第30話 火の玉

記憶の中に蘇るのは、青い空に浮かぶ火の玉。

幾重にも絡み合って乱れ飛ぶ、曳光弾ひのたまの尾。


「その日私が観たのは、空に浮かんだ黒煙。

 その一つ一つが命を捧げられた方達の墓標だったと、後になって思うようになりました」


静まり返った講堂で、ヒカルが淡々と言葉を紡いでいる。

壇上に立つ嘗ての撃墜王は、諭す訳でもなく記憶を紐解くだけだった。


「空戦は突然始まり、数分で終わる。

 僅か数分で、数多の命が散華させられてしまう。

 闘った敵味方関係なく、前途を打ち砕かれ希望さえも奪われる。

 もし、あなた方の隣に居る人が一瞬で消えたとしたら、どう思われますか?」


誰に問う訳でもなく、空戦の定義を質してみる。

それが戦争の非情理なのだと・・・






戦闘201空(航空隊の略)の27機は、目標上空に到達した。

3中隊は飛行隊長を軸にして9機編隊3つの構成で索敵を開始した。


ヒカルの第3中隊3番小隊は、編隊の最後尾に位置している。


「レイ、もし敵が早めに発進して待ち伏せしてるのなら。

 必ず私達最後尾の編隊を襲う筈よ、後上方に注意しておいて」


それまでの経験から、一番危険な配置に居る自分達がどこを見張れば良いかが分かっていた。


「うむ。ヒカルの言う通り。この高度では上空から降って来られやすいからな」


OPL照準器の上で、ケモ耳レイがキャノピー越しに上空を見上げる。

計器盤に表示された高度は約4000メートル。

中高度であり、艦上戦闘機である<零戦>にとっては組みし易い高度ではあったが。


「中途半端な高さだからな、上にも下にも対処可能ではあるが・・・」


辺りを見回すレイが、指揮官が何を思ってこの高度を保つのかをいぶかむ。

ケモ耳少女の疑問に、この攻撃が奇襲であるのを思い出したヒカルの頭に浮かんだのは。


「多分、下川隊長は上空よりも地上の敵に重きを置いてる。

 下方に居る筈の敵を叩くつもりなんでしょうね?」


飛行隊長下川大尉が狙うのは、敵地上軍と、島に取り付いている筈の上陸部隊。

地上掃射や、基地付近の防御陣地を目標だと捉えているのだろうと思っていた。


「如何にも自分本位だな。それじゃぁ逆襲を喰らったらひとたまりも無いぞ?」


後上方を見上げながらレイが忠告して来る。


「特に危ないのは、編隊を解散して下降に移った時だな。

 全機の注意が地上に向けられた瞬間を捉えて、襲い掛かられたら反撃も出来やしないぞ?」


その通りだとヒカルも思っていた。

編隊を解いて襲撃行動に移れば、後続する部隊は空中で二の足を踏む様に速度が鈍る。

咄嗟に回避もままならない状況下で敵に襲われでもすれば、応戦も出来ずに被害を受けるだろう。


「そうだけど、私達に出来るのは見張りを強化することぐらい。

 特に真後ろの上下と、遠くに見える断雲には要注意ね」


忠告されたヒカルは、部下の2機に手先信号で見張りを厳にするように命じる。


「後は、作戦がこっち側に巧く傾くのを願うだけ」


ポツリと呟き後上方を振り仰ぐと、奇襲を喰らうのを未然に防ごうとしていた。







ー あの頃、私達は電探レーダーなんて技術兵器があるとは思いもしなかった。

  味方に無い物が、敵にだけあったなんて・・・知る術も無かったから・・・



記憶を途切れさせて、声を呑んだ。

空の激闘は技術の闘いでもあったのだと。

後になって初めて知り得た事実を、後悔の種にはしたくなかったから。



ー 敵に情報が漏れていただなんて、後から分かった事を話しても皆知っているだろうから。

  それを語ったとしても、誰に責任があるというの?

  今更後出しの責任転嫁を擦り付けるだけに過ぎないのに・・・


一旦口を閉じていたヒカルが、平静を装って始まった闘いを語り始めた。






何度も偵察を繰り返した結果だろう。

一番機がバンクを振ると増槽を切り離した。

それを観た後続機が、順次増槽を落として行くのが見える。

まだ幾許か残っている燃料が、白い糸を引きながら増槽と共に落ちていくのも見えた。


「降下するつもりだぞ、おい?!」


懸念していた通りの結果に、レイが思わず怒鳴って来た。

一瞬思考が途絶えてしまったが、慌てて後上方に目を向ける。


「・・・降って来ない・・・か?」


その空には芥子粒ほどの影も、光の粒も見えなかった。


「やはり、奇襲だったってことかしら?」


心配し過ぎたのかと、一安心したヒカルだったが。


「いいや、我が主よ。私には匂うんだよ敵の匂いってモノが」


眉間に皺を寄せるレイが、まだ心配なのか周りの気配を探っている。


「空戦に絶対はないぞヒカルよ。いついかなる時も油断は禁物だぞ」


ケモ耳レイがピンッと耳を立てて気配を探り続けている間に、第1第2中隊は突撃に入った。



 ト トトト トトト



普段は聞かない無線の音が、この日だけは耳を打った。


「ト連送だ!突撃命令だ?!」


海空軍の突撃を促す暗号無線譜表に、今迄とは違う重みを受ける。


「始まった?!とうとう戦争なんだ!」


相手は<フィフススター>、今迄のナシナイチャに派遣されて来た義勇部隊なんかじゃない。

サンシャルネスの数倍もの国力を誇る強国相手の干戈が交えられたのだ。

たった一度の突撃符牒が持つ、怖ろしいまでの意味に震えが来た。


と、同時だった。


「中隊長機が増槽を落としたぞ?!」


OPL照準器の上からレイが叫んだ。


「下だ!下!下方に敵機っ!」


叫んだレイが左舷下方を指差して、遭遇戦が始まった事を知らせてきたのだ。



あまりにも突然だった。

下界に拡がる海上から、湧き出てくるように2個小隊8機の敵機が付きかかって来たのは。


気が付く前から身体が動いた。

目に入る前に手が増槽を切り離し、燃料コックを切り替えていた。

足はフットバーを蹴り倒し、機体を滑らせている。


発見がもう1秒でも遅かったのなら、対処もままならなかっただろうタイミングで発見された。


「早く点けろ!戦闘準備を完遂するんだ!」


レイが急かすが、目も廻るくらいに動作が遅く感じる。


OPLの電気を点灯させる・・・ガラス版に光輪が燈る。

機首の7ミリ7を撃発位置に・・・試射は既に行ってある。

空戦に備えてプロペラピッチを<高>になっているのかを手で探る・・・なっている。

スロットルレバーに左手を置く・・・いつでも増速できる。

右手を暴れている操縦桿すてぃっくを掴み取る・・・巴戦準備を整えた。



「敵機っ!左舷下方から上昇して来る!」


バンクを振って味方機に知らせると、部下2機に目を向けた。


「続けっ!」


短くバンクを振って合図とした。

振り向いた時、部下達は日頃の訓練を遺憾なく示す技量を見せた。

戸惑ったヒカルより落ち着いているのか、増槽を切り離してついて来る。


「うむ。なかなかに良い部下に恵まれたじゃないか?」


二機を見ているレイが合点がいったのか、頷いてみせる。


「それは、空戦が終わってから言いなさいよ」


柏村中隊長機も増槽を落としたのを見て、敵との空戦に縺れ込むのを覚悟した。

グンと速力を上げた1小隊に引っ張られて、第3中隊は左下方から襲い掛かって来た8機へと廻り込み始める。

気付かれたと知った敵編隊もそれに合わせて回頭してくる。

下方から突き上げる8機に対する振り被る味方9機。


「あれは?!陸軍機じゃない?!」


突き上げて来る機体は、それまで見て来た機種とは違うと感じた。

丸々とした胴体に、くし刺しにした翼がまるで団子のよう。


「ブリュースターじゃないし、P36でもない・・・」


その2機種なら、これまでのナシナイチャでも遭遇した事があった。

96戦ならイザ知らず、<零戦>に乗る今ならスピードでも遜色ない筈なのだが。


「いいや、アイツは野良猫だ。この<零虎>にとっては小うるさい相手なんだよ」


ブスリと呟くレイの瞳が、まるで獲物をみつけたかのように細くなった。


「野良猫?!って、そんな生易しい相手じゃ?」


突っ込んで来る敵機に、軸線を併せるヒカルへ。


「気を付けるんだな。奴の火種は良く伸びるぞ」


忠告するレイが、初めて牙を剥いた。




光輪の中心に1機を捉えた。

目標に定めた敵機の翼が真っ赤になっているのが見える。


紅い火の中から数十もの黄色い火の玉が伸びて来る。

それは近付くにつれて火の尾を曳き、まるで黄色いアイスキャンディーの様にも観えた。


黄色いアイスキャンディーは、左隣の小隊に向けて飛んで来ていたが。


「狙いが甘い。もっと機種をあげないと当たらない」


真っ向から向かい合う射撃では、距離が離れすぎていれば重力に負けて届かない。

相手は知ってか知らずか撃ち続けている。

マグレ当たりでも期待しているのか、それとも指先が機銃の一部にでもなったのか?


OPLの光輪に敵機が大写しになった頃合いを見計らって。

左手が、発射把柄を握り締めた。



 ド ドドドッ! タタタタッ!



エリコンFFのコピー九九式一型二〇ミリ航空機銃が火を噴く。

プロペラ同調機銃の七ミリ七も、機首を火に染めて飛び出して行く。


手応えはあった。左手にズシンとくるくらいに。



 ギュゥウウゥーンッ!



