尉・・・申し訳ありませんでした」


手術が終わったと聞いて、ヒカルは病室に駆けつけた。

頭部を包帯でぐるぐる巻きにされている堀越へ改めて謝罪する為に。


「なんだ、ヒカル?何を謝るんだい?」


顔の半分を包帯で巻かれた堀越は喋り辛そうだった。


「なにって・・・護れなかったのですから・・・」


明るく言われると余計に気がひけてしまう。

堀越は自分に対して本当に怒っていないのだろうかと。


「あのなぁ、空戦で被弾するのは自分が見張りをしっかりとやらなかったからだよ。

 誰の所為でもないし、誰も怨んじゃいないよ。

 僕を撃った敵機をやっつけてくれたんだろう、謝られるより僕が謝りたいぐらいだよ?」


言葉には微塵も嘘が無いと判るけど、ヒカルは包帯姿の堀越を観るたびに軍医の言葉を思い出してしまう。


病室に入る前、呼び止められたヒカルが手術を執り行った軍医に知らされたのは。



「君、彼には見えないように鏡を置いてないんだ。

 もし右目の事を訊かれても決して教えてはなならんぞ」


そう言った軍医から傷の話を知らされる。


「彼はもう飛べんという事だ。

 残念だが彼は右目の視力を奪われたのだ、敵弾の破片が網膜を斬ってしまったのだよ」


片方の視力を奪われる・・・それは飛空士にとって死の宣告を受けたに等しい。

立体感が掴めない。飛び上がれても着陸が困難になる。

つまりは・・・


「そんな?!では堀越中尉は二度と?!」


「海空軍の規定では操縦者としては務まらなくなったという事だ」


それだけ言うと、軍医は他の患者の方に行ってしまった。



ー 堀越中尉はもう飛べないんだ・・・知られたら生きる気力まで無くしかねない・・・


軍医の話を思い出して、堀越になんと慰めの言葉をかけたら良いのかも分からなくなっていた。


「なぁ、中島少尉。僕はもう飛べないんじゃないのかな?」


不意に堀越が呟く声が耳を打った。


「な、何を言うのですか。傷が治れば・・・また飛べますよ」


何とかそう答えるのがやっとだった。

嘘を吐く事に抵抗があったが、この場で知らせるのは間違いだと思うから。


「中嶋少尉、いやヒカル君。

 僕が何も知らないと思うのかい?

 敵の弾が右目を掠めたんだよ、無事に済む訳がないじゃないか?」


ああ・・と、ヒカルは思い知らされた。

敵弾が襲い来る中、堀越は自分の運命を悟っていたのだな・・・と。

自分も何度か味わった死の恐怖というものを、このひとは知ってしまったのだなと。


「堀越中尉は海空軍飛空士の規定は御存じなのでしょうか?」


自分でも馬鹿なことを訊いていると感じた。

そんな事を言ったら、彼はきっと気付いてしまうだろうに。


「片目になったら飛べやしないだろうね?

 いいや、飛空士の免状さえも剥奪されかねないだろうね?」


「海空軍なら・・・ですけど」


否定できなかった。

なんとか力になってあげたかったのに、ヒカルの口は真実を知らせてしまった。


「ごめんなさいっ、私が傍に居ながら。中尉が狙われていると知っていたのに・・・」


申し訳ない、心苦しい、代われるものなら替ってあげたいとまでも思い詰めてしまう。

だが、目の前に居る彼から零れたのは。


「あはははっ!あの<零戦虎徹>が涙を見せるなんて。

 僕を励ましに来たんじゃなかったのかい、ヒカルは?」


病床で堀越が大笑いした。知らず間に涙を流して謝っているヒカルに向けて。


「僕が飛べなくったって、飛行機は残ったんだ。

 僕の代わりに誰かが飛べれば良いじゃないか、その為に着陸してみせたんだぜ?」


瀕死の状態でも諦めず、どうにか壊さずに着陸したんだと堀越は笑ってみせた。


「そんな・・・その言い方じゃぁ米川飛曹と同じじゃないですか!」


思わず声を荒げて言い返してしまったヒカルの眼に、堀越の顔が訴えていた。

自分が乗れなくなっても、機体が無事ならば代わりの者が乗れるのだと。

命を擦り減らせてしまっても、仲間が飛べれば良いじゃないか・・・そう言っているのだ。


「同じかもしれない。でも、こうして僕は生きているんだよ中島少尉。

 飛べなくなったのは自分のミスからのモノ、決して君の所為じゃないし敵の所為でもない。

 飛空士は自分との闘いでもあるって、飛行学生の時に教わらなかったかい?」


堀越の声を聴いたら、また涙が溢れ出してしまった。


「中尉、それは海軍士官学校の教えですか?

 それとも堀越中尉の信条なのでしょうか、教えてください」


「僕の信条?・・・そうかな、みんな心の底ではそう思ってるんじゃないかな?」


堀越は躊躇う事も無く言って除けた。

戦闘機乗りとしてではなく、飛行機を操る者なら誰もが秘めている心を。


「中嶋少尉、僕はもう飛べなくなってしまった。

 だけどもこれからは誰かが飛ぶ後押しを続けようと思うんだ。

 この空を安全に、自由に飛べるように飛行機に関わっていきたいと思うんだよ。

 それが僕のこれから進むべき道だと分かったから・・・」


自分はもう飛べない。

だが、飛行機に関わり続けようと決めている堀越に、ヒカルは頭を下げるのみだった。


慰めに来たというのに、自分が慰められてしまった。

そして大切な事を教えられた気がした。


「堀越中尉、あなたほどの飛空士なんて今迄出逢ったことがありませんでしたよ。

 いくら操縦技術が優れていても、あなたほどの想いを持った人なんて会った事がありません」


堀越に心から敬意を払い、目の前が明るくなったように感じた。


「あははっ、そんなに持ち上げられたら零戦の神様に怒られちゃうよ。

 それに操縦技術を貶されたみたいで、苦笑いするしかないじゃないか?」


左目だけで見ている堀越から返されたのは、愛機に宿る者のこと。

<零戦>に宿るレイを観る事が出来ない堀越は、自分の事をどう想っているのだろうか。

まるで神の様に思っているのであれば、言っておきたかった。


「私は神なんかじゃありません。

 敵の弾を受ければ血も流しますし、死ぬこともあるんです。

 唯、私は死の恐怖に抗っているだけの人間なんです、戦闘なんて本当はやりたくないのに!」


精一杯、自分がどんなに弱い人間なのかを知らせておきたかった。

生き延びて来たのは逃げられなかっただけ、戦争に放り込まれた運命に精一杯抗っているだけなのだと。


「堀越中尉はそんな私を神と同じと思われるのですか?

 死の恐怖に怯え、闘う事からも逃げれない臆病者を神だっていうのですか?

 いつ死ぬのか、いつ墜とされてしまうのかを考えてないと思うのですか?」


今迄耐えて来たのは逃れたいだけ。

いつの日にか戦争が終わり、自由に空を飛べると思うから考えないようにしていた。

でも、堀越の前だと自分を曝け出せている自分がいた・・・自分本来の姿を見せれた。


「それが君の本当の姿なんだねヒカル?」


軍隊の中なのに、名前だけで呼ばれても不自然じゃなかった堀越なら。


「そうですっ、私だって生きていたいのですから!」


堀越の前なら、自分を曝け出しても恥ずかしいとは思わなくなった。

上官で男の前だというのに、なにもかも言っておきたくなっていた。


「死ぬのなら、どうせ死ぬのならって。

 空の上で死んでしまいたくもなっていたんです。

 自分のこの手で撃ち落とした人の事を想ったら。

 いつかは撃ち殺されてしまうのなら、空の上が良いって思ってるだけなんです」


自分が墜として来た敵機には、人が乗っていたのだから・・・

罪の意識は、いずれは自分も同じ結末を迎えるだろうと苛んでいた。

人の死に様を見て来たヒカルは、いつかは訪れる終末を空の上でと望んだのだ。


「君は死なない、血涙けつるいの空では」


耳に届いた・・・想いが絶たれるように。


「君が死ぬのは人生を全うしてから。

 戦争でなんて死にはしないさ、君を殺せる奴なんて居るものか」


手が振れた・・・堀越が伸ばして来た手が。


「ヒカルは青空を飛べばいい。

 戦争が終わってからも飛び続ければ良い、自分が思い描く未来に向けて」


握られた手の温もりが、心に届いた。


「ヒカルは生きて、生きて飛び続けるんだ。

 戦争の無い蒼き空の上を、誰憚る事のない自由な翼を広げて」


「自由な翼?」


握り返した手を牽き寄せられた。


「そう、君の思い描いた蒼き空を羽ばたける、心の翼だよ」


心に残る<翼>だと思った。

自分には血涙の空は似合わないと教えてくれた堀越に抱しめられ。


ヒカルは初めて心の中に、希望を燈せた気がしていた・・・





仲間を失う辛さ。

それは敵も味方も無かった。

ヒカルは堀越の去った戦闘201空で闘い続けた、その日が来るまで。


そう・・・あの日がやってくるまでは・・・


次回 決戦の空で

君は喪う恐怖を知った空の戦士!


 

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