少女の旅路は今日も鈍色
かさかささん
第1章~水色の防人~
1話 少女と鳥と防人と
辺りはまだぼんやりと白い霧がかかっている、早朝の山道。
日中は暑くてたまらない夏の季節だが、この時間は肌寒ささえも感じてしまう。
そこを歩く男の片手には大きな猟銃。もう一方の手をポケットに入れ、サクサクと茂った大地を進んで行く。
ふぁ~あ。
大きなアクビをしながらも、行く手を阻む木の枝やコケに足を取られる事は無かった。
「朝飯……どうすっかな?」
そんな事をぼんやりと考えながら、歩き慣れたこの道をひたすら進む。
男が目指すのは山の中腹にある大きな湖。男の住んでいる山小屋から一キロ程離れたその場所は、朝飯前の運動にはちょうど良い距離であった。
ザッザッザッ。
しばらくして、視線の先に湖が見える。いつもと変わらぬ澄んだ色をしていた。が、それと同時に一つの人影を発見した。
「誰だ、朝っぱらからこんな所に……?」
あまり視界の良いとは言えない場所であるため、男がその人物に近づき声を掛けようとしたその瞬間までそれが女性だという事に気が付かなかった。
日本国では見かけない薄手の民族衣装。大陸の部族やらが着てそうな民族衣装から、スラリと細い褐色肌の手足が見え隠れしている。後ろ姿を見ただけでも、十二分に艶かしいスタイルをしている事が分かった。
「…………」
男が近づいても尚、女性は背を向けたまま動く気配が無かった。
何をしているのか気になった男は、その女性に尋ねてみた。
「おいお前、こんな所で何をしている?」
ぶっきらぼうに、大きな猟銃を見せ付けるようにして声を掛ける。
すると女性は男の声に気付いたのか、ゆっくりと振り向いた。
「なぁに?」
「こ……子供?」
若く高い声、美しくも幼さが残る顔立ち。身の丈が少しばかり低いがスタイルの良い女性かと思われた人物は、褐色肌で碧眼の異国の少女だった。
どうしてこんな山奥に子供が一人で辿り着いたのかも気になったが、男は猟銃を下ろしてからもう一度同じ質問を少女にしてみた。
「おい嬢ちゃん、こんな所で何してんだ?」
「は」
「はあぁ?」
スッと視線を上げる少女。釣られて男もその方向に目をやると、そこには静寂な風に揺られる艶やかな夏色の葉を付けた木々達。
ゆらゆら揺られるその葉がひらり、ひらりと時折木の元から旅立って行く。
スッ。
放っておけば地面に落ちる筈だった一枚の葉が、少女の手に包まれる。
「は……葉っぱ?」
男が先程の返答をようやく理解する一方で、少女は変わらず両手を空に向け続ける。
ひらひらと静かに舞い落ちる葉は、吸い込まれる様にして少女の手の中に入っていく。
「もう十分かな?」
「何が十分なんだよ?」
「え」
「えぇ?」
スタスタ。
少女が湖の近くまで歩き出し、そこに立てかけてあった画板と向かい合う。
鉛筆か何かですでに下書きを済ませていたのだろう。いくつもの黒い線が描かれているそれは、湖の景色と完全に一致していた。
「ん……しょ」
取り出した筆に、一枚の葉を擦り付ける。
絵の具で出すような綺麗な緑色とは程遠い色。
そんな色で少女は絵を描いていた。
「絵描き……か」
一枚の葉を描いては、筆を洗い再び葉を擦り付ける。
こうして絵の中の木々達はゆっくり、ゆっくりと色鮮やかに葉を付けていく。
男はしばらくその様子を眺めていたが、本来の目的を思い出して少女に歩み寄った。
「嬢ちゃん、ここらは危ないから絵を描くならもっと村に近い所で描きな」
「れい」
「あぁん?」
男が眉間にしわを寄せて首をかしげる。
少女は自身の顔を指差してもう一度言う。
「私、レイ。あなたは?」
「俺は森崎。この山で防人をしている」
「サキ……えっと、サキモリ?」
「森崎だ!」
自己紹介を終えた所で、少女は再び葉を筆に擦り付ける作業に戻る。名前を間違えられた森崎は、苛立ちながらレイに顔を近づける。
「おいお前、人の話聞いてんのか? ここらは危ねー動物が居るんだ。それに、他所から来る怖―い山賊やらハンターに襲われても知らねーぞ?」
泣く子が更に泣き喚くような厳しい形相で、森崎は忠告した。
その顔を一番近くで見ていたレイは、うんうんと作業をしながら頷いた。
「もっと山の奥に行けば居るのかも知れないけど、この辺りには野犬……後は小動物の気配くらいだから大丈夫だよ」
「チッ、ガキの癖にやけに山慣れしてるな……だが山賊はどうだ? さっき声を掛けた俺が山賊だったら、今頃お前は襲われているかさらわれてるぜ」
「大丈夫」
ふふっ。
白い歯を見せて、レイは微笑んだ。
脅かすために睨む森崎の顔は、それを見た途端に緩やかなものへと変わった。
綺麗。
目の前に居るのが褐色肌の少女だという事を忘れてしまいそうになる、白い微笑み。
「さっきのサキモリに殺意は無かったけど、やっぱり警戒心はあったから。私が子供だって気付いて銃を下ろしても、まだ完全には気を許していないから」
「っ!?」
森崎が持つ猟銃。至近距離では撃ち出すつもりの無いそれを下ろした後も、ポケットに入ったナイフは今も掴んだままだった。
レイの前で、いやそれ以前からずっとここに位置している右手の役割を見抜かれた。
「ほんの些細な隙さえ見せないサキモリが守っている山だから、だからここに居ても大丈夫なんだよ」
ははっ。
黄色い笑い声を出す。
それだけ見るとかわいいものだ。しかし、年とは不相応に山慣れしている点。鋭すぎる分析能力を垣間見た後では素直にそう思えなかった。
「おい、お前……一体何者だ?」
「レイ」
「名前じゃなくてだなぁ――」
バササササッ!
