犬の旅立ち
「ユーリとわたしは、幼なじみなんですよ。猟師になったのも一緒でした。彼の旅猟師の
「でー、ユーリ・スターゼンバウムは、偶然あの『世界獣』の『意識体』と遭遇し、『意識体』に飲み込まれた。」
「ええ。丸飲みに。あの銃を残して。あれは『意識体』なので、実体はないんです。『世界獣』が存在として圧倒的過ぎるので、実体があるかのように見えるだけなんですよ。その証拠は……イリーナさんも見ましたね。」
あたしは頷き、手の中に握り締めたものに意識を向けた。あの七色の鱗を持つ巨大な竜は、セティの狙撃を受けて、消えた。文字通り、跡形もなく、消えたのだった。残ったのは、一枚の大きな
「ユーリが飲み込まれた時に、わたしは傍にいました。わたしはユーリの銃を取って応戦しましたが、ユーリの銃をもってしても、あの『意識体』には勝てなかった。その時、わたしの前に現れたのが……」
「こいつね。それから犬ズ。」
あたしは向かったテーブルの上に、七色の鱗を置いて、膝の上に乗せた茶色い毛玉の頭をわしゃり、とやった。毛玉犬は疲れたのか、穏やかな寝息を立てている。
「ええ。なぜかそのポメラニアンには、『意識体』の核になっているものがわかるようなのです。あの時も、その子は……あの時の『意識体』は、巨大な亀の姿をしていましたが、その七色に輝く巨大な亀の
テーブルを挟んで向かいに座ったセティが言うので、あたしは胡椒の瓶を取ってあげた。セティはそれを自分の前に置かれた肉……アナシカのステーキに振り掛けて瓶を置くと、一度置いたフォークとナイフを再び手に取った。それにしてもよく食べる。あれで三皿目のはずだ。まあ、あたしも三皿目だけど。
「……それが始まりです。結局、亀の姿をした『意識体』に飲み込まれたユーリは、『意識体』が消えても、戻ることはなかった。それでもわたしは、親友であるユーリが、死んだとは思えないんですよ。単なる希望かもしれませんがね。わたしはその辺り、わりと冷淡なので、彼が強かったから、とか、そういうことを言うつもりはありません。どんなに強い猟師でも、死ぬときは死にます。でも、あれは、死ではなかったように思うのです」
真剣な面持ちで語っていたので、あたしも肉を切る手を止めた。が、それは話し切るまでで、一度言葉が止まると、セティの両手は素早く動いて分厚いステーキを切り分け、口へと放り込むのに忙しくなった。あたしもそれに負けじと肉を口へ運ぶ。ほどよい脂身で、一噛み二噛みで溶けるように身がほどけていく。セティの処理が適切であった証として、アナシカ特有の肉の臭みも殆んどない。あたしが撃ったアナシカは、最高の状態だった。
「……んぐ……これは、あくまでもわたしの推測ですが、ユーリは『意識体』に飲み込まれたことで、本当の『世界獣』の元へと飛ばされたのではないか、と考えています。」
「……んぐ……なるほど。よくわからないけど、あの竜が跡形もなく消えてのを見ると、そんな気もするわね。」
「……んぐ……ええ。ですから、わたしは『世界獣』の『意識体』を探しているのです。まだあと五体いるはずです。」
「……んぐ……残りはどうやって探すのよ?」
そこでセティが顔を上げた。というよりも、あたしも同時に顔を上げたから、上げたことに気づいた。セティの皿にはステーキ肉がなく、あたしの皿にもなかった。
「「おかわり、いただけますか。」」
あたしとセティは同時に四皿目を頼んだ。
人としてどうかと思うような量を食べているにも関わらず、村の食堂のおばちゃんは優しかった。手慣れた動作で空いた皿を回収すると、すぐに次を持ってくるよ、と調理場へ下がった。
あたしとセティが『世界獣』の『意識体』である巨大な竜と戦ったのは昨日のこと。セティが放った硝子の弾丸に射ぬかれた竜は一枚の鱗を残して消え、あたしとセティは山を下りた。下山の道すがらは、戦いの疲労もあってか、ろくにお互い話すこともなかったが、日暮れ時に麓の村につき、宿に入ってそのまま泥のように眠ると、翌朝には空腹なこと以外は元通りに戻っていた。陽光は既に
同じような状態で起きてきたセティと、遅めの朝食を取るため、宿の一階にある食堂で同じテーブルを囲み、無言で食べ進めることしばし。始めのうちは野菜やパンを、気だるくぼそぼそ食べていたのだが、あたしがこの村にアナシカの肉が届いているのではないか、と気付き、おばちゃんに、あるなら焼いてくれないか、と頼んだ辺りから様子が変わった。セティは信じられないほどの量を、信じられない勢いで食べていく。いや、自分で言うのもなんだが、あたしほどの量を食べる人がいることが信じられなかった。あたしが食べる量は、あたしの想定内だ。だって、あたしだから。
「また、その子が導いてくれると思います。」
次の皿が運ばれてくるまで、セティはきれいにフォークとナイフを置いてテーブルを整えていた。布巾でテーブルを拭いたりしながら、彼はあたしの膝の上で眠るポメラニアンを指してそう言った。
『意識体』に取り付いていた犬ズたちは、『意識体』が消えると、何処かへ帰って行った。何処へかは、わからない。けれど、あたしが見たときには、彼らは全力で溶岩洞を走り去るところだった。一体、何が目的だったのか、それもわからない。残ったのはこの茶色い毛玉犬で、この子はなぜかあたしたちについてきた。一緒に山を下り、なぜかあたしの部屋に居候し、いまはこうして膝の上で眠っている。
「ねえ、こいつとあんたって……」
「赤の他犬ですよ。」
知ってた。
「どうも、その子にはその子で、目的があるようなんですよ。だから、利害が一致している、とでもいいますかね。それに……」
「それに?」
「可愛い。」
でしょうね。
「まあ、冗談は置くとして、ポメラニアンは可愛いんですよ。この子が行くところに付いていきたい。」
『この子が導いてくれる』の方が冗談なのね。この犬好きが。
「じゃあ、あたしもこいつを追って行けばいいかしらね。」
あたしがそう言ったちょうどその時、食堂のおばちゃんが四皿目の焼けた肉を運んできた。鉄板の上に置かれた状態のまま運んで来た肉は、まだ焼ける音を立てていて、香りも先ほどの皿盛りより遥かに強い。またお腹が減った。
「イリーナさんは、まだ『世界獣』を追われるのですか? あなたの村に現れたのは、あの竜の姿をした『意識体』だったのでしょう?」
「あんたにあれが『世界獣』じゃない、と聞かされれば、このまま帰るわけにはいかないわ。……ちょっと、胡椒取って。」
あたしはセティから胡椒の瓶をもらい、軽く振りかける。粗挽きの香辛料が焼けた鉄板の上に落ち、肉の脂と混ざって、特有の良い香りを放った。
「あたしの目的は……んぐ……『世界獣』を、村のみんなの前で謝らせることだからね。」
「なるほどなるほど。じゃあ一緒にいきましょうか。」
胡椒が喉に張り付いて、あたしは盛大に
「……なんでよ。」
「へ? なんで、とは?」
「なんで一緒に旅するのよ。」
「だって、利害は一致しているじゃあないですか。」
利害の一致、ねえ。まあ、そりゃあそうだけどさ。嫁入り前の、十五の可憐な美少女が、だよ。おっさんと旅というのは、ちょっと。お父さんに怒られるわ。
「……まあ、考えておくわ。」
言いながら、あたしは膝の上で眠るポメラニアンに手を添えた。優しく頭を撫でてやると、鼻をひくひくさせたが、起きることはなかった。
あ、と
「可愛くない?」
あたしはまだ寝ている犬を抱き上げて、その様子をセティに見せた。当然のように
「んー……なにもしなくても可愛いですよ。」
と流されてしまった。あれ、おかしいな、と思っていると、手の中で茶色い毛玉が身震いした。どうやら目が覚めたようなので、そのまま食堂の板床の上に置いた。犬はその場でくるりと回ると、あたしの方を見た。
「どう、そのスカーフ。可愛くない?」
また、思わず犬に話しかけるという愚行を犯してしまった。犬からは満足した答えが返ると思ってのことだった。だが、あたしに言われて初めて首回りに何かが巻き付いていることに気がついた様子の犬は、首を傾げて潤んだ目を漂わせると、その場で高速回転を始め、それでは飽きたらず、ついには後ろ足を着いて座ると、前足を使って、全力でスカーフを外し始めた。
ええぇ……とあたしが見ている前で、白い布巾で作ったスカーフを乱暴に取り払った犬は、全身をぶるぶる、っと振ると、一宿一飯の恩も告げずに、すたすたと外へ出ていってしまった。
「ああ、犬!」
「……あー、お腹いっぱい食べました。ごちそうさまでした。……さて、犬が行きましたね。」
徐に立ち上がったセティは、ひとつ大きな伸びをしてから、犬が出ていった宿の出入口に目をやった。
「急いで追わなきゃ!」
「大丈夫ですよ。」
慌てるあたしに対して、セティは妙に落ち着いていた。
「また会えます。必ず。わたしたちの……」
「利害は一致している?」
「そういうことです。」
大柄の凄腕猟師はそう言って、あの柔和な笑みを見せるのだった。
『ポメラニアン オン ザ ビースト』 end......?
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