第5話:ヨン=ウェンリー

「ありがとう、ヨンさま。あたし、今、とっても幸せ……」


 ナナ=ビュランが右手の指をいっぱいいっぱいに伸ばして、嬉しそうに薬指にはめた白銀色の指輪を見つめていた。白銀色の指輪には若葉が生い茂り絡み合うかのような紋様が刻み込まれていた。恋人に贈る品として、最近、商業都市:ヘルメルスで人気となり、それをわざわざ取り寄せたと言うヨン=ウェンリーである。


 ヨン=ウェンリーもまた、嬉しそうな笑顔を浮かべるナナ=ビュランを微笑ましく見つめるのであった。彼女の機嫌はだいたい、彼女のウサ耳の垂れ具合でわかる。今はまっすぐ上に伸びており、時折、耳の先が左右にくるくるっと細かく回る。


 そして、愛くるしい紅玉ルビーと知性を感じさせる黒金剛石ブラック・ダイヤのオッドアイを輝かせている。ヨン=ウェンリーは彼女の顔のパーツにおいて、彼女のその眼が一番好きだ。もちろん、丸みを帯びつつも顎のほうでシュッとなっている頬も好きだ。


 桜色に染まる唇も、もちろん好きだ。ヨン=ウェンリーは彼女の顔立ちが全て好き一色なのである。しかし、惜しむらくは、誓約が制約になってしまったことだろう。普通のカップルならば、幸せいっぱいの彼女とフレンチキスを交わすのであろう。


 残念ながら、そのような行為に及べば、ヨン=ウェンリーは眉目秀麗な顔面に風穴が空きそうなほどのとてつもない衝撃を受け、大通りを突き抜け、道路の向かい側にある果物屋の屋台に頭からつっこむことは経験から予想できる。


(キスは結婚までお預けか……。やれやれ、今すぐナナの唇に自分の唇を重ね、そのまま、宿屋に抱きかかえていきたいものだが……)


 紳士として通っているヨン=ウェンリーも21歳になったばかりの男である。やはり、恋人とキスだけではなく、素肌と素肌を重ねるような、いやらしいことをしたいと思うのは当然であろう。


 しかしながら、ヨン=ウェンリーの素晴らしいところは、それはナナ=ビュランに対してだけのことである。重ねて言うがヨン=ウェンリーは眉目秀麗な男だ。付き合っている彼女がいても、その上で言い寄ってくる女性は多い。だが、その誘惑の全てを『すいません。自分には世界で一番愛しく想う彼女がいますので……』とあっさり袖にするのであった。


 それでも諦めきれないとある貴族の娘が、親の権力を使い、ヨン=ウェンリーと強引に許嫁フィアンセの仲になろうとしたことがある。だが、ヨン=ウェンリーは自分の父親と母親にその話には絶対に乗らないと頑なに断ったのである。


 それならば、力づくでも自分のモノにしようとした貴族の娘は、ヨン=ウェンリーが聖堂騎士の地位に就けないようにと嫌がらせの数々を敢行する。だが、ヨン=ウェンリーはそれでも、剣の実力で聖堂騎士の地位に昇りつめてしまうことになる。


 ゼラウス国の国主が主催する剣術大会の若手部門で、ヨン=ウェンリーが周辺国から集められた強敵たちを蹴散らして優勝してしまったのが決め手となったのだ。こうなれば、ヨン=ウェンリーを聖堂騎士にならなければ、誰がなると言うのだという運びになる。品行方正で、アラを探しても、ヨン=ウェンリーにやましいことなど一切無い。そして、剣の腕は確かだ。


 貴族の娘はハンカーチの一端を歯で噛み、もう一端を両手で引き延ばし、ハンカーチが真っ二つになりそうなほどに悔しがったモノだ。だが、そんな嫌がらせの数々をしてきた貴族の娘に対してもヨン=ウェンリーは紳士として対応したのである。決して、その娘の陰口など叩かず、そのようなことがなかったかのように振る舞った。


 こうなっては貴族の娘は、ほとほと参ったとばかりに白旗を揚げることになる。そして、とある舞踏会にヨン=ウェンリーが招かれた時、貴族の娘は今までの非礼を詫びたのであった。かくして、ヨン=ウェンリーの誠実さと恋人に対する一途さは貴族の間でも広まることになり、ヨン=ウェンリーとその想い人であるナナ=ビュランには色々と便宜を図ることになる。


 誓約を交わした2人に、ぜひ、結婚式はうちの屋敷と庭を使ってくれと言ってくれる貴族もいる。だが、ヨン=ウェンリーとしては、法王庁所属の教会で結婚式を挙げたいと言って、それとなく断っているのであった。


 そういう彼の奥ゆかしい態度がますます貴族たちに気に入られることとなる。


「んー、今更ながらにもったいない気がするのよねー。男爵家のみならず、伯爵家でも結婚式の披露宴では自分のところの屋敷を使ってくれて構わないって言ってくれてたよねー?」


「あ、ああ。嬉しいことに皆が私たちの結婚を祝福してくれるようだね。でも、私はあくまでも法王庁所属の聖堂騎士だから……。あまり貴族と親しくしていると、仕事がやりづらくなるんだ……」


 ヨン=ウェンリーの言う通り、貴族に属する騎士と、法王庁に属する聖堂騎士は似て非なるモノであった。そもそもとして、ゼラウス国の軍隊は下級兵士のほとんどを傭兵で賄う形である。


 そういった事情から、傭兵に支払う金の出どころがまったくもって違う。国主並びに、それに連なる貴族たちと騎士によって雇われた傭兵団。そして、法王庁と聖堂騎士たちによって雇われた傭兵団という、1国の中に2つの主権が違う軍隊を所有するといういびつな形なのである。


 それゆえ、派閥を飛び越えて、交流を持つことまでは良いが、その派閥に組み入れられることに対して、国主側も法王庁側も敏感なのである。ゼラウス国はあやうい軍事バランスの上に立つ国と言って良いだろう。


「ちょっと残念な感じよね。国主さまも法王さまも、もっと仲良くすれば良いのに……」


「こればかりは仕方が無いかなあ。ゼラウス国はポメラニア帝国のように政教分離が完成している国ではないからね。てか、よくもまあ実現したものだと感心するほどだよ」


「そうなの? ポメラニア帝国で出来たんだから、ゼラウス国でもやろうと思えば出来るんじゃないの?」


 ナナ=ビュランが何故、それが出来ないのかが不思議でたまらないと言った感じでヨン=ウェンリーに質問するのであった。質問されたほうのヨン=ウェンリーは思わず、たはは……とこぼしてしまう。


「簡単に言うとだね……。政教分離を成し遂げるには、多大なる血が流れることになるんだ……。ゼラウス国でそれをやろうと言うならば、それこそ、ゼラウス国に住む半分のニンゲンが死ぬかもしれない」


「え? それってどういうこと……?」


「聖堂騎士である自分がこんなことを言ってはいけないのだろうけど、宗教、いや、宗教の中枢、ようは法王庁には信者たちの金のみならず、色々な利権が集まってくる……。宗教は民を救済するはずなのに、逆に国を蝕むことなるのは皮肉としか言いようがない……」

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