ここ撃てわんわん。

 強烈な輝きは、七色をしていた。


 あたしは思わず目をせた。さほど長い時間ではなかったはずだが、あたしの目蓋越まぶたごしにも、光は白い影を残す。それほど強烈な光だった。

 輝きが明度を落とすのを待って、あたしは目蓋を開けた。無意識に顔の前にかざしていた腕も下ろして、恐る恐る、目の前の光景を見た。目の前には当然、『世界獣』の巨体があるはずで……あるはずとわかっているのに、あたしに『世界獣』に対する恐怖はなくなっていた。あたしが『恐る恐る』確認したのは、いっそ暴力的ですらある閃光が、再び発生するかもしれない恐れであって、獣の王に対するものではなかったのだ。

『世界獣』は、蜥蜴とかげに似た頭を、溶岩洞の天井付近まで持ち上げて、まるで狼が遠吠えするかのように口を開いたまま、動きを止めていた。何が起こったのか確かめるすべはなかった。ただ、あたしは七色の光がまだ完璧には消えていないこと、そしてその光が一点に収束していく場所があることには、気がついた。

『世界獣』の背中。ちょうど巨大な左右両翼の中ほどに、七色の光が収束していく。

 頭を持ち上げたことで、『世界獣』の背中には傾斜けいしゃが付いていて、背中を走り回っていた黒い毛並みのポメラニアンを始めとした犬ズたちは皆、転げ落ちないように頑張ってしがみついていた。七色の光はその犬ズたちの傍で、一筋の光線となって天へと伸びていた。

 そしていま、ひとつの茶色い毛玉……もとい、一匹のポメラニアンが、『世界獣』の頭の上から転がり落ちて……いや、あれは、走っているのか? 手足が短すぎて、あたしには三角の耳のある毛玉が転がっているようにしか見えないが、とにかく、一匹のポメラニアンが、その光めがけて移動していた。位置からして間違いなく、あれは最初に『世界獣』の頭の上にいたポメラニアンだ。セティが追いかけ、あたしたちを『世界獣』へと導いた張本人。いや、張本犬。


「ここ撃てわんわん。」


 不意にあたしの隣で声がした。言葉の可愛さとは裏腹な、低い声。いつの間にかあたしのすぐ隣に立っていたのはセティだった。あの暴力的な閃光の中を移動して来たのだろうか。もしそうだとしても、この男ならそれくらいのことはするかもしれない、という納得が、既にあたしの中にはあった。


 セティ・テイルメイカー。

 彼はあたしが最初に想像した、『腕も縄張りの広さも平凡な、村付きの猟師』などではない。 


 そう考えると、これまで起きたこと全てに説明がつく。あたしがアナシカを撃ったときの、観測者スポッターとしての慧眼けいがん。川漁もこなす知識。あたしが寝ぼけまなこで見た、アナシカの肉を引き取りに来た麓の村人たちとのやり取りは、同じ村に住むもの同士のそれではなく、村人からセティが手渡されたのは、おそらく報酬だ。アナシカの肉を猟で得た食料品として販売したのだ。そして何より、あのウルフを鎮めた銃撃の腕前。あんなことが出来る人間が、平凡な猟師であるはずがない。能力の程度はわからないが、間違いなく彼は凄腕に分類される存在だ。

 そこまで考えて、あたしは初めてあることに思い当たった。もっと早く、いや、最も早く思い当たるべきことだったかもしれないが、いまのいままで、思い至らなかった。セティを凄腕と認めた瞬間、その理解はあたしに降りてきた。

 あたしの前に立った巨体。

『世界獣』ほどではないにせよ、人間を威圧するには、十分すぎる大きさの獣。鋭く長い鉤爪を持つ手。太く大きな犬歯が覗く口。そして最も特徴的な、濃い茶色の体毛に覆われた身体の所々から顔を出した、うろこのような皮膚。

 あのウロコグマが倒れた時、その近くには、茶色いポメラニアンがいた。それは、セティが追ってきたポメラニアンだ。そしてあたしはウロコグマが倒れる直前と直後、二つの音を聞いた。

 ひとつは、れた果実が潰れるのに似た、水気の多い音。

 そしてもうひとつは、遠雷えんらいのような低い音。

 あたしは、以前お父さんから聞いた話を思い出していた。旅猟師として、世界各地を歩いてきたお父さんが、一度だけ見たという、ある狙撃の話だ。

 それは、途轍とてつもない長距離から放たれた狙撃だったそうだ。その時お父さんは、、と話していた。そして同時に、もう二度とそんな狙撃を目にすることは出来ないだろうとも話していた。音が遅れて聴こえるほどの超長距離射撃が出来るのは、この世界でも極一握りの猟師に限られる、と。

 あれほど木々が乱立する山中の森で、どこから狙いをつけたのかはわからない。だが、あの遠雷が、もしもセティの放った超長距離射撃の音だったのだとすれば、あの水気の多い音にも説明がつく。あれは、ウロコグマに猟銃の弾丸が着弾した音だ。しかもセティの放った弾は……


「わたしはあれに導かれて、『世界獣』を狩りました。」


 隣に立ったセティが言った。あたしが不思議な顔をして彼の方を見ると、彼はあたしの方を見て、あの柔和な笑みを見せた。


「この世界の多くの人が勘違いをしていることですが、あれは、正確には『世界獣』ではありません。わたしもあれと同じものを狩るまで勘違いをしていました。」


 セティは目の前の巨大な翼竜を指して言う。


「あれは『世界獣』の意識のひとつ、とでもいうべき存在です。あれのような存在は世界に七体いて、あれと同じように七色の光をまとっています。『世界獣』本体の意思によって遠隔で操作され、あの『意識体』とでも言うべき存在は、世界中を飛び回っているのです。」


 イシキのひとつ? イシキタイ? 聞き慣れない言葉があたしの頭の中で繰り返される。かろうじてわかったことは、目の前の巨大な存在が、『世界獣』本体ではない、ということ。そして同じ存在が、世界に七体もいる、ということだった。


「『意識体』を追うことは、『世界獣』を求める道程になります。イリーナさんが『世界獣』を捕らえて謝らせる、と言った時に、なるほどと思ったのは、その手があるな、と思ったからです。別に残り六体全てを探す必要はない。あの『意識体』をひとつ捕らえて手懐けることができれば、もっと早く『世界獣』にたどり着ける。」


 そこで、がちゃり、という音をあたしは聞いた。セティが自身の猟銃の遊低ゆうていを引いたのだ。あの伝説の名銃、ベンジャミンの鎖閂式さんさしきから、空になった薬莢やっきょうが転がり落ちる。


「ですが、今回はさすがに難しいようです。あれは……狂暴すぎる。」


 そう言ったセティの左手が素早く動き、その手が次に止まった時、彼の手の中には魔法のように新しい薬莢が現れていた。だが、薬莢の先端に埋め込まれているはずの弾丸がない。まさか、いま落ちた空薬莢を拾ったわけではないだろう。

 あたしは目を凝らす。その時、竜の背から発せられる七色の光が揺れて、セティの手を一瞬だけ照らした。何もないと思われた薬莢の先端が、七色の光を反射して輝く。それであたしはようやくわかった。何もないのではない。あれは、あそこには、普通の銃弾と同じように、打ち出すべき弾丸が埋め込まれている。何もないのではないなく、。あの光の反射の具合は……まさか、硝子ガラス


「ユーリの元へたどり着く為です。残念ですが、撃たせてもらいますよ。」


 複製品レプリカなどではない。

 セティが透明の弾丸が埋め込まれた薬莢を、猟銃に装填そうてんした。続けて遊低を叩き込み、彼が銃を構えた時、あたしは彼について、彼の持つ銃への認識までも改めた。

 あれは、あの銃は、複製品などではない。『世界獣』すら打ち倒すと言われる世界最高の旅猟師、ユーリ・スターゼンバウム。その人が持つとされる、伝説的名銃。その銃は、銃弾ではないものを撃ち込むのだと噂せれている。『魔法』とすら言われるその銃から撃ち出される何か。その何かは、あらゆる獣を一撃のうちにほふる。

 あのウロコグマが倒れた時、。つまり、超長距離の狙撃で放たれたセティの弾丸は、

 あたしの理解が収束した瞬間、溶岩洞内を七色に染め、天井へ向けて伸びていた一筋の光が、突然セティ目掛けて飛んだ。光線は導かれたようにセティが構えた猟銃の銃口へ飛び込む。あたしは反射的にその光を追い、発生源に目をやった。そこは動きを止めた『世界獣』の『意識体』の背中であり、そこにはあの茶色いポメラニアンがいた。遠くて、犬が小さくて、はっきり見えないはずなのに、その瞳はいつものように潤んで見え、そしてなぜか、勝ち誇った顔をしているように思った。

 あ、と思ったその刹那。

 銃声は、一度だけ響いた。

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