目的地へ

 翌朝、目が覚めると、セティが誰かと話していた。

 昨夜は焚き火を燃やし続ける必要があったので、セティと交代で睡眠を取った。炎のおかげで寒さはなく、揺れる赤い火を見ながら、そのすぐ横で浅い眠りについた。最後に火の番についたのはセティだったので、いま話している誰かが来た時に、あたしはまだ眠っていた。

 セティと話していたのは二人の男性で、一人はアナシカを担ぐ為の準備をしていたので、すぐに麓の村の住民が来たのだ、と理解した。セティは二人のうち一人の方に何かを言い、その一人が立ち上がると、何かをセティに手渡した。立ち位置の加減で、あたしからは手元が見えなかったので、何をセティがもらったのかはわからなかった。

 寝惚けまなこでそんなやりとりを見ていると、あたしが起きたことに気づいたセティがこちらを向いて言った。


「おはようございます、イリーナさん。今日は『世界獣』が来ている可能性が一番高いところへ行ってみたいと思います」






 身支度を整えて、出発した。まだ朝早い時間のようで、川の上には濃いもやがかかっていた。

 セティは川辺を上流に向かって歩き始めた。白む視界を慣れた足取りで進む。こっちは土地勘もない上に視界不良、さらに川辺ということもあり、岩場や苔むした足場で歩きづらく、彼の背についていくのがやっとの状態だった。

 そんな道のりから森に入り、目的の場所につくまでには、陽光は真上から射す時間になっていた。小休止を挟みながらの移動の中でら気づいたことは二つ。ひとつはセティの体力。いくら土地勘があるとはいえ、歩きづらい道なき道であることは、彼も変わらないはず。にもかかわらず、彼は終始にこにこしていた。疲れた様子は微塵もなく、我慢しているのではなく、本当に疲れていないのだと知れた。

 そして、もうひとつは、セティの背負っている猟銃だった。


「あなた、意外といい銃を使っているのね」


 何度目かの小休止の時、立ったまま水筒の水を口にしながら、あたしは言ってみた。これにセティはかなり驚いた様子を見せた。


「イリーナさんは、銃にお詳しいのですね」

「そりゃあ、猟師してれば、少しはね。なによ、そういうことは知らなそうに見えるの?」

「いえ、そういうわけでは……」

「それ、ベンジャミンの鎖閂式さんさしきよね。実物を見るのは初めてだわ」


 ベンジャミン・エースボルトは、あたしたち猟師の世界では名の知れた銃職人だ。彼の作る銃の完成度は高く、性能も折り紙つきで、多くの凄腕と呼ばれる猟師たちの手に握られて来た。ベンジャミン自身は既に高齢で、銃作りからは離れてしまっている為、その価値は高まる一方だった。


「どこでそんなものを……」

「知り合いの猟師が、引退しましてね。その方から譲り受けたんですよ」


 見ます?と言いながら、セティは背中から銃を降ろしてあたしに差し出す。自分の得物を他人に触られることを嫌う猟師も多いので、この行為にはちょっと驚いたが、いい機会なのでまじまじ見てやることにした。


「やっぱり、良いと言われているものには、良いと言われるだけの理由がありますね。精度、信頼性、整備性、耐久性、どれを取っても、以前使っていた銃とは違います」

「……なら、次の獲物はあなたが撃ってね」


 セティは苦笑している。その顔と、この銃の持ち主である事実は、やはり合致しなかった。

 あたしはベンジャミンの鎖閂式を縦にしたり横にしたり、構えてみたりしなが、隈無く見ていった。ベンジャミン・エースボルトの作る銃は、そのどれもが高い評価を受けているが、中でも鎖閂式の猟銃には、ある伝説的な銃が存在する。これはその複製品レプリカらしく、伝え聞く銃の特徴と、瓜二つだった。

 あたしがこの銃を複製品と断定するのには訳がある。ベンジャミンの名銃は、いまの持ち主がわかっているからだ。『世界獣』すら打ち倒すと噂される世界最高の旅猟師、ユーリ・スターゼンバウム。彼こそが、その銃の持ち主だ。

 ユーリの持つ銃は、あらゆる獣を一撃のうちに屠ると言われる。それは、彼自身の腕も勿論だが、その銃にも相応の秘密があるという。銃弾ではないものを撃ち込むのだとか。それがどんなものかを知っているのは、ユーリの狩猟仲間のうちでもごく一部で、後は噂に尾ひれや背びれのついた、誇大妄想の産物でしかない。『魔法』とすら言われるその銃から撃ち出される何かを想像し、あらゆる獣が倒れる姿を想像したあたしは、複製品の銃をセティに返した。





 そんな会話があり、セティが案内する目的地付近にたどり着いたあたしたちは、先の会話が予見であったかのように、セティの銃の腕を見る機会に出くわした。


「あれは……」

「ブルーベリーウルフですね……」


 山の頂を臨む森の中、不意に開けた土地と、反り立った崖があたしたちがいま身を潜める茂みと木々の波の向こうにあった。緑の隙間から見えるその崖には、ぽっかりと空いた横穴がある。人の背の二倍以上は高く、横幅もある洞窟の入り口は、奥で上方へと延びていて、行き着く先は死火山であるこの山の、溶岩が抜けて空洞化した山頂付近の洞穴なのだとセティは言っていた。かつての火口が山頂に開いていて、七色の鱗と長大な翼で空を舞う竜……『世界獣』はその旧火口から、洞穴に出入りしているのだという。『世界獣』がこの地を訪れるのは初めてのことではなく、過去にもこの山の火口下の洞穴に滞在したのだという。

 セティの情報を元にこの目的地を目指して森を抜け、川を遡って、山頂付近まで来たわけだけれど、洞窟の入り口にいたのは、大型の肉食獣だった。ブルーベリーウルフは、なんだか可愛い名前がついているものの、見た目の色が同名の果物と同じ色というだけであり、基本的にはそこらの狼と大差はない。大きさが人の二倍程度あり、凶暴性が狼の二倍程度と言われていること以外は。


「ウロコグマにブルーベリーウルフ? この山、どうかしてるんじゃないの?」

「『世界獣』か来ていることと、何か関係があるのかも知れませんね。麓の村には避難を促した方がいい」


 丸眼鏡の奥の真剣な眼差しは、既にウルフに対する手段を考え始めた猟師のものだった。あたしも軽口を閉じる。


「あれ、洞窟を住処にしているように見える?」

「そうかもしれません。本当は、もっと奥に住処があったのかも」


 なるほど。洞窟の奥に『世界獣』が現れたせいで、住処を追われた、ということか。どうやら夫婦らしい青紫のウルフは二頭。番犬よろしく、洞窟の前に鎮座していた。


「繁殖期ではないので、雌も大人しいでしょう」

「ウルフ比較ではね。元々超凶暴だから、あれ」

「んー……出来れば撃ちたくないなあ……」


 そんなことを言いながら、セティは動き始めていた。身を潜めていた茂みを掻き分け、洞窟の入り口付近から距離を取る。あたしもその後ろに続いた。ウルフの嗅覚を思えば、あの二頭にはもう、こちらの位置は知られている。後は如何に無関心を装うか、である。獣は人の関心無関心すら、匂いとして嗅ぎ取る。


「ちょっ、あなた、あの大きさのウルフを撃ち倒す気なの……!?」

「うーん……やってやれなくはないんですが……ウルフでしょう? 犬科だからなあ……」


 そっちか。


 いやいや。


「犬好きなのは知ってたけどね、正気の沙汰じゃあないでしょうよ……!」

「そうですか? だって洞窟に入るには、それしかないじゃないですか」


 前を歩くセティは、飄々と言う。確かに正論だが、あたしが言うことも正論だ。どんな猟師も、あの大きさの肉食獣との戦闘は避ける。まして、狼が二匹である。連携して獲物を捕らえることもある狼に、上手に動かれれば、こちらの命はない。


「ああ、そうか」


 あたしが別の手段を考えるように促そうとしたとき、急にセティが立ち止まった。何かを自身の中で納得したようで、周囲を見回している。


「洞窟があそこだから……」


 何かぶつぶつ言っている。そして二度三度頷き、突然言った。


「じゃあイリーナさんは、洞窟へ駆け込んでくださいね。わたしはちょっと行ってきます」


 そういうが早いか、セティは振り返り様に背中の猟銃を降ろした。流れるような手付きで腰の鞄から取り出した弾丸を込めると、遊低ゆうていを押し込んで、その場で片膝をついて狙撃の姿勢を取った。

 制止の声を上げるより、セティが引き金を引く方が早かった。セティの猟銃はあたしの横を抜けて、洞窟の前に鎮座するウルフに焦点を絞っていた。盛大な銃声が響き、あたしのすぐ脇を、高温の物体が駆け抜けて行く。木々と茂みの向こうに見える、僅かな標的目掛けて撃ち出された弾丸が、仮に命中したとしても、ブルーベリーウルフはその一発でどうにかなる相手ではない。身体の大きさとは、そのまま強さであることが、獣の世界の掟である。あの大きさの狼ならば、猟銃の弾丸を何発も耐えるだろう。そして、耐えながら、怒りに任せて狙撃した相手を探し出し、襲いかかり、確実に復讐を果たすだろう。だから手を出すな、と……


「えっ……?」


 弾丸の行方を追って振り返り見たそこに、あたしは信じられないものを見た。

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