第34話 守勢
飛行場上空に
空戦は終わりを告げ、いち早く舞い戻った邀撃機が着陸を始めているのが眼に留る。
「3番機を先に降ろさせよう」
燃料の不安を報じていた大林二飛曹を優先させる為に僚機を呼び寄せる。
小隊位置に戻って来た二機へ、小多一飛曹と共に先に降りる様に着陸を指示してから、傍を飛ぶ件の<零戦>に近寄った。
「うむ。相当、弾を喰らったな」
近寄ってみて始めてその機が受けていた損害が判った。
機体のあちらこちらに12.7ミリが穿った穴が開いている。
よくもまあ火を噴かずに済んだものだと、レイの声がその有り様を示した。
発動機カバーからオイル漏れを引き起こし、薄く煙を曳いている。
それにいつプロペラが停まるか分からない位に回転が不安定に見えた。
「
ずっと眺めていたレイが、キャノピーに開いた穴と俯いた操縦者を知らせて来る。
「なんですって?!」
教えられてやっとわかった。
その機に乗っている人が誰なのかに。
「米川一飛曹?!」
思わず叫んで彼を見る。
俯いた米川一飛曹は、操縦しながらも眠っているように目を閉じていた。
その姿は死んでも飛び続けようとしているかのように観えた。
「うむむ・・・このままでは失速して墜落してしまうぞ?!」
流石の聖獣でも、他機までは救いの手を挿し伸ばせない。
手の届きそうな程近寄っても、どうする事も出来なかった。
「眠ってしまったのか、それとも・・・」
その後は声に出せない。
幽鬼の様に飛び続ける愛機と共に墜ちるのを待つとでも言いたいのか。
「いいえ、彼は私との約束を果そうとしているだけよ!」
<生きて還れ>
戦闘機乗りの心意気・・・彼は今、それに応えようとしているのだ。
激しい空戦から帰還して来た彼が、窮地に落とされた味方機を見て手を差し伸べた。
最初観た時から薄い煙を曳いていた処からみて、どこかで敵弾を受けていたのだろう。
それなのに、見過ごしては措けなかった・・・もう同じ過ちを繰り返さないように。
目の前で味方が墜ちるのに耐えられなかったのか。
それとも・・・本当に殉じて果てるつもりだったのか?
不具合を訴える機体、受けた疵で朦朧とする意識であろうとも。
「彼を助けないと!レイっ、少し疵付けるかも知れないわよ!」
ステックを引き僅かに上昇させたヒカルがフットバーを蹴る。
米川機の上に半横転状態で被さり、キャノピーを上から眺め降ろした。
「あ・・・」
そして凄惨な状況に於かれた彼を見てしまった。
<零戦>21型には防弾鋼板などは装備されていない。
尤も、鋼板があったとしてもガラス板を貫いた弾には意味は無いが。
見下ろして判ったのは、機体には致命傷となる被弾箇所は見当たらなかった。だが、肝心の操縦席周りにはいくつかの貫通痕が穿かれている。その最たるのはキャノピーを砕いた複数の穴だった。
上空から敵弾が襲ったのだろうか?俯く米川の飛行服は血に塗れ重傷を窺わせるに十分過ぎた。
「いかんな・・・着陸に耐えれるかどうかも判らんぞ?!」
飛べているのが不思議なくらい。
眉を顰めるレイの言葉が胸を抉る。
「いいえ、彼は帰ると約束したの。生きて還ると!」
機体を水平に戻し、同高度に執る。
「彼を着陸させる。観てなさいレイ!」
左翼に米川機をみて、フットバーを僅かに押し蹴る。
ツイッと機が振れ、米川機の右翼に触れる。
ガツンッ
ほんの少しと思われたが、衝撃と音が猛烈に体を揺さぶった。
「わぁっ?!やめんか
空中接触は、分解の危険を伴う。
同じ速力だとしても、横合いからの衝撃は機体に極度の撓みを与えるから。
「失敗!次はしくじらないわ!」
一度離れたヒカルだが、再度試みるという。
「待て!待たんかヒカルっ!次はって?!おいっ!」
次に同じような衝撃を与えられたら、共倒れになって分解しかねないと慌てて止めたレイに。
「黙って観てなさい!」
問答無用に機体を操るヒカルが教えた。
「彼に胴体着陸なんてさせないから!」
じりじりと左翼の先に迫る米川機の右翼。
ギッ ガンッ ガンッ
軋み音と擦過音が交り合う。
操縦桿が僅かにぶれる。
ギギィッ
翼同士が擦れ、火花が散った。
「おいおいっ?!何をする気なんだよ
ほんの僅かだが、翼が傾き進行方向がずれた。
僅かに横滑りして翼同士が離れると、もう一度接近し直し、今度は上から翼を載せていく。
「もう辞めるんだ主よ!これ以上はこっちがもたなくなるぞ?」
喚くレイが、堪らず妖精キーを呼び出した。
「おいっ、どうだ?持ち堪えられるのか?」
碧い煙火服は右袖が破れ、目を廻してしまっているのだが。
「親分んっ、大丈夫ですよ!まだまだ耐えられますから・・・それに。
それに!
呼び出された機体を司る妖精キーが、まだ大丈夫だと気概を見せる。
「そうか、ならば耐えてみせてくれ!無茶な
キーに頷いたレイが米川機を飛行場の滑走路に誘導するヒカルを仰ぎ見て言った。
「ふぅ・・・よし、後は足を出させるだけだ!」
なんとか着陸旋回を終えれたヒカルが、米川を観る。
相変わらず項垂れてはいるが、微かにこちらを見ている気がした。
「よーしっ、観てなさい!」
ステックを引き上昇すると、右手で油圧降脚機のノッブを押し下げた。
鈍い音と共に脚が降り始める。
「分かったかな?前に出てもう一度見せよう」
朦朧としている米川に見せようと、前方に陣取り同じ行動を執る。
「フラップ操作なんてこの際後回しで良いから。兎に角、脚を降ろして!」
気が付いてくれと脚を降ろしたままでバンクを繰り返す。
振り向き米川機に変化が訪れるのを辛抱強く待つ。
そしてついに・・・米川機から脚が降ろされた。油圧も故障していなかったのか、両輪とも。
「やったな
喝采を叫ぶレイとは反対に、ヒカルはこれからだと兜の尾を締め直す。
「先に降りて手本を示す!レイは彼が続いて来るかを観ておいて!」
滑走路には敵爆撃機が開けた爆弾孔が邪魔をしている。
それを避けて滑り込まねばならなかった。
(作者注・平時でも飛行機は飛び立つよりも着陸時の方が数段に難しいと聞き及んでおります)
「うむ、了解だ」
後ろに続く米川機を眺め続けるレイが、ヒカルに併せて降りて来るかを見張り続ける。
「機軸がぶれてないか、高度は落ちていないか?」
「全てよーそろ!」
間違いなく米川機は着陸動作を採っていると踏んだヒカルが。
「着陸するわ!手荒いけど3点着陸は出来ないからね!」
海軍式の降着方法は執れないとあらかじめ知らせておいて、そのままの速力で滑走路に降りて行く。
スロットル操作やフラップ操作を執れないであろう米川に併せて。
普段の降着スピードよりも20ノットほど早い。
ヒカルは初歩練習機時代を振り返りながら、慎重に脚を大地へと降ろした。
ダンッ!
脚が地を掴んだ。
スピードがあり過ぎてブレーキはかけられない。
自然に行き足が鈍るのを待つより方法がない。
普段の倍ほどの距離でやっとブレーキがかけられるまで落ちると、左側だけ踏み込んだ。
左脚を軸にして機体が振られてやっと停止出来た。
「米川一飛曹は?!」
キャノピーを開き、立ち上がって後続機の状況を観る。
「巧いぞ!奴も無事に降りて来た」
バルーンニングを繰り返しながらも、米川機は脚も折らずに着陸に成功したようだ。
「私っ、米川一飛曹に会って来る!」
バンドを外すのもまどろっこしく、落下サンベルトをその場に置いて翼に降りる。
「ああ、会って来てやれよ
レイの声を背に聞いて、地上に降りたヒカルが彼の元へと走り出す。
プロペラが回ったままの米川機には、既に地上員が取り付いていた。
キャノピーを開け放ち、米川を担ぎ出してエンジンを停めている整備員達の所まで来たヒカルが眼にしたのは。
「中嶋少尉・・・残念ですけど。米川飛曹は、もう・・・」
整備員が、米川を地上に降ろして首を振った。
「嘘よ、まだ生きているわよ!」
駆け寄ったヒカルの前には、満足げに微笑む彼の顔があった。
「ほらっ!笑ってるじゃない。死んでなんか・・・」
掴みかかる勢いで寝かされた米川の傍に来た時。微笑む彼が事切れているのが判った。
血に塗れた飛行服、背中からも口からも噴き出された血痕が、彼の苦悶を知られている。
背中から受けた12.7ミリ弾によって、彼の命は奪われたのだ。
どうやって着陸できたのか、死を目前にしてまで降りられたのか・・・
呆然と立ち竦むヒカルは、着陸まで生きていたモノを見下ろすだけだった。
鬼気迫る状況なのに、彼の死に顔が満足げに微笑んでいたのを不自然とは思えずに。
機付きの整備員達が掩体壕まで連れて行ってくれた。
損傷個所に応急修理を加える為、着陸した一番遠くの掩体壕に。
翼の下で足を抱えて蹲っていた。
自分との約束を果して散ってしまった米川の死を受け入れ難く。
整備班長が気を利かして差し入れてくれたサイダーや海苔巻きにも手をつけずに。
唯、呆然と人の死について考えていた。
陰が眼に入った。自分の足元に現れた影に。
「どないしたんやヒカル?おまえらしゅうないやないか?」
影は柏村分隊士だった。
何時降りて来たのかは知らないが、中隊長が自分の前で笑っているのに気付いた。
「柏村大尉・・・」
そう答えるのがやっとだった。
空戦中ではない人の死に直面したヒカルを知ってか、柏村は笑い掛けて来る。
「なんや、陰気臭いやっちゃな?こんなとこに居らんで指揮所に来いや?」
そうだった。戦果確認もせずに独り<零戦>の元に居たから。
柏村はわざわざ呼びに来てくれたのだ・・・司令達に報告せねばならないのだと。
「す、すみませんでした大尉。今直ぐ・・・」
立ち上がろうとして腰が抜けていた事に気付かされた。
失意と眩暈の為に立ち上がることも出来ずにいたのを思い出した。
「あ痛たたっ。腰がぬけちゃって・・・」
立ち上がろうとして尻餅をついた。
「なんやぁ?お前ほどの奴でも腰を抜かすんか?」
しょうがない奴とばかり柏村が手を差し出して、ヒカルを強引に起き上がらせる。
「はぁ、面目もありません」
空戦だけでは腰なんか抜けはしないが、目にした戦友の死に様に怖気付いた。
自分もやがては同じように死ぬのではないかと思って。
「あんなぁヒカル。まだこの後も飛び上がらにゃあならんかもしれんのやで?