森崎の手がレイの肩に触れそうになった瞬間、けたたましい羽音と尖った爪が同時に襲い掛かる。
「うおっ!?」
咄嗟に身を翻してそれをよける。
だが、羽音の主は森崎目掛けてクチバシを向ける。
クェッ、クエーッ!
鳥。
この山は勿論、日本国では見ないような青い小鳥。
「イテテッ、なっ、なんだぁ!?」
「もう……クック、ダメだよ」
驚く森崎を尻目に、レイはそっと青い小鳥をなだめて肩へと乗せる。
クエッ。
レイの言葉を理解出来たのか、返事をしてから静かに羽を休めた。
「何だそれ? お前の鳥か?」
「うん、クックだよ」
クエーッ!
羽を広げて威嚇しながら、森崎を見据えるクック。
「うおっ、こいつ俺の事を敵だと思ってるんじゃないか!?」
「う~ん、ひょっとしてサキモリが私の名前を聞いて身体を触ろうとしていたから?」
「うぉい! まるで俺がナンパしてるみたいに言うな!」
「えっ、違うの?」
「違うわ! 大体お前みたいなガキに興味は……ってお前歳いくつだ?」
褐色肌の少女。
顔立ちや声色は幼い雰囲気だが、申し分ない大きさに成長している胸。細くしなやかなウエストになめらかなヒップ。その身体に未熟さは感じられなかった。
ひょっとしたら成熟した女性なのかもしれない。森崎は薄着に包まれたレイの胸元をチラリと見てそう思った。
「えっと、じゅう……よんだったかな?」
「おまっ、十四てちょっ!?」
不覚。
やはりと言ってはなんだが、雰囲気通り幼かった。一目散に視線を逸らす。
「そっ、そういやお前どこから来たんだ? 絵を描きに来ただけなら近くの町から……と言っても結構な距離があるが――」
「東京」
「何ぃ!?」
こんなへんぴな所にある名も無き山とは違い、タカオ山で有名な東京。電車やバスを乗り継いでも、丸一日はかかるだろう遠い場所。
「まさか……一人で来たのか?」
レイが只の十四歳の少女だとは思えない。
森崎は自分のした質問の答えがすでに分かっていたが、それでもあえて質問した。
「一人……クックを除けば一人になるかな」
ふふっ。
クックに目を向け、そして再び絵を描き始めるレイ。
いつの間にか、その絵の木々には美しい緑が宿っていた。
「ケータイ……?」
レイが手を止め、ポケットから手の平サイズの四角い機械を取り出した。
携帯電話。
こんな田舎の集落では持っている者も極僅かだが、流石に東京から来ただけの事はある。レイはそれを持っていた。
「ぴかぴかしてる?」
「そりゃ機械だしな……しかし携帯電話ってのはそんな形してやがったのか」
森崎はレイの手の中にある携帯電話を覗き込むようにしてみていたが、一向に光の点滅は収まらなかった。
「おいおい、それ壊れてるんじゃないか?」
「そおなの?」
「恐らくはな。俺はその機械を持ってないから詳しくは知らないが、何でも山の中だと電波が届かなくて動かないらしいぜ」
「そおなんだ……」
規則的に発光している携帯電話をしばらく見つめる。
振ってみたり、日光に当ててみても変わらない。湖の水で洗おうとした時に「機械は水に弱いんだ」と森崎が慌ててそれを止めさせた。
「迅にもらった物だから大事にしてたんだけど……ねぇ、サキモリの知り合いにこれを直せる人って居るかな?」
「村の連中にそんなハイカラなモン持ってる奴なんざ……おっと、そういや村長ん所の孫娘が似たような機械を持ってたかもな。行って見ちゃどうだ?」
クイッ、と親指で歩いてきた道の方を差す。
するとレイは不思議そうに首を傾げた。
「サキモリは一緒に行かないの?」
「そんな迷うような距離じゃない。俺まで行く必要なんて無いだろ」
シッシと手で追い払うように、森崎はレイを遠ざける。
しかしレイはそこを動こうとしなかった。
「ひょっとして、サキモリは村に行きたくないの?」
森崎の様子がおかしいと思ったレイは、直球で聞いてみた。
山の危険性を説明したり携帯電話が使えるのかどうかを見てくれていた親切な者が、村までの案内を頑なに拒むのは不自然だと感じたからだ。
「……ああ、まぁな」
素直に頷き、そのまま腕を組んだ状態でしばらく考える。
そして、小さく頷いてから口を開く。
「だが、もう少し経ったら村の奴らも大半は出かける頃合だ。それまで待つってんなら村まで案内してやるよ」
「うんっ」
即座に頷き、クックを肩に乗せたまま再び湖の風景を描き始めた。
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