第31話 航空撃滅戦
大園飛行長の音頭で黙祷を捧げた。
下川大尉と二番機堂本一飛曹を弔うために。
未帰還となられた二人の御霊よ安らかに・・・と。
開戦第1撃で受けた被害に、誰もが沈痛な面持ちで二人の冥福を祈ったのだ。
一番苦しい立場にあったのは、同じ小隊に属していた3番機の操縦者だろう。
第1中隊1小隊3番機を務めていた米川一飛曹によると、地上掃射を終えた小隊が上昇に転じた時に、海岸線から上昇して来た敵機に奇襲を受けたのだという。
目の前で指揮官機と二番機が火を噴くのを見た瞬間を思えば、彼の心は如何ばかりだったのかと・・・
飛行長他、司令や士官達に交々問い質される彼を見て。
「奇襲を受けたのなら仕方がないじゃないか?」
「いや、いくら奇襲を受けたと云っても、長機を護れなかったのは責任があるんじゃないのか?」
同僚達は彼を擁護する者と責任を追及する者とで意見を分かつ。
ー どちらにしたって、喪われた人は戻りはしないんだ。
米川一飛曹が戻れたんだから、それで良いじゃないの…
指揮所の前で詰問されている彼の苦境を慮って、ヒカルは同情心から想うのだった。
その晩、
「なんでも青い機体に描かれてたそうだぜ」
第1中隊の
「フザケタ話だよな、機種にトレードマークを描くなんて」
「奴等は自分専用の機体を持ってるって言う現れだよな?」
二人の声が耳に入ると、ヒカルはペンを置いた。
「ウチの隊にも一人いるけどな。奴等はそれを見せびらかしているって訳さ」
登山中尉は暗にヒカルを指して嫌味を溢している。
その当時、機体は部隊で運用するから、誰がどの機体を使うかは特別な理由がない限り決められてはいなかった。暗黙の了解で受け持つ機が決まっているだけで、調子の云々で乗機が替えられる事など日常茶飯事だった。但し、指揮官機や識別マークが塗られた機に、当直者以外が乗る事は認められてはいなかったのだが。
<零虎>が認めたヒカルだけは、専用の機体であったのが登山中尉には癪に思えたのだろう。
「それよりも米川の話によると、件の敵機に描かれてあったマークなんだが。
惚けた<猫>だったと言うじゃないか、ふざけるにも程があるな!」
「そうそう!しかも胴体には4つも星が描かれてあったらしい。
そいつは既に、俺達から4機も墜としたという意味なのかな?」
・・・4つの星。つまり撃墜マークなのだろう。
二人の話からすれば、敵機は個人専用機で既に4機も撃墜したと表している。
そして、猫を描いて味方にも敵にも存在感を誇示しているのだ・・・と。
「これで奴は6つの星を付けただろうさ。ああ、腹が立つ!」
「今度出会ったら、一番に叩き墜としてやろうぜ」
意気軒高に罵り続ける上官達に背を向けたまま、ヒカルは士官次室から出て行った。
飛行場迄出て来たヒカルの足は、そのまま愛機の元まで歩を進める。
整備員達も愛機の周りには居ない。
明け放たれたキャノピー越しに、モフモフ髪のレイの姿が見えていた。
「なんだ、
翼の下に居るヒカルを、目も当てずに呼んで来た。
「ちょっと聞きたい事があるの」
翼に上がってレイに訊く。
OPLに座ったままのケモ耳少女が、やっと顔を向けると。
「まぁ、座って話そう。そこじゃぁなんだから・・・」
招き寄せるレイに、座席に腰を下ろしたヒカルが口を開く。
「レイは奴の事を知っていた。あのF4Fとかいう海軍機のことを」
キャノピー越しに星明りがモフモフ髪を照らしている。
小さな聖獣レイは、問われた意味を窺うようにヒカルを見詰めて。
「ああ、奴の事は知ってるさ。敵としては一番良くこの世界で分かってるさ」
紅い瞳を光らせて応えて来た。
「そう・・・だったら。<猫>の機体マークも知ってるんじゃないの?」
「我が
私が告げた<
即答したレイの眼が、仇を見つけたように細く鋭い眼光を放った。
「我が
星明りを反射するモフモフの髪が、風も吹かないのに猛烈に逆立つ。
「私を・・・そいつの前に連れて行く気はないか?」
OPL照準器に立ち上がったレイの口から、怨嗟の言霊が溢れ出していた。
翌朝。
滑走路に整備が完了した機が列線を成している。
昨日の全力出撃で故障機が出た為に、今朝は2中隊構成になっていた。
「本日の目標は、偵察機の報告に基づいてナシ本島南岸に展開する敵飛行場にある。
制空戦闘であるから、咄嗟の会敵に注意せよ」
司令が壇上から降りると、補足するするように飛行長が進み出る。
「偵察に由れば、敵は新たな部隊の展開を始めたようだ。
地上部隊の突撃を容易ならしめる為には、制空権がどうしても必要である。
諸氏の戦果が、本作戦の成果に影響すると心してかかれ」
飛行長曰く、これから行われる制空戦は、敵の航空戦力を撃破するにあるという。
つまり・・・
「今日は敵機を見つけたら、とことん追い詰めるぞ。
空に敵機が居る限り、帰投など考えるな!徹底的に叩きのめしてやれ!」
新しく飛行隊長に任ぜられた小林大尉が檄を飛ばす。
「よぉーしっ、かかれ!」
隊長の命令を受けて、各員はそれぞれの乗機に向けて走り出す。
2中隊構成の制空隊は、新隊長小林大尉率いる1中隊と、ヒカルの属する柏村隊の都合18機。
その中でヒカルは一人の一飛曹に注目していた。
「米川飛曹・・・」
第1中隊員であった米川飛曹が、どうして2中隊に加えられているのかと。
彼は長機を失った責任を執らされているのではないか?
死に場所を与えられているのではないのかと。
誰にも話しかけられず乗機に向かう足取りは、それを示しているかのようだった。
彼が向かうのは1中隊3小隊3番機。
それが意味しているのは・・・
「米川一飛曹!」
呼びかけると驚いたような顔を向けて来る。
「なんでしょう分隊士?」
彼の虚ろな目には生気がなかった。
まるでこれから死にに行くような目をしていると思った。
「一つあなたに言っておきたいの。負けんじゃないわよってね!」
何に負けるなと言うのか・・・彼の顔には戸惑いが見て取れた。
「敵にも、自分にもってことよ。
プロペラが廻っている限り、生きて帰りなさい。
何度でも、何回でも帰って来るの。それが戦闘機乗りの心意気なんだから」
元気付けたというより、未帰還を防ぐ意味でそう言った。
誰よりも彼の心の内に気付いている者として。
「はぁ、やれるだけやってみます」
米川一飛曹の顔が、少しだけ笑って見えた。
戦闘機乗りの心情を取り戻したかにも見えた。
「初陣だった頃を思い出して。長機から離れるんじゃないわよ?」
戒めるヒカルに敬礼で応えて、米川飛曹は乗機へと小走りに向かった。
それを見送っていると、二番機の小多一飛曹と、3番機の大林二飛曹が寄って来る。
「小隊長、親心ですかい?」
「いやいや、仏のヒカル様やさかいでしょう?」
ニタニタ笑う部下達に揶揄されて。
「私は彼に戦闘機乗りの心構えってモノを・・・」
少々照れたヒカルが言い繕うとするが。
「さすがっ!<
却って小馬鹿にされたような気になってしまった。
そう言う二人の顔は、朗らかに小隊長を褒め称えていた。
航空撃滅戦を企画した割には、味方機の数は少なすぎた。
同方面に展開した航空隊の規模も、その基地も。そして稼働機数さえも。
上空にあったのは戦闘201空の18機と、
敵飛行場攻撃隊の規模は、護る敵に比べてあまりにも小規模に過ぎたのだが。
「レイ・・・奴は出て来るかしら?」
モフモフの髪をはためかせる聖獣娘に訊いてみた。
「奴は海軍機だ。陸上の基地から揚がって来るかは分からない」
ブスリと答えるレイに、もう一度訊き直す。
「この辺りに敵の海軍基地なんてあるのかしら?」
「あるとは思えない。仮に海軍機が基地を間借りしているのなら別だが」
なぜなら、陸軍の飛行場に間借りする海軍なんて聞いた事も無いからだ。
答えに含められている事実に気が付かされたのもある。
「敵の艦隊が迫っているというの?」
問い直したヒカルに、レイの答えは返っては来なかった。
代わりに聞こえたのは。
「一番機がバンクを振った。目標上空に辿り着いたようだな」
OPL照準器に立ち上がったレイの先で、小林隊長機から増槽が落ちていくのが見える。
「来るぞ
いち早く敵を発見した小林機が、急旋回にかかる。
陸攻隊を狙って上昇して来る敵機目掛けて振り被っていく様が見えた。
地上から湧きだしたような礫から、火の玉が昇って来る。
「いかんっ?!太陽の中からも振って来やがるぞ!」
<零戦虎徹>の聖獣が辺りに気を配っていた時、目に入ったのは。
「左舷上空にも敵機だ!挟み撃ちにする気だぞ!」
緊迫した声がレイから溢れ出した。
敵は既に待ち構えて、数段に分かれる配置を採っていたようだ。
一瞬で隊形が乱れる。
曳光弾の軌跡が空に幾重にも重なり合う。
制空隊は攻撃機を護らねばならないジレンマと、敵機を叩き墜とさねばならないノルマに縛られていた。
小林機に率いられた第1中隊は、上昇して来る敵編隊を迎え撃つ。
対して柏村が率いる第2中隊は、攻撃隊の直掩として上空から襲い掛かる敵に当たらねばならない。
突然の会敵に味方の統率は乱れ、小隊ごとに闘わざるを得なくなった。
「切り返せ!一撃を回避するんだ!」
レイの叫びに併せたかのように、ヒカルはスロットルを押し出す。
増槽を切り離すのも後にして、機首を引き起こしにかかった。
「着いて来て!弾をばら撒くだけで良いから!」
部下の二人に聞こえなくても叫んでしまう。
横眼に映る列機が自分に応じて付いて来たのを確認すると、手に触れる増槽落下ハンドルを引きあげた。
ガクンッ!
増槽が落下し、機速が増す。
もう射程なんか関係ない。7.7ミリをばら撒いて敵を威嚇するのに務めるだけ。
ヒカル小隊の反撃に、敵機は二手に分かれる愚を取ってしまった。
上空から降って来たのは<フィフススター>陸軍機のP-40キティーホーク4機。
液冷エンジンを装備したサメのような機体だった。
3機から撃ち込まれた7.7ミリ機銃弾を避けた4機は別方向に分かれてしまう。
陸攻を護らねばならないヒカルが、即座に左に舵を切る。
左の巴戦に持ち込もうとしたのだ。
急旋回なら<零戦>はP-40に圧倒出来る。しかも得意の左旋回なら負けよう筈も無かった。
旋回を続ける内に、OPLの灯を燈してその時を待った。
グングンP-40は後落し、照準器に捉えられていく。
旋回中だから照準器の十字線に入っていても弾丸が当たるとは限らない。
「もう少し・・・近寄らなきゃ」
照準器から大きくはみ出す様になってくるまで近寄る。
敵機は追われているのを分かっているから旋回を辞めようとはしない。
だが、機体の性能差は如何ともし難かった。
今はもう50メートル・・・外しようがない距離。
キャノピーの中から敵操縦者が振り向いているような気がしてくる。
それでもヒカルの左手は、発射把柄を握っていた。
ドドドッ!
20ミリだけ一連射をかけた・・・それで十分だった。
目の前で火の玉が爆発していた。
燃料タンクと搭載機銃弾が同時に誘爆したのだ。
爆発で千切れ跳んだ機体は、操縦者と共に墜ちていく。
撃墜を確認するまでもなく、もう一機の敵に目を配ると。既に列機によって黒煙を吐かされていた。
「2機とも叩き墜とせたな」
撃墜確認を口にしたレイが、離れて行った2機を目で追う。
「逃げるのが相変わらず早いな、敵機は」
もう手の届きそうにない距離にP-40二機がいってしまったことを告げた。
陸攻隊は、編隊を崩さずに飛行場へ向けて投弾を終えられたようだ。
地上からモクモクと爆煙が立ち上っているのを目にし、柏村機が集合のバンクを振っている。
僅か3分もかからず、空戦は終わった。
帰還する陸攻隊の傘になって中隊は集合を終えて、1中隊が集まるのを待っていた。
攻撃隊はそのまま帰還にかかる。
柏村機は何度もバンクを振って味方機を呼び集めているのだが、1中隊はなかなか集まろうとしない。
このままでは陸攻隊の護衛もままならなくなると感じた柏村機が、諦めたように反転し始める。
飽く迄も命令に忠実な柏村らしい判断だとも言えたのだが。
陸攻隊12機の上に傘になって、送り狼と呼ぶ追撃機に警戒する。
「今日は海軍機には出くわさなかったわよね?」
一息ついたヒカルが、携帯飲料のサイダーで喉を潤していると。
「むぅ・・・今の処は・・・な」
ずっと後方を見ているレイが、眉間に皺をよせて応える。
「今の処って。もう空戦空域から離れたわよ?」
敵飛行場から立ち昇る黒煙は、遥か彼方に霞んで観えていた。
「我が主よ。言った筈だぞ<奴>は海軍機だと・・・な」
「だけど・・・海軍機だからと言って足が長い(長距離を飛べる)筈が無いじゃないの?」
飛行場を爆破されてから飛び立ったにしても、追いつくのは至難の業だと思えた。
だから、もし海軍機が飛行場に居たとしても此処までは追いかけては来れないだろうとヒカルは考えたのだが。
「違う。私の言いたいのは奴が別の場所から飛びたたったかもしれないと言ったのだ」
「別の飛行場って言っても。この辺りにあるのは、今攻撃した飛行場だけよ?」
どうしても納得がいかないヒカルが言い返したが、<零戦>の聖獣は切り返して来た。
「まだ分からんか?奴は海軍機・・・つまり海の上からでもやって来れるんだぞ!
本来の私と同じ・・・海軍機なのだから!」
レイの眼が細くなって睨んで来た。
<零戦虎徹>・・・そのものの眼になって。
「まさか・・・航空母艦から飛んで来たっていうの?」
空母・・・それは海上の航空基地とも呼べる存在。
一隻で数十機の航空機を搭載し、敵の艦船や基地を攻撃できる能力を備えていた。
聖獣レイが教えたのは、
<サンシャルネス>の輸送船団がルゥバラ島に増援物資を運んでくる予定だった。
予備の機材や、増設される飛行場の補給物資を満載した3隻の船団と護衛の駆潜艇によって。
島までの距離が20浬にまで迫った時。
「敵艦上攻撃機ミユ!対空戦闘配置に就け!」
対空戦闘のラッパが鳴り響く船団の上に、黒い芥子粒のような群れが押し寄せて来ていた。
帰還の途にあったヒカル達に迫る青い影。
それは死を呼ぶ群青色の機体。
レイの目算通りに現れた<野良猫>に、ヒカルはどう立ち向かうのか?
次回 繰り返される悲劇
君は己の全てを使いこなせているのか?
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