残った機で防空戦をやらにゃぁならんかも知れへん」
肩を廻して来た柏村がそれとなく教えて来る。
「えっ?!まだ敵襲があるかもしれないのですか?」
「そや。どうやら敵の機動部隊が遊弋してるらしいんや」
頭の隅に、レイが言っていたことが流れ去った。
付近に接近して来た空部の存在が、本当だったのだと知らされて。
柏村に連れられて指揮所まで歩く間、損害の厳しさに言葉を失ってしまった。
帰って来れた機は殆どが損害を受け、修復に時間が必要と思われた。
無事に還れた数は、おおよそ11機。
その中で直ぐに飛び上がれそうなのはヒカルの小隊3機と併せても8機に届くかぐらいだった。
戦闘201空に装備されていた27機が、僅か一週間にも満たない内に8機にまで減っていたのだ。
「御苦労だが修理と補給を終え次第、直ちに飛び上がって貰わねばならん」
大園飛行長が集められた搭乗員に命じた。
「味方偵察機に依れば、ルゥバラ島沖に数個の機動部隊らしき艦隊が遊弋中なのが判ったらしい。
我が方はこれを迎撃、航空攻撃を展開中だという。
本隊も加わる予定だったが、状況を鑑みて取りやめになったのだが・・・」
飛行長の言葉にヒカルは周りの士官を観てから頷いた。
集まった中には今朝まで居た同僚の顔が見当たらない・・・数名も。
「小林大尉は負傷して指揮を執れない。また、残機から言っても制空隊には数が不足だ。
そこで我が隊は基地上空の防衛を手掛けることに決した」
飛行長の言葉に秘められたのは、味方の航空攻撃でも敵は退かない。
いや、敵の機動部隊は必ず次の攻撃隊を送り込んでくるだろうと告げているのだ。
今日の今朝まで、攻撃を掛けているのは<サンシャルネス>側だとばかり思い込んでいた。
それなのに、僅か半日で状況は激変してしまった。
攻勢はたったの一日で守勢に立たされたのだろうか?
それとも敵機動部隊のヒットアンドウェーなのだろうか。
敵に痛打を浴びた<サンシャルネス>に、攻勢に出られるだけの勢力が残っているのかと心配になる。
指揮所に集った士官達の戸惑う顔が、それを教えていた。
ルゥバラ沖150マイルに展開していたのは<フィフススター>の機動部隊。
3つの任務軍からなる第5
正規空母に搭載された都合200機の海軍機の中で、戦闘機は初め95機を占めていた。
制空と艦隊直掩に割く数としては十分とも採れたが、第1波の攻撃で喪った13機の損害に驚愕してもいた。
しかもその全てが最新のF4F-3であったことにも司令部は動揺したようだった・・・が。
「何も臆する事なんてないんだよ!乗っていた奴等が下手糞過ぎただけじゃないか!」
公然と死者に鞭うつ弁を唱える女性士官が居た。
「私に向かわせたら、一匹残らず駆逐してやるよ!
部下達の前で敵を嘲る搭乗員がふんぞり返った。
「それに、私の妹達がもう直ぐ艦隊に配備される。
そうなりゃぁ、勝ったも同然だ!
<
部下達は異を唱えようとしなかった。
自分を野良猫と言い切った士官を、誇らしげに見ているだけだった。
「
直ぐに飛行指揮所までお越しください、艦長と飛行長がお待ちです!」
高らかに嗤う女性士官の元に、飛行長の呼び出しがかかった。
眼を細めた<フィフススター>飛行大尉が、部下達に口を歪めて出撃を示した・・・
苦戦を強いられるヒカル達<サンシャルネス>側。
敵は本腰を入れてかかってきた!
更なる攻撃を受けるルゥバラ基地。
決死の邀撃隊が飛び立つのだったが・・・
次回 苦境
君は修理の終らぬまま飛び上がるのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます