第13話 亡失
それは一瞬の事だった。
敵機が低空に居る味方機に発砲し、狙われた機から炎が噴き出すのが見えた。
ヒカルの瞳に空を紅に染めた機が地表に激突するのが映った・・・
炎と黒煙が眼に焼き付いた。
空を
「うわっ、うわああぁっ!」
ヒカルは眼の前で起きた悲劇に叫ぶ。
「2番機が・・・岡田君が墜ちた!」
自分が追いすがるP-26は緩降下を続け、2小隊3番機に機首を向ける。
「やめてぇっ!」
降下する機に鞭を打つ様にスロットルを全開に押し込んだヒカルは、
我を忘れて敵機に肉迫した。
プロペラが唸り、翼が暴れだす。
降下制限速度に迫った96戦は、P-26の後上方へと着けた。
急速に肉迫されたP-26パイロットの驚いたような顔が照準鏡の中で写された。
「お前が岡田君を墜としたのが悪いんだ!
私の前に居るあなたが憎いっ!」
照準鏡の十字線が、敵パイロットと重なる。
「はあっ、はあっ、はあっ・・・」
照準鏡の中で敵パイロットの瞳が大きく見開いているのが手に執る様に解り、
ヒカルの指が引き鉄を握れなくなる。
ー 私は今、人を撃とうとしている。人を殺そうとしている?!
金縛りにあったみたいに動けなくなる指先。
しかし、それはほんの1秒にも満たない一瞬のことだったのだが、
ヒカルにとっては一生忘れる事の出来ない永い時にも感じられた。
クッ
ほんの少しフットバーを動かし、
タタタタタッ!
同時に引き鉄を思いっきり握り締めた。
曳光弾は操縦席を外れて、翼に撃ち込まれ穴が次々と開いて・・・
ボ ワァッ!
炎がその翼から噴き出し、
グ ワ ンッ!
次の瞬間、燃料タンクが爆発し、
片翼が千切れ飛んだP-26は、もんどりうって地上目掛けて墜ちて行った。
紅い炎がヒカルの眼に焼きつく。
ー ああ・・・私は敵を墜とした。
私は敵とはいえ、人を殺めてしまった・・・
呆然と地上に墜ちるP-26を見詰めて引き起こしに掛かるヒカルには、
身に迫る危機にも気付いてはいなかった。
視界の端に、味方機が自分に突っ込んで来るのが見えた。
ー あ・・・あれは2小隊3番機。良かった岩崎さんは無事だったのね?
突っ込んでくる岩崎機に、呆けた顔でそう思っていた時。
ヒュンッ シュッ シュッ!
あの黄色いアイスキャンディーが、ヒカルの機体を包み込んだ。
ー あっ!
バンッ バンッ
機体に衝撃と何かがぶつかる音が聞こえた。
ー 命中弾を喰らっている!私も墜とされる!
眼の前が真っ暗になるような、血の気が引く感覚がヒカルを襲った。
眼の前に迫った岩崎機に向けて思わず叫ぶ。
「さようなら岩崎さんっ!」
自分も墜とした敵機の様に、火達磨になると思ったヒカルは最期の別れを友に告げた。
眼前に迫った友の顔が見えたような気がしたヒカルには、岩崎機が何を行おうとしているのかが、理解出来なかった。
ガガンッ ガンッ ガンッ
岩崎機は自分が盾と成るべくヒカルの上に覆い被さったのだ。
ボワァッ!
それは瞬く間も無い、一瞬の出来事・・・
水平飛行中のヒカル機に敵機がトドメの連射を掛けたのと、岩崎機が覆い被さるのが重なる。
翼から炎を噴き出す岩崎機が、黒煙を曳いて錐揉みに入る。
敵機がヒカルの横を通り過ぎていく。
何もかもが一瞬の事だった。
「あああ・・・ああああっ!」
何もかも・・・そう。
頭の中は憎しみで敵を追う事しか何も考えられなくなった。
ヒカルの瞳には味方も他の敵機さえも映りはしない。
只、前方を逃げる敵機にだけ、憎悪を向けて追いすがる。
地上すれすれ迄降下した敵機が、反撃の巴戦を挑もうと試みて急上昇に入るのを、
体当たりを掛けるかの様に近付いたヒカルは照準鏡も睨まず、
伸ばせば手に届く程接近し、至近距離で発射した。
ダッ!タ タ タ タ・・・・
それで事足りた。
操縦席周りに弾痕が穿かれ、操縦席が紅に染まる。
操縦者を失った敵機は、上昇を辞め一直線に地上に激突して燃え上がった。
「う・・・うわっうわあああぁっ!?」
炎を見て漸く気が付いた。
自分が何をしてしまったのかを。
全速で上昇する機体の操縦席でヒカルは震えていた。
ー 私は・・・私は一体・・・なんて事をしてしまったのだろう・・・
私は今、何をしていたの?私は・・・この指は?!
