5-4

「頭が可笑しいんじゃないか? ぼくがそんなこと――」

「望むさ。望むべきだ。メアリー・リードと共に、君たちの楽園を築けるんだから」

「身体を失うと死後と現実の区別もつかなくなるようだな」

「彼女は生きている」

「そんな嘘に騙されるか」

「嘘。嘘、か。君に、そう決めつけられるはずがない」

「……何を言ってる?」

「君は、メアリーの死体を見ていないだろう」

「軍にはそんな細かい話まで記録されてるのか? それとも、メルツェルがあんたに聞かせた笑い話にでも出たか?」

 数年前にこんな愚か者がいて……って。

「メルツェルは、メアリーを殺していない。家を燃やしただけだ。臆病故に、あの老人は慎重でね。物別れが決定的になったあとも、君を利用できるよう、保険をかけていたのさ」

 アーサーの記憶が貯蔵された卵型の装置の周辺から壁面に向けて光が飛ぶ。焼ける街。銃で死体に応戦する兵士たち。家具や荷車を積み上げた防壁。壁に映された映像が次々と切り替わる。停泊している飛空艇。逃げ惑う人々。怪我人を担ぐ兵士。これらは……死体の視界だ。

 映像が切り替わり、切り替わり、切り替わる度に、景色が式典会場へと近づいていく。映像が切り替わり、切り替わり、切り替わる。映し出されたのは、兵士と共に死体を蹴散らすアンジェリカと……彼女たちに庇われる……あれは――。

「そんな、まさか……」

 映像に映っている、彼女は――。

「だから、言っているだろう。メアリー・リードは死んでない」

 ぼくは目の前の光景に心奪われて、言葉が出てこない。

「新市民として使える死体が十分に揃うまでは、新しい制度を人々に布教し、受け入れさせるためのイコンが必要だ。親しみがあり、憧れる。残念ながら、今のわたしには向かない役目だ」

 謝りたいことがある。見せたいものがある。聞いてほしい話がある。ぼくの中から、メアリーへの感情と、彼女と会えない間に起こった出来事の数々が際限なく溢れ出していく。

 堪えろ。ぼくは自分に言う。お前のその独りよがりが、どれだけの人の一生を破滅させた?

「どうして、それをルクレツィアにさせなかったんだ。ぼくにルクレツィアを浚わせた時点であんたにはそれができただろう」

「当ててみろ。君なら解るはずだ」

「……王家がその役を担うのが嫌だったんだな?」

 アーサーの笑い声が響く。「当然だ」

 ぼくは映像から目を離せない。そこには、これまでずっと再会を願ってた人がいる。もう一度一緒になんてあり得ないって解かっていても、それを願わずにはいられない人が、すぐそこにいるんだ。死に隔てられたって……、悪意に邪魔されたって嘆いて、諦めようとしていた未来が目の前にある。

 ……いいや、違う。ぼくには目的がある。ここに来た理由を思い出せ。絶望を利用された人たちのことを。アーサーたちが尊厳を踏み躙った人たちのことを。……しかし、それでも。ぼくはこの数年を、メアリーを失った悲しみに捧げてきた。非力な自分への怒りに全身を蝕まれた。彼女に自分の過ちを謝罪できたら、ぼくは自分を赦せるかもしれない。過ちに気づいたこれからなら、アンジェリカと三人で、正しい暮らしができるかもしれない。

「わたしと共に、世界を変えよう。エワルド」

 アンジェリカ。……そうだ。アンジェリカだ。

 落ち着け。良く見てみろ。メアリーの傍らには、アンジェリカがいる。

「いつか、メアリーが言ってたんだ。自分の人形に命を吹き込みたいって」

「……何の話だ?」

「ぼくが彼女にしてやれた、唯一まともな善行だ」

 ぼくが叶えられた、たった一つのメアリーの願い。きっかけは、メアリーの面影を自分の生活のどこかに残すためだったというのが本音だけども。どうあれ、アンジェリカはメアリーの側にいる。見せてやりたいって思ってた。アンジェリカの整った顔立ちや、美しい手足の造形は、彼女の才能と努力の結晶だ。それに命を吹き込むことができたのは、ぼくの唯一の自慢と言っていい。

「世界を変えたいなら……ぼくやあんたみたいなのが生き残っちゃだめだ」

 生きている人たちを追い出した先に、メアリーやアンジェリカが笑顔で暮らせる未来は存在しない。死体が闊歩し、人間であることを諦めて、発展と拡大のために自律していくような世の中は、彼女たちに相応しくない。

「人生は舞台だって誰かの言葉、知ってるか? ぼくやお前みたいなのがしがみついているから……新しい演目が始まらない」

 メアリーとアンジェリカのために……ぼくは、ぼくがやるべきことをやるんだ。

「単純な話なんだぞ。エワルド。この国を腐敗させてきた王共を討ち、愛する者と楽園の中で生きるか、君の苦難と逆境を想像しようとさえしない連中に後ろ指を指され続けるか」

「その二択なら悩むまでもないが……。本当は違うだろう? あんたはぼくを孤立させて、自分に縋らせたいだけだ。力を手にして、暗躍して……支配者気取りが抜けなくなったか?」

「わたしをあんな連中と一緒にするな!」

「世間は誰も、あんたのことを理解しないが……自分と同じ境遇を持つ誰かなら、自分のことを認めて、敬意を払ってくれるかもしれない」

「違う!」

「崇拝してくれる誰かがいたら、そこは自分にとって揺るぎない居場所になる」

「違う!」

「違わないさ。あんたも言っただろう。ぼくとあんたは同じだって。だから、解るんだよ」

「何をするつもりだ。エワルド」

 接近するぼくに、アーサーは動揺するが……何も起こらない。

「やっぱり、あんたは世の中のことなんか考えちゃいない。支配者に憧れただけだ」

 アーサー、そして、これを造ったメルツェルもそうだろう。生まれ持った身体を放棄して、手も足もない記憶の容器だけになって生きることを選んだのは、他のこと――外への干渉を、死体任せにしようと考えたからだ。通信網の整備、身体のメンテナンス。施設の警備。メルツェルはきっと、誰もここに呼び込まないつもりだったんだろう。他人は、エレベータのセキュリティカードと警備員に扮した死体で排除するつもりだった。

 なのに、アーサーは……謁見を許す王の気分で、こんなところにぼくを招き入れた。

 ぼくは後先なんて考えずに王女の誘拐だってやってのける馬鹿野郎だっていうのに。

 機械の外周には入力装置らしい操作卓がいくつも見えるが、計器の類は付随してない。当然だ。これを弄るのは、中に納まっているアーサーなんだから、態々外に向けて知らせることは何もない。だけど……身体を棄てて、この容器に納まったというのなら、そのときに使ったはずの入力装置がどこかにあるはずだ。

「いい奴になりたかっただけなんだ。ぼくは」

 銃を杖に、ぼくは広場を這い回る。

「なのに、気づけば、善人だってことを証明しようとしたり、実力を認めさせることに躍起になってた。あんたの人形になったら……同じことの繰り返しだ。自分のことを世間に認めさせて、あんたを納得させる仕事をして……思うがままの贅沢ができたとしても、そのせいで無数の死体が……ぼくが喜ばせようとしていた人たちから心が奪われて、怪物になっていく。ぼくとあんたの決定的な違いはそこだ。ぼくは知ってしまったんだよ。ぼくから滲み出した得体の知れない……魔力みたいなものが、周りを侵食してどんなものに育ったのか気にも留めてこなかった。……どれだけの人が傷付いて、貶められたのか――」

 こんなはずじゃなかった。何度訴えても、ケビンは元に戻れない。

「それはメアリーの平和を願うのとは違うんだよ。それは、ぼくがメアリーに縋るために、他の全部を犠牲にするってことだ。彼女の幸せじゃなくて、ぼくの欲望のために全部を棄てる。それじゃあ、今までと何も変わらない」

「〈タロス〉を見せたのは、誤算だったか。世の中の腐敗を伝えるつもりが、君を臆病にしてしまったらしいな」

 探せ。探せ。アーサーが自分の記憶を……魂を容器に移すのに使った装置を探せ。他のことは考えるな。きっと、アーサーはぼくを説得する裏で、死体をここに呼び寄せている。エレベータがぶっ壊れているから、それが時間稼ぎにはなると思うけど。こうしている合間にも、外では惨劇が拡大してる。

「ぼくは決めたんだ。もう真っ当に生きる資格を失ったとしても……最後くらいは正しいことをしたい」

 アーサーの「身体」をぐるりと回り込むように進みと、施錠された小部屋を見つけた。ぼくは銃弾から火薬を抜き出して、鍵穴に詰め込む。残った弾で鍵穴を撃ち抜くと、爆発と共に扉が開いた。……あった。あったぞ。記憶転写用の入力装置だ。

「止めろ。エワルド。止めるんだ。外の連中のことを思い出せ。市民は、君が悪意でルクレツィアを誘拐し、虐げられた怒りで町中に死体をばら撒いたと思っている」

「そうだろうな。……信用を得られるようなことを何一つしてこなかった」

「ロバートは君の葛藤も知らずに、口汚く罵った」

「ぼくも似たようなもんだ」

「今更君がどんな犠牲を払おうとも、誰も感謝しない。君は英雄なんかにはなれない」

「そんなこと、望んでない。ぼくは自分が納得できる選択をしたいだけだ」

「納得? ……君が納得したいがために。……たった、それだけのことで、この国を発展させる機会を不意にするのか?」

「こんなやり方は、誰も望んじゃいないんだよ」

「望めよ! もっと、望めよ!」

 アーサーの怒声が、部屋中を震わせた。

「世の中がこの程度でいいのなら、どうして父さんを殺した!」

「……デレクに首を吊らせた奴は……既にあんたが殺しただろう」

 ぼくは準備を進めながら呟く。どうせアーサーに聞かせたところで、納得しないだろうから。ぼくは計器を確かめながら、必要な情報を入力していく。

 アーサーはどうやって自我を保ってるのか。生まれ持った身体的な個性を棄て、自分が自分であるという確証を保てるのは……記憶のおかげだ。見聞きしたもの。触れて感じ取ったもの。その全ての蓄積が……自分が自分であるという確証になる。

 だから、ぼくとアーサーが議論をいくら重ねても、相容れることはないだろう。アーサーを自称する容器の中の魂は、彼を彼たらしめている父親への敬意と世の中への怒りを棄ててしまった時点で、アーサー・グリーンではなくなってしまうから。

 ぼくは入力装置に付随していた、ヘルメット型の機械を被る。操作卓のボタンを押せば、ぼくの記憶が容器の中へと流れ込む。ぼくの感情が、アーサーを定義する感情や観念を部分的に否定するだろう。アーサーの経験が、ぼくの主義を拒むだろう。一つになった二人分の記憶は、そうやって互いの主観を打ち消す。主観を失った記憶は分解されて、感情は起伏の繰り返し化し、やがて……ただの情報の山に成り果てる。

「君は自分が何をやろうとしているのか、解っているのか?」

 アーサーが国中に潜伏させたっていう死体。その全貌を把握するのは困難だ。だから、この騒動を止めるなら、死体に送られている信号を止めるしかない。発信装置を壊そうとすれば、ぼくの兆候を感じ取ったアーサーは最期の決断を下す。それを阻止するには……あいつ以外の他の誰かが容器に頭を突っ込んで、邪魔するしかない。

「あんたはあんたじゃなくなるし、ぼくはぼくじゃなくなる」ぼくは笑う。「だけど、そんなの、今更だろう?」

 ぼくも、アーサーも、大きく変わった。……変わり果てた。

「自分や他人を恨み続けて、時間を無駄にするなんて、もううんざりだ」

 だから。

「だから、ぼくは……。最期にぼくは、あんたの道連れになってやる」

 始動ボタンを押した直後、ぼくの意識は、ゆっくり遠退いていく。

 焼け焦げた家の跡。ぼくを呪うメアリーの亡霊。そういうものが塵となって消えていく。

 自我が完全に消滅する寸前、ぼくの意識ははっきりとそれを捉えた。

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