ひとつ、嘘を付きました
闇の中にいた時間は、さほど長い時間ではなかった。真っ暗闇の洞窟を、セティが照らす明かりを頼りに進み、そして、視界は突然開けた。
「山体の一部が崩れていますね。これなら明かりはいらないや」
言ってランタンの明かりを消したセティの向こう、あたしたちが通ってきた狭く暗い洞窟は、広く明るい別の洞窟に繋がっていた。セティの話では、これらの洞窟は全て、かつては溶岩が流れた空洞であり、この広い空洞こそが、この山が活火山であった頃、溶岩流の本流が流れた場所なのだろう。人の身の丈の数十倍の高さ、そして広さのある空間。セティが言った通り、山体に相当するであろう壁面の一部が崩れていて、外の光がそのまま山の懐に差し込んでいる。光は漂う塵に反射してキラキラとした輝きを見せる。場違いなほど美しいその光に、あたしはしばし言葉を失くした。
「……こちらのようです。行きましょう」
声に促されて見れば、セティが片膝を付いた姿勢から立ち上がるところだった。地面を擦るような仕草をした様子から、ポメラニアンが残した痕跡を調べたのだろう。どこへ行ったのか。どこへあたしたちを……いや、セティを
洞窟は、全体に緩やかな勾配があり、セティはその坂道を登っていく。行き着く先はおそらく、セティの話していた山頂付近の洞穴、もしくはこの洞窟自体が、既にその空洞と繋がっているのかも知れない。
「セティ……ちょっと訊いてもいいかしら」
「既にお気づきかも知れませんが」
前を歩く大きな背中は、あたしの言葉を意図的に無視して話し始めた。
「わたしはひとつ、嘘を付きました。犬を追いながら『世界獣』の
「……どうしてそんな嘘を」
「ただ犬を追いかけ回す犬好きなら、あなたがどこかで案内を断るんじゃあないかな、と期待しただけです。それほど意味はありませんよ」
「断らせて、あたしには『世界獣』の元まで辿り着かせないようにしたかったの?」
「言ったじゃあないですか」
かつての溶岩洞は、空気を多く含んで冷え固まった溶岩が地面から壁、天井までを多い尽くしていて、足音も軽い音がする。それに反して響くセティの声は重く、それまでの彼の様子とは、明らかに異なっていた。
「あんな危険なものを追うのは、ただ事ではありません。あなたのような若い女性は、あんな危険なものと関わらない方がいい。そう思ったんですが……」
「ですが……?」
「あなたが『世界獣』を捕らえたい、と言った辺りから、気が変わりました。あなたに、ちょっと手伝っていただこうかと」
「セティ……あなた……?」
セティはそれきり何も言わなかった。静かな溶岩洞に、あたしとセティの足音だけが広がっていく。あたしも言葉を畳み掛ける機会を失って、しばらくはセティの大柄な背中に、ただ付いて歩くだけの時間が続いた。
アンッ、という、可愛げな犬の鳴き声が聞こえたのは、どれくらい経ってからだろうか。あの犬の声だ、と思い、顔を上げると、目の前にいたはずの大柄な背中は、素早い動きで背負った猟銃を下ろすと、手近の壁際に張り付くように身を隠した。何から身を隠したのかはわからない。それでも、あたしも遅れてそれに倣った。理由はわからなかったけれど、そうしなければいけない気がした。セティの動きには、それだけの緊張感があった。
アンッアンッ、とポメラニアンの声が聞こえる。反響しているようで、どこから聞こえてくるのか、はっきりとはわからない。
「イリーナさん」
セティがあたしの方は見ずに言う。彼の視線は、あたしたちが歩いていくはずだった、坂の上に向けられて動かない。
と、セティが猟銃の
「……来ますよ」
あたしが弾を込めて遊低を押し込んだ時、セティが小さく言った。何が、と問う間はなかった。そして、その必要もなかった。あ、という間に、変化は起こった。
洞窟の中に、暴風が吹き荒れた。あたしの身体が壁から離れ、吹き飛ばされそうになるほどの風だ。そして、その風を運んだ存在が、溶岩洞の坂の上から姿を現した。
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