5-3

 兵器工廠の中は死体で溢れかえっていた。動く死体と、動かない死体しかいないってだけ。生きてる奴は一人もいない。町中で見かけた死体とは異なり、工廠の死体は好き勝手暴れ回っているわけではないようだ。特定の経路を、特定の速度で巡回している。

「あんたの言う通りだ。ぼくは狂ってる」曲がり角で身を潜め、向こうの様子を伺いながらぼくはロバートに言った。

「……なんだ、突然」

「独り言だ。……知らない内に大勢の……本当に大勢の人の人生を踏みにじってきたみたいだけど、最初からこんな奴じゃなかったんだ。他人の幸せを願ってるつもりだった」

「願ってたんだろう? その思いを嘘だなんて思ってねえよ。……お前は、やり方を間違えただけだ。これから