第3話:水分補給

 砂クジラのシャールの了承を得たナナ=ビュランたち4人はさっそく荷馬車とシャールを太いしめ縄で結びつける。犬ゾリの要領で砂クジラに荷馬車を引いてもらうこととなる運びなのだ。もちろん、荷馬車の車輪をつっかえ棒で固定する細工も必要だ。ナナ=ビュランたちは手分けして、作業を続けるのであった。


「ふぅ……。暑いッス。こんな作業をもう1時間もしていたら、ぶっ倒れてしまウッス」


「そうだみゃー。シャトゥ殿、こまめに水分を補給しておくんだみゃー。あとナナ殿にも水を飲むように言っておいてほしいんだみゃー」


 砂クジラのシャールの胴体にしめ縄をくくりつける力仕事は男連中が担当している。荷馬車の細工はナナ=ビュランと馬車駅に詰める若い半犬半人ハーフ・ダ・ワンの作業員たちだ。シャトゥ=ツナーがネーコ=オッスゥに水分をしっかりと摂れと言われて、荷馬車の荷台に行こうとしているついでに、ナナ=ビュランはどうしているのかとそちらの方を向く。


 するとだ。彼女は、ほうほう、へえええ? とばかりに、半犬半人ハーフ・ダ・ワンたちが荷馬車に施している細工を見て、感心していたのである。


「車輪をこの角度で固定して、ここにつっかえ棒を突っ込むんだワン。簡単だワン?」


「見ている感じだと簡単そうね? うーーーん、次の車輪はあたしがやってみる」


「何事も経験してみるのが肝心だワン! まあ、これが他の何かの役に立つかどうかはわからないんだワン……」


 ナナ=ビュランと半犬半人ハーフ・ダ・ワンの青年が談笑しながら、車輪を固定している作業を見て、少しムッと心がざわつくシャトゥ=ツナーである。ナナ=ビュランは容姿端麗で、シャトゥ=ツナー以外には愛想が良いほうだ。それゆえ、とっつきやすい性格のためか、年頃の男性からはナナ=ビュランはちやほやされやすい。シャトゥ=ツナーとしては、またか……といった心境だ。


(なんで、ナナは俺にだけは厳しいんッスか。俺にももっと愛想良くしてほしいッス……)


 シャトゥ=ツナーが心の中で文句を言いつつ唇を尖らせていると、彼が近づいてきたことを視認したナナ=ビュランがシャトゥ=ツナーに怪訝な表情を浮かべて口を開く。


「あんた、さぼり?」


「違うッス! ネーコさんが、水分補給をしっかりしておけって言うから、荷台で水を飲もうと思っただけッス!」


「あら、そうなの? じゃあ、ついでにあたしの水筒にも水を入れておいてくれない? 桟橋の上で作業してても、暑いのよね……」


 ナナ=ビュランはそういうと、腰の右側に革製の紐で結わえてある水筒を取り外し、シャトゥ=ツナーに手渡す。シャトゥ=ツナーは何も言わずにそれを受け取り、荷馬車の後ろから荷台によっこらせと言いながら乗り込む。


(よっこらせって、おじいちゃんか何かじゃないんだから……)


 ナナ=ビュランはそう思うが、口からそれを出さないようにしたのであった。せっかく水筒に水を汲んでもらおうというのに、気分を害するようなことを言うのはアレだろうとの配慮の元だ。ナナ=ビュランとしても、一応はシャトゥ=ツナーには気を使っている。ズケズケと本音を言い合える仲だとナナ=ビュラン側は思っている。しかしそれでも、礼を失するのは、違うことだろうということで、言わなくても良いことは言わないようにしているのである。


 シャトゥ=ツナーは荷台に乗り込んだあと、荷物の波を乗り越えて、かめの前にまでくる。かめの蓋を開けて、柄杓ひしゃくかめの中の水をすくい、それを口に運ぶ。


「ふう……。生き返るッスね……。さてと、ナナの水筒にも水を入れてやるッスか」


 しかしながら、ここでシャトゥ=ツナーが邪悪な心に支配される。ナナ=ビュランは水筒のキャップを取り外したまでは良いが、これは間接キスのチャンスでは無いだろうか? と思ってしまったのである。


 ゼラウス国が属するエイコー大陸では、水筒と言えば、ひょうたん製、もしくは竹を細工した竹筒である。ナナ=ビュランの水筒は竹筒製であり、竹筒に口をつけたまま、その竹筒を傾けて水を飲むタイプである。


 シャトゥ=ツナーは不審者の如く、首を左右に振り、誰かに自分の姿を見られていないか確認をする。幸い、外で作業をしている皆は自分のやるべき作業に追われており、誰も荷台のほうに顔を向けているものなどいない。シャトゥ=ツナーはチャンスだとばかりに、その竹筒に水を入れたあと、竹筒に口をつけて、ぐびっぐびっと一気飲みしてしまうのであった。


「むむ……。何か特別な味がするわけじゃないッスね……。俺、何をしているんッスか……?」


 シャトゥ=ツナーは無味無臭の水にがっかりと肩を落とす。そして、自分がしたことにただ罪悪感だけを感じるのであった。間接キスしてしまった竹筒の飲み口をキレイな布で十分に拭ったあと、シャトゥ=ツナーはその竹筒に水を入れ直し、荷台から外に出るのであった。


「ありがとう、シャトゥ。ふぅ、暑いわね……。さっそく飲ませてもらおうっと」


 ナナ=ビュランはそう言うと、シャトゥ=ツナーに手渡された竹筒に口をつけて、クピクピと少しだけ、その中身を飲むのであった。シャトゥ=ツナーはここで自分が失敗を犯したことに気づく。なにもあそこまでキレイに飲み口を布で拭う必要などなかったことに。


 知らず知らずにナナ=ビュランの方が間接キスをしてくれることになっていたのだ。その機会を自分の手で奪ってしまったことにシャトゥ=ツナーはがっくりと肩を落とすことになる。


「ん? 残念そうな顔をしてどうしたの? そっちの作業はそんなにしんどいの?」


「いや、そうじゃないッス。俺って馬鹿だなって改めて自分で認識しただけッス」


「ふーーーん? よくわからないけど、あんまり気を落とさないでね? シャトゥって意外と気にしいだから、あんまり深く考えこんじゃだめよ?」


 ナナ=ビュランがどうしたんだろう? と思うのであるが、きっと、彼自身の心の問題なのだろうと、深くは追及しないことにする。心の問題は時間が解決してくれることが多いのだ。周りが世話を焼くよりはそっとしておくことが功を奏することが多い。


「じゃあ、そっちは任せたから。あたしはしっかりと車輪を固定しておくわね?」


「ウッス……。俺も頑張ってくるッス……。あーあー。俺は本当に大馬鹿者ッス!」

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