第8話:謎の男

 夜が明けて、朝風呂と朝ごはんを済ませたナナ=ビュランは、気合を入れ直して、ナルト=ゴールドの邸宅に足を運ぼうとした。しかし、ナルト=ゴールドは急な商談が入ったために、午後からの面会にしてほしいと言い出したのである。


「3大商人ともなると、小娘ひとりに割く時間はそう取れないってわけね。しょうがないわ。シャトゥ。あんた、あたしの買い物に付き合いなさいよ」


「えええーーー!? 俺っち、このまま宿でゴロゴロしていたいッスよ。喰っちゃ寝なんて、そうそう出来ないんだから、この瞬間を満喫するべきッスよ?」


 シャトゥ=ツナーがあからさまに嫌そうな顔つきでナナ=ビュランに抗議する。ナナ=ビュランはわざと大げさに、はあやれやれと肩をすくめるのであった。その態度にシャトゥ=ツナーがカチンと来たのは、若さゆえにとしか言いようがない。


 まんまと挑発に乗ってしまったシャトゥ=ツナーはナナ=ビュランに宿屋から引っ張り出されてしまうことになる。まあ、シャトゥ=ツナーはナナ=ビュランの補佐であり護衛役なのだ。彼女がそんな挑発的な態度を取らなくても渋々ながら、彼は彼女のために一緒に街へ赴いたであろう。


 急に空いてしまった時間を潰すためにもナナ=ビュランたちは商業都市:ヘルメルスでウインドゥショッピングと洒落込むことになる。工業都市:イストスで購入した荷物やそれを乗せた馬はナルト=ゴールドの邸宅に預けているので、そこは問題なかった。肩下げカバンひとつのほぼ手ぶらの状態でナナ=ビュランたちは街中をぶらつくことになるのであった。


「やっぱりゼラウス国が誇る商業都市なだけはあって、流行の最先端を行く服屋さんが多いわね」


「そうッスね。でも、ちょっと流行の先端を行きすぎていないッスか? この服なんて、胸元が丸見えになっちまうッスよ?」


 シャトゥ=ツナーがまじまじと見ていたのは服屋のマネキンに着せられている紫水晶アメジスト色のドレスであった。いかにも金持ちのご婦人が好んで買いそうなドレスであるが、襟から胸元にかけて、大きく開かれており、実際にこの服を着れば、横乳が身体の正面からはみ出る形となっているのである。


 よっぽどスタイルに自信をお持ちのご婦人でもなければ、こんなドレスを買わないだろうとさえ思えてしかたがないシャトゥ=ツナーであった。そして、失礼な話であるが、シャトゥ=ツナーはこのドレスをじっくりと観察した後、ちらりと横に立つナナ=ビュランを見るのであった。


(ふむ……。ナナには無理っすね。こんなの来たら、恥をかくだけッス)


 ナナ=ビュランは現在、旅人が好んで着る、生地が丈夫な色気もまったくない白い半袖の服と、破れにくい藍色の長ズボンを着用していた。機能美に適していると言えば良いのだろうが、とにかく、色気が足りないのである。デートでこんな格好で女性が現れでもしようものなら、シャトゥ=ツナーなら、はあああと深いため息をついて、興がさめたッス……と本人に言いかねないのであった。


 しかしながら、これはデートでも何でもないので、ナナ=ビュラン側にも文句を言われる筋合いも無いのがシャトゥ=ツナーのつらいところである。


 服屋を何件か周り、これはちょっと……とか、こんなんアホが着る服ッスよなどとウインドウショッピングを存分に楽しむ2人であった。しかし、そんな2人に事件が起きる。何を勘違いしたのか、ナナ=ビュランとシャトゥ=ツナーが楽しくデート中のように見えてしまったチンピラと言っても差し支えないドチンピラ連中が、彼女らに因縁を吹っかけたのである。


「おいおいおい! お嬢ちゃん。随分、楽しそうじゃねえか! 彼氏さんなんかじゃなくて、俺らと楽しもうぜっ!」


「へへへっ、兄貴! おいらも楽しみたいんだべ! 2番目は、おいらに回してくれだべ!」


 ナナ=ビュランはチンピラ連中が突然、自分たちに絡んできて、さらには2番目、3番目がどうとか言い出しているのを見て、このひとたちは何を言っているんだろうと、きょとんとした顔つきになってしまう。


 嘲笑を続ける三下チンピラ相手にシャトゥ=ツナーがイライラし、腰の左側に佩いた長剣ロング・ソードを抜こうかとさえ思う。だが、如何せん、ゼラウス国では街中で抜刀許可が下りているのは、騎士の身分以上の者に限られていたのである。それ未満の身分の者の場合、街中にて抜刀すれば、理由はあったとしても、それ相応の罰が与えられる決まりとなっていたのだ。


 そういう理由もあり、丁重にお帰り願おうかとシャトゥ=ツナーが考えていた矢先に、チンピラ側が先んじて動き、ナナ=ビュランの右腕を掴んで、強引に連れ去ろうとするのであった。この行為にシャトゥ=ツナーの血液は一気に脳みそに駆け上る。シャトゥ=ツナーは腰に佩いた長剣ロング・ソードの柄に右手を伸ばし、鞘からそれをまさに抜こうとする。だが、その行為はどこからか聞こえてくる高笑いで中断されることになる。


「ハーハハッ! そこのチンピラ諸君!! 女性を強引にデートに誘うのは感心しないぞっ!!」


 チンピラ連中は、チンピラと言われたことで激昂することになる。ニンゲン、自分が最も気にしていることを言われると、一瞬で沸点に到達するものだが、誰がどう見てもチンピラなのだから、致し方ない呼ばれ方だったかもしれない。


 トゥーーー!! との雄叫びと共に、チンピラをそのまんまチンピラと呼んだ男が空高く舞い上がり、空中で3回転半ひねりをおこない、見事に彼らの前に片膝をつく姿勢で着地する。そして、彼は音も立てずにスッと優雅に立ち上がり、胸を張り、その胸の前で腕を組む。


われの名前はマスク・ド・タイラー!! か弱き女性を貴様たちのような愚劣極まる連中から助けるためにはせ参じたのであるっ!」


マスク・ド・タイラーは黒い外套マントを着用していた。そして、その外套マントを右腕でひるがえさせる。するとだ、その外套マントの下には筋肉隆々の肉体が隠されていたのである。さらに驚くべきことは、彼は黒いブリーフ型のパンツ1丁のほぼ全裸であった。


「へ、変態!? 普通はここはヨンさまみたいな紳士が助けにくるんじゃないの!?」


「へ、変態ッス!! いくら6月で暑くなってきているっていっても、パンツ一丁と外套マントのみってどういうことッスか!!」


「ハーハハッ! 何を言っている……。顔にはマスク。そしてブーツと靴下も履いているだろう? 変態と呼ぶのはやめてもらおうか?」

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