瞳を虚ろにしたヒカルが上昇を続けながら振り返ると、地上から数本の黒柱が建っているのが判った。
ー 何だろう・・・あの黒い柱は。あの柱は誰が建てたのかな?
呆けた頭は解答を拒絶する。
ー きっと還ったら岡田君も岩崎さんも言うだろうな。
あんな黒い柱、初めて見たって・・・
上空で旋回を続けている味方編隊に近付く操縦席の中で。
急に喉が渇ききっている事に気付いたヒカルが、携帯飲料のサイダーの瓶を取り出して口に当てたが、蓋の閉まっている瓶からは一滴も喉へは入ってこなかった。
僅か数分の事。
その僅か数分で敵味方双方の若い命が喪われた。
雲の下で旋回し、集合を待っている味方編隊に加わったヒカルは周りを見廻す。
第2中隊、第3小隊に戻ったヒカルは、
小隊長金少尉、2番機ナラム一飛曹が自分を観て何かを話し掛けている事に気が付いた。
ついっとナラム一飛曹は手を翼へ差し、訊ねるような仕草を送ってくる。
ー 翼?私の翼がどうしたのだろう?
ふっと左翼に眼を向けてやっとその訳が解った。
「あっ!」
翼に2つの穴が開き、そこから燃料が漏れ出して薄い糸の様に後方へと流れ出していたのだ。
慌てて燃料計の針を見ると、左翼の燃料残量がもう
ー いけないっ?!
燃料コックを胴内、右翼だけにして、左翼のコックを閉じる。
帰りの飛行時間を考えると燃料はギリギリ保つかどうか位しか残ってはいなかった。
ー どうしよう・・・この編隊スピードでは還れないかも知れない?
顔を青ざめたヒカルが、ナラム一飛曹に手を振って発動機を指し、
ー 燃料が足らないから、先に行ってください!
そう伝えようと試みると、古参のナラムは解ったというのか頷き、
一番機のの横まで進み、柏村大尉に何かの許可を申請したようだった。
暫くするとナラム機が戻ってきて、ヒカルに黒板で話しかけてくる。
ー 自分が誘導するから着いて来て・・・ですって?
ナラムが示す黒板に、自分も黒板と白墨を取り出して。
ー 了解。お願いします
そう書いて指し示すと、
ナラム一飛曹は頷いてバンクを送ってくる。
そして基地の方へ進路を向けてスピードを落とした。
ー ああ、そうか。燃費の一番良いスピードで還るって訳ね・・・
スロットルを絞ってナラム機のスピードに併せ、
更にプロペラピッチを空気抵抗の少ない<低>の位置に併せる。
グンッ
身体がつんのめる様な感覚に襲われ、機速が落ちた事が解った。
前方を飛ぶナラム機がバンクを繰り返し、ヒカルに何かを知らせようとしてくる。
ー ああ・・・そうか。見張りは怠ってはいけないな・・・
帰路、低速で飛ぶ編隊を送り狼的に襲う敵が居るかもしれないと思い、ヒカルは空を巡航しつつも見張りに務めた。
静かになった空を巡航スピード以下の速力で飛んでいると、自分が初陣を終えたのが嘘の様にも思えてくる。
たった数分間闘っただけなのに、何時間も闘ったように思えて、
身体がずっしりと重く、だるく感じられてどっと疲れが襲ってくる。
その気だるさの中、基地に辿り着いたのはそれから1時間後の事だった。
空の闘いは終った・・・
初陣を終えたヒカルは呆然と考えていた。
友は
喪われた者を思う事が出来なくなって・・・
次回 第14話 喪う心
君は友を喪い、心も失うというのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます