第7話:ふかふかのベッド

――ポメラニア帝国歴259年6月17日 ゼラウス国:商業都市:ヘルメルスにて――


 ようやく商業都市:ヘルメルスに到着したナナ=ビュランとシャトゥ=ツナーが最初に向かった先はこの都市の三大商人のひとりであるゴールド商会の代表:ナルト=ゴールドの邸宅であった。


 ナナ=ビュランたちはナルト=ゴールドの邸宅にある執務室に招かれる。そこで、ナルト=ゴールドが満面の笑みを浮かべながら、ナナ=ビュランの右手を自分の両手でがっしりと掴み


「はるばる商業都市:ヘルメルスに来ていただいて、ありがとうございますと言っておきましょうかね? いやあ、ナナ=ビュラン殿は噂以上に美しい方だ。姉の方ではなく、貴女に求婚すべきだったでしょうかね?」


「お世辞なのはわかっていますが、褒めていただきありがとうございます。姉の件では貴方にも迷惑をかけてしまったために、頭が下がる思いです」


 ナナ=ビュランの姉であるココ=ビュランが賊に襲われて、攫われた際に、彼女の護衛隊の生き残りを保護したのがゴールド商会であった。生き残った護衛の兵士は手厚く看護され、一命を取り留めることとなる。


 それだけでなく、護衛隊の遺体を丁重に扱い、法王庁に送り届けたのもゴールド商会であった。護衛隊の兵士たちの中には性別不明なほどに損壊した遺体もあったが、その遺体の肉片や骨をなるべくだけ集めてくれたりもしたのである。


 護衛隊たちの遺族はこの行為に痛く感謝し、感謝の念と心ばかりの寄付をゴールド商会に納めたのであった。


 この一件で法王庁はゴールド商会を好意的に捉えるようになったのである。ゴールド商会はそれだけではなく、さらには代表のナルト=ゴールドが縁談自体が破談となったのに、傭兵団の紹介を買ってでてくれるという、まさに至れり尽くせりの態度を示したのであった。


 このゴールド商会がとった一連の行動で、枢機卿のシルクス=イートはすっかりゴールド商会に気を許す形となる。ナナ=ビュランの姉を嫁にくれと言い出した時は怒り心頭であったが、それもどこかに吹き飛んだのであった。


「さて、遠路はるばるこのヘルメルスにやってきてくれたのです。今日は早めに宿で泊まるのは如何でしょうかね? すぐにでもバンカ・ヤロー砂漠に旅立たい気持ちはわかりますが、ここで一度、身体にエネルギーを貯めておくことをお勧めしますよ?」


 ナルト=ゴールドにこう言われては、断りようがないナナ=ビュランであった。彼女としては一刻も早く、姉のココ=ビュランが攫われた先であろうバンカ・ヤロー砂漠に赴きたい気持ちでいっぱいであったが、道中、ここまで徒歩でやってきたのだ。2日半近くの歩きっぱなしの旅はナナ=ビュランを疲弊させるには十分であった。


 ナルト=ゴールドは彼女らを快く迎え、食事と風呂、それと宿泊場所を提供するのであった。


 さすが3大商人のひとつ、ゴールド商会が保持している宿屋である。美味しいご飯、広い風呂。そして、風呂上りのコーヒー牛乳は格別の幸せを感じたモノであった。極めつけにベッドのマットは羽毛が詰め込まれたモノであり、ナナ=ビュランはふかふかのベッドに大層、喜ぶことになる。


 だが、それでもひとつだけ、ナナ=ビュランが納得できないことがあった。


「あーあ……。いくら今が観光シーズンでナルト=ゴールドさま所持の高級宿屋の部屋がどこも埋まっているからって、結婚前の男女を同じ部屋にするってのはどうなのかしら?」


 ナナ=ビュランの言う通り、今は6月であり、ゼラウス国は国中、どこもよその国からの観光客でいっぱいであったのだ。歴史的価値の高い法王庁を有する宗教兼学術都市に近いここ商業都市:ヘルメルスの宿屋はどこも満室御礼であったのだ。


 しかし、そこに無理やり、ナナ=ビュランたちの宿泊をねじ込んだのは良いが、さすがに2部屋は確保できず、シャトゥ=ツナーと同室になってしまったのである。


「うっさいッス。俺っちも出来るなら、ナナとは別室が良かったッス。ナナのイビキで寝不足になるのはこりごりッス」


「なん……ですって!? あたしのイビキがうるさいですって? あんた、もしかして、ここに向かう途中の村々で、寝ずにあたしの寝息に耳を立ててたの!?」


「そんな変態よろしくなことするわけが無いッス! 冗談混じりの嫌味に決まっているッス!」


 シャトゥ=ツナーはナナ=ビュランの補佐であり、同時にナナ=ビュランのたったひとりの護衛役であった。この都市に向かう途上の村で軒先を借りて、休息や睡眠を取ったりしたが、シャトゥ=ツナーは常に気を張っていたのである。


 ナナ=ビュランはクークーと可愛らしい寝息を立てるのは良いが、不用心すぎたのだ。それゆえ、シャトゥ=ツナーはいつでも動けるようにと半覚醒状態で眠りについていたのだ。それゆえ、この道中、ずっと寝不足だったのである。今日こそは、ナナ=ビュランに気兼ねすることなく、ひとり、ベッドの上で安息を得られるかと期待したのだが、結果はこのざまだ。


(絶対に、ナルト=ゴールド氏はわざと俺っちをナナと同室にしたッスね。傭兵団を使って、ものものしく、この部屋の警備をさせるわけにはいかないッスから)


 ゴールド商会としての体面もあるのだろう。この観光客が殺到する時期に、自分が所有する高級宿屋を荒くれ者が多いと言われる傭兵団に護衛を任せるわけがないと、シャトゥ=ツナーは推測するのであった。


 自分はまだナナ=ビュランの護衛役を免除されたわけではないことをこの1件で知ることになる。今夜も寝不足決定のシャトゥ=ツナーであった。


 しかし、このふかふかで弾力のあるベッドはシャトゥ=ツナーを深い眠りへと誘おうとする。シャトゥ=ツナーは就寝中、何度も気を持っていかれそうになるが、ギリギリのところで保とうとする。太ももを力いっぱいつねったりなどと出来る限りの抵抗を続けたのであった。


 隣のベッドで、今夜もクークーと可愛らしく寝息を立てるナナ=ビュランに軽く殺意を覚えそうになるシャトゥ=ツナーであった。


(なんで、俺っちばっかり、こんな目に会わなきゃならないんッスか! 俺っちも思う存分、寝たいッス!!)


 しかし、シャトゥ=ツナーが心の中でそう叫ぼうが、結局、助け船を出されることはなかったのであった……。やがて、朝を告げる鶏の声がけたたましく街中に響き渡る。


「ふあああ。おはよう……、シャトゥ。って、あんた、眼の下に思いっ切りクマが浮かび上がっているわよ!? ちゃんと寝なさいよっ!」

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