第37話 離別
互いに相手の出方を探る。
空中戦では、瞬時の判断が命取りになるのだから。
「左翼が何時まで持つか判らん!主よ勝負に出るしかないぞ!」
敵の技量が如何程なのかなんて悠長に構えていられない。
事実、飛んでいられるのが不思議なくらいだった。
左翼の歪みからか、操縦桿に違和感を覚える。気を抜けば戦闘どころではない。
「分かってるわ!でも、敵が縦の機動戦を拒んでいるから!」
緩慢に飛んでいるように見えるが、敵はこちらとの巴戦を嫌っているようにも窺えた。
左翼に不安を抱えるヒカルは横の巴戦を嫌い、敵はこちらの思惑には乗らず縦の機動戦に入ってはくれなかった。
「それに、敵の速力が劣っていない気がする。<昇華>した<零虎>にも負けていない気がするのよ」
相手も<昇華>したなんて思いもしなかった。
まさか因縁の相手だったとは、ヒカルには分かりようもなかったのだ。
「こうなれば一か八かよ。奴を無理でも巴戦に入らせてやる!」
「おいっ?!何をする気なんだ?」
流石のケモ耳聖獣にもヒカルが何を企てているのかが判らない。
「黙って観ていれば判るわ!奴がついて来るのならばね!」
時を惜しむのか、ヒカルはレイにも教えず射撃把柄に手をかける。
タタタッ!
前方の背面を見せて飛ぶF4Fに、7ミリ7で遠方射撃の一連射を浴びせてから。
「いくわよっ!」
反転降下にて堀越機の救援に向かい始める。
追撃を断念し、味方機の援護に向かう素振りを敵に見せたのだ。
「追いかけて来るのなら・・・その時こそ!」
敵に背中を見せ急降下に入るヒカルは、敵の出方を待っていた。
「おい、逃げやがる気か?」
<野良猫>隊長は追って来ていた<零戦>が反転急降下に移るのを観てチャンスが来たと思った。
「追いつけないとでも思ったか?!グラマンワークスの頑丈さを知らないとみえるな!」
隊長がそういうのも無理はない。
普通の<零戦21型>ならば、急降下制限スピードは400ノットまでとされていた。
対してF4F-FM2ならば、軽く400ノットを超えられた。
それが零戦と同じ海軍機であった、F4Fの取り柄とも言えるのだが。
「いくぞ!ダイブをかけて追いついてやる!」
巴戦じゃなかったのと、得意のダイブズーム戦法だったから野良猫の聖獣も文句を言わなかった。
まさか、それが
<零戦22型>を追いかけるF4F-FM2。
急降下を続ける二機の周りには支援する機影は存在しなかった。
上空のF4F小隊3機は隊長の腕前を信じ込み、また邀撃中の零戦はそれどころではなく。
「ついて来たぞヒカル!」
後方から猛烈な速度で追いかける野良猫に、
「泥棒猫さながらの速力だ!」
ここでやっとヒカルが企てた作戦を理解した。
「そうね・・・速度に頼り過ぎれば、機敏な動きは出来やしないから」
タイミングを計るヒカルが、敵機の軸線から外れる様に僅かにフットバーを動かす。
追う者の野良猫隊長が、近付く<零戦>を捉えたと思い込む。
気付かれていないと思って真一文字に突っ込んだ・・・射撃する為に。
「来るな・・・勝負よ!」
振り向きながら、野良猫が撃つタイミングまでじっと待った。
「来るぞヒカル・・・今!」
もう100メートルは切っていただろう。
肉薄するF4Fは一撃で勝利を納めるつもりだったに違いない。
トリガーを引き絞った野良猫隊長は<零戦>が消えたのかと思った。
照準鏡の中でゆっくり横転していく<零戦>に、併せることが出来ずに突き抜けてしまったのだ。
飛行特性上、低翼面荷重機にしか向かないと言われた空戦技術。
格闘性能優秀機<零戦>ならではの一手と言えるのだが。
「ひゃっほぉぅっ!
モフモフ髪を靡かせて、<零戦虎徹>の歓呼の声がレイから迸った。
「ここからよ!観てなさいっ!」
敵弾をやり過ごした<零戦>22型が、フルスロットルでF4Fに噛み付いた。
手負いの虎が、煩い野良猫に噛みついたのだ!
そのまま急降下して逃げれれば、野良猫にもチャンスはあっただろう。
だが、運の悪い事に・・・
「主!引き起こさねば地上に激突する!」
中高度で空戦し、そこから急降下をかけて撃墜を果せなかったのならば。
「くそっ!ジークに嵌められたか?!」
このままでは、地面に吸い込まれるだけだと思った時には<
「もう逃げることは無理だ。機動戦で叩き墜としてやる!」
操縦桿を引き、後方に迫った<零戦>に応じるよりは助かる道は残されていなかった。
「主!仲間に救援を頼むのです!」
野良猫は悟ったようだ。
この主では<虎>には勝てないのだと。F4Fでは<零戦虎徹>には歯がたたないと。
「馬鹿!私は奴と一騎打ちを果すのだ!」
しかし操縦者は名を惜しんだのか、救援を拒んでしまった。
それが野良猫の運命を決した。
「
ケモ耳を垂らし、聖獣は覚悟を決めた。
「やれっ
ケモ耳を振りたてたレイがOPLに仁王立ちになる。
白銀のモフモフの髪が、荷重で一本の棒の様になって見える。
急降下の速力を活かし、F4Fへ急接近する<零戦22型>。
上昇力でも零戦と同じスピードを誇るF4F FM-2だったが、次第に追い縋られていく。
縦の巴戦では速力よりも翼面荷重が物を言う。
F4Fより零戦22型の方が小回りが利くのだ。
旋回半径が小さいのは有利なのだが、乗っている者にも負担がかかる。
「くぅっ、まだ諦めないようね」
重力と遠心力に耐え忍ぶ・・・頭から血の気が無くなりそうになりながら。
目の前がブラックアウトしてしまえば、操縦不能にもなりかねない。
徐々に後上方に迫る<零戦>と、それでも旋回を続ける<
だが、勝負は次の一瞬で別れる事になった。
「駄目だっ振り切れん!」
踏ん張り続けて来た野良猫隊長も、追い縋る<零戦>に音を上げてしまったのだ。
「諦めては駄目ですっ、もうひと踏ん張り!」
野良猫の聖獣が応援したのだが、隊長は諦めてしまった・・・巴戦を。
「ジークが完全に捉える前に。切り返す!」
空戦自体を諦めたのではないと、隊長はステックを倒してしまった。
「あっ?!」
・・・なにをっ?! と、言いたかっただろう野良猫は。
操縦する継承者に、咎めたかっただろう。
それでは<零戦虎徹>に撃ってくださいと言うようなものだと分っていたから。
「お終いヨ!」
目の前で急激に近づいたF4Fの機体上面が、照準器から大きくはみ出ていた。
狙う必要もない距離で、ヒカルの左手が握り締める・・・発射把柄を。
ドッ・・・・ タタタタッ!
射撃音が軽くなった。
両翼から出た20ミリはたったの2発だけ。後は7ミリ7が20発程だけだった。
「・・・撃ち尽くしていたみたいね」
堀越を救おうとした時に撃っていたから、残った弾は僅かだった。
それでも目前を過った敵に対しては、十分な効果があったと確信していた。
なぜなら・・・
「追わないのか
敵機を睨んだレイにも、それが分っていたから強く言わなかった。
「ええ、あの状態では・・・必要ないでしょうね?」
火は噴いていないが、確実に命中したのだと判る。
微かにオーバーヒートの煙が流れ出している・・・離れて行く敵機から。
「胴体に一発の20ミリと、7ミリが命中したからね。
発動機にも・・・コックピット周りにも・・・ね」
切り返そうとしてこちらに曝け出された上面に、数発の弾痕を穿っていた。
「そうだな。あの状態なら・・・還れんだろう」
離れ征くF4Fを観て、レイは間違いなく一つの宿命を感じていた。
<零戦>と闘った異世界の戦闘機F4Fの最期を看取ったのだと。
「
アイツはもう向かっては来れんだろう・・・
薄く煙を吐き、ふらつく機体が飛んで行く。
撃墜を免れて、家路に着く手負いの野良猫が帰ろうともがいているかのように。
「さらば・・・もう会う事はないだろう」
旧知の友を見送るように、ケモ耳を垂らすレイが永遠の別れを告げた。
「こっちも帰らないと。空中分解してしまうわ!」
「そ、そうだった!おいキーよ、保てそうか?」
我に返ったレイが、ヒカルに促されて機体妖精を呼び出すと。
「にゃんとかぁ~っ、着陸まで持ちそうですがぁ、もう巴戦は辞めてくらしゃいぃ」
左袖を破かれた赤煙火服のキーが、目を廻しながら答えて来る。
「ふむ、それだけ軽口を叩けるのなら安心だな」
「親分ん~っ、他人事だと思ってるでしょぉ?」
笑うレイにぶつぶつ文句を言うキーを見ているヒカルが、
「もう少しだけ辛抱して。堀越機を護らなきゃいけないの」
操縦桿を捻って救援に向かった。
「主・・・死なないでくださいよ」
エンジンからのオイル漏れが停まらない。
穴の開いたキャノピーが騒音を奏でている。
「どうかな・・・母艦迄保てるか?」
野良猫隊長が言ったのは、機体と自分の躰に受けたダメージ双方の事。
反転した瞬間に襲い掛かった敵弾が、機体を撃ち抜いたのだ。
一発の20ミリにより胴体に大きな穴が開いた。
機首から立て続けに命中した7ミリ7機銃弾が、エンジンとコックピットを襲った。
補器に当たった弾によりオイルが漏れ、一弾に貫かれたキャノピーに穴が開いた。
そして・・・その弾が。
「主・・・死に給うな。帰ればまた出撃出来るのですから」
F4Fの聖獣も機体同様にボロボロになっている。まるで死の間際に居る野良猫の様に。
「分かっているが・・・どうやら年貢の納め時の様だ」
肩から袈裟切りに貫いた弾で、野良猫隊長は瀕死の重傷を受けてしまった。
母艦迄の帰途、主従は最期の時が来たと悟る。
だが、敵国であっても戦闘機乗りの信条は変わらなかった。
「母艦に辿り着けたら・・・叶わなくとも着艦を試みるさ」
ふらつく機体をなんとか保たせ、野良猫は帰路に就く。
瀕死の隊長機を護る為に、部下達が周りを囲んでいた・・・・
「堀越さんっ?!」
その機体はどうにか飛び続けられていた。
ふらついているだけで済んでいるのが不思議に思えた。
あちらこちらに12.7ミリ弾の穴が開いている。
なぜ火を噴かずに済んだのか、なぜ墜ちずに済んでいるのかも考えられない位に。
ガラスが破れ、キャノピーが用をなしているとも思えない操縦席に、彼は生きていた。
「しっかりっ!もうすぐ滑走路ですから!」
失速寸前の速力で、滑走路に降りて行く堀越機。
俯き加減の堀越は、顔の半分を血に染めているのが見える。
相当の深手なのか、もう視界が確保できていないのか。
「まただ・・・米川飛曹と同じ事になってしまわないか」
心を痛めてみても、その人を救う手立てはない。
頑張れと喚いても、声さえ届きはしない。
それでもヒカルは叫ぶのを辞めはしなかった。
「もう少し左ですっ!あ、今度は右っ!」
ゆらゆらと降りて行く堀越機の上から、何とか無事にと祈るより方法が無かった。
「ほらっ!そこで操縦桿を起こして!フラップを効かせて!」
堀越機が滑走路に降り立った時には、ヒカルは涙を流して手を叩いた。
後は堀越の躰が保ってくれるだけだと願いつつ・・・
「堀越中尉!」
地上に降り立った途端に駆け出した。
自分と<
掩体壕の手前で止まっている堀越機には、整備員達が集まり操縦席から助け出していた。
血に塗れた操縦士官で邀撃隊指揮官を。
「堀越中尉!分かりますか中島少尉です!」
駆け寄った時ヒカルが観たのは、頭部と右目を破片でやられた男の姿だった。
「ああ、助かったよ中島少尉。ありがとうな・・・」
感謝されても、お礼を言われても。
「すみませんでした中尉。私がもっと早く気が付けば」
謝るより言葉が見つけられなかった。
自分がいたらなかったのに・・・護る事が出来なかったのだから。
「いいや、あの時気が付かなかった僕に責任があるだけさ。
君は敵から護ってくれたじゃないか、片翼を壊してまで」
担架に載せられても、堀越はヒカルに謝辞を返して来る。
「中嶋少尉、堀越中尉を軍医の元に連れて行きますから!」
整備員が数人固まって担ぎ、急ぎ足で医務室へ駆けだす。
「中嶋ぁ!後は頼んだぞ!」
堀越の声がヒカルの耳と心を打った。
その声には、生きろと言われているようにも思えたから。
「堀越さん・・・」
レイと自分を結んでくれた男は負傷してしまった。
自分の目の前で、空の闘いに傷付けられたのだ・・・
目の前で散り行く翼。
どれだけ足掻こうが運命は非情だと知らされた。
時として敵にも味方にも、同じように訪れるのだと分った。
それが空の掟だと・・・やっと気づかされたのだ。
野良猫は墜ちず、傷ついた者は還りつく事が出来た。
住み慣れた我が家、機動部隊まで。
辺りを覆う黒煙が、ここで何があったのかを知らせていた。
母艦の直上に来て、初めて野良猫なのだと再認識した。
「我が家が燃えている・・・」
黒煙を立ち昇らせ、往き足が停まっている母艦を見詰める。
「敵の攻撃を受けて・・・大破したのか」
出血による意識の混濁の中、隊長は護衛の艦艇から送られてくる信号を読みとる。
「「第2部隊のレキシントンに向かえ」」
着艦不能の母艦を見捨て、他部隊の航空母艦に行けという。
だが、もう野良猫は持ちそうにない。辿り着けないのだ。
「主・・・よくここまで頑張りましたね。ありがとうございました」
ボロボロの野良猫が感謝する。
もはや運は尽き、最後の望みは絶たれてしまった。
「もうこれまでです。最期は海軍機らしく散りたいと思います」
海上に着水し、脱出してくださいと願うのだったが。
「ああ、それも良いが。ここまで帰ったんだから家にノックしてから果てよう」
命の灯も・・・もう終わるのだからと。
野良猫隊長は決めていたようだ、着艦して死のうと。
「なぁ野良。いつの日にか元の世界に戻れたらいいなぁ」
「いいえ、主。私はいつまでも傍に居たいと願いを変えたのです。
この野良に人の情けを教えて頂いた主の傍に居続けたいのです」
主従は最期のアプローチに入った。
傾き爆焔を揚げ続ける
「そうかい・・・それなら帰るとしようか」
微笑みを交わした
大破した<フィフススター>航空母艦ホーネットが雷撃処分されたのはこの2時間後の事だった。
機動部隊の攻撃により手痛い損害を受けた<サンシャルネス>軍。
たった一度の航空攻撃で優勢は潰え去ったのか?
だが、本当の戦争はこれからだったのだ。
ヒカル達は暁に燃える空に舞い上がるのだ、喩えそれが報われない戦いと知っても。
次回 血涙の翼
君は紅の空に何を観るのか?
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