猛烈な速度で入れ違った敵編隊を目で追うと、八機の内二機が煙を吐き出していた。


すれ違った敵味方は、互いに次の一手を打つと思われたのだが。


「どうやら敵は逃げの一手に入るようだな」


ずっと睨んでいるレイが、煙を吐き出した二機に目を向けると。


「二機撃墜・・・こちらの被害は?」


9機編隊で応戦した味方の被害を問い質した。

上方にすれ違った敵編隊から、2機が落伍して墜ちていく。

それに対して味方機は・・・


「運が良かったのか、それとも敵の射撃が後落していて助かったのか。

 どうやら全機無事なようね・・・被弾した機はあるかもしれないけど」


逃げ去る6機に一瞥を投げてから、部下の2機に近寄れと手先信号で知らせる。

相対速度が600ノットに近かった為、行き違った今では追う事も無駄。


「ふむ、上出来だな。奴等が向かって来ないなら仕方がない」


眦を緩ませたレイが、物足らなさ気に腕を組む。


「それにしても今の野良猫って奴だけど。レイは知っていたんだね?」


編隊を組み直してからケモ耳レイに訊ね直した。


「ああ、私に挑むのが趣味だった奴等だからな。

 油断したら、あの長い火種で痛い目に遭わされるぞ」


「趣味って・・・で?海軍機でしょ今のは?」


ぶっきらぼうに話すモフモフ髪のケモ耳聖獣に、問い質すと。


「お、やはり観ておったのか。

 あのでぶっちょ猫の名は<F4Fワイルド・キャット>・・・つまり野良猫野郎さ」


ため息を吐く様に、ニヤリと笑うレイが照準器に座り直した。


「スピードは21型と大差ない。それより気に入らんのはあの火種だ。

 4門から6門を搭載し弾数も多い。なにより低延弾道なのが嫌なんだ」


「機銃か。ブローニングの13(12、7)ミリをそんなに?」


文句を垂れるレイに、嫌がる訳がそこにあるのかと訊き返す。


「ああ、こっちの20ミリなんかが届かない距離から発砲しやがる。

 当りもしないのに・・・これ見よがしにな」


怖いというより煩いとでもいう様に、レイは手を払い除けて。


「マグレ当たりでも、届くのなら痛手だからな」


黒煙を吐いて墜ちた<野良猫ワイルドキャット>を片眼で追って呟くのだった。




海軍機が現れた事の重要性を、想い計るのを忘れて。

味方編隊の上空にまで進出した。

柏村中隊は高度を5000にまで上げて、味方機が集合して来るのを待つ。


ルゥバラ基地までの復路を考えると、そろそろ潮時なのだが。


連量残量から推し量っても、滞空時間は限られて来た。

そんな時に限って・・・


「どうもおかしいぞ?味方機がなかなか集まらないな?」


機体に宿る聖獣レイが、下方の味方機が上昇して来ない事に苛立ち始める。


「燃料が足りなくなっちまうぞ?いつまで地上に這いつくばる気なんだ?!」


味方機は一体何を攻撃しているのだと、観えもしない地上へと眼を落とす。


「それにさっきの奴等だって残っているんだ。

 またぞろどこかから奇襲をかけないとも分からんというのに」


6機残った敵が、隙を伺っているのは間違いないだろう。


「そうね、レイの言う通り。最悪の場合私達だけでも帰らなきゃいけなくなるかも」


そう想ったヒカルが、列機に手先信号で近寄れと命じた。


「「残り燃料に気を配れ」」


両側に寄った部下に、手先信号とメモ板で注意を促す。

了解したと手を挙げる二人に頷き、航空時計に目を堕とす。


「後、十分くらいなモノね。留まれるとしても」


「その十分が命の分かれ道にならねば良いがな」


イライラと貧乏揺すりしているレイに聞き咎められて。


「なに?もう敵機は襲って来ないんじゃないの?」


滞空時間の方を気にし始める。


「言った筈だぞ主よ。空戦に油断は禁物だと・・・な」


「送り狼でも現れると?」


忠告したレイが、モフモフの髪を掻き揚げると。


「そうじゃない、味方機が集合して来ない理由はなんだと訊いたのだ」


紅い瞳を細めて、獲物を探し始めていた。


高度5000。

<零戦>にとっては一番力を出せる高さ。

どんな急機動を執ったにせよ、地上へは激突しない高さ。


そして、敵を追うにも好都合の高さとも言えた。




今迄静かだった空に異変が起きたのは、帰還する直前の事だった。


柏村機がバンクを振り続けて味方機に集合を促し続けていた。

第3中隊を目印に、味方機を呼び寄せようと考えてのバンクだった。


ぽつりぽつりと味方機が編隊を組み始める。

左緩旋回で集い始めた編隊は、柏村の9機に併せる事16機。


残った2機は未だに現れない。


胴体に2本線を巻いた下川大尉機と、二番機堂本一飛曹機が現れない。

飛行隊長を喪って混乱するかに見えた指揮統率は、先任の第2中隊長小林大尉が編隊長になって帰還の指揮を執るようだ。


「隊長が?どうしたというんだろう?」


今日の出撃前、壇上に上がった飛行隊長を思い出して、ヒカルは航空時計を見て観た。

時間を整合する掛け声を思い出して・・・


「どんな不運が起きたのかは知らん。

 だが、一旦戦闘が始れば誰にだって起きるかもしれないのだ。

 それが戦争であり、空戦なのだと心しておけヒカルよ」


攻撃を追えて機関の途に就いた時。

送り狼を見張っているレイが、6割頭になっているヒカルに忠告した。


開戦劈頭に還れなくなった命に首を垂れるでもなく。

<零戦>に宿る聖獣は、次なる一戦に向けて操縦者に教訓を与えんとしていたのだ。


「運、不運。それで片付く話ではない。

 空戦の神は、幸運を呼び込んだ者に勝利を授けるのだから・・・」


離れ行く敵地を振り仰ぎ、ケモ耳少女の口から零れだした。


「我が主よ、油断すれば<零戦虎徹>とて同じなのだと覚えておくが良い」


空戦の神は非情なのだと。



25機に減った編隊がルゥバラ基地に帰還したのは、それから一時間余り後の事であった。





開戦劈頭に現れた<フィフススター>海軍機F4F。

未帰還になった飛行隊長を襲った機に描かれてあったマークとは?

<零戦>編隊が飛び征く先に待ち構えていたモノとは?


次回 航空撃滅戦

君は襲い来る敵に何を想うのか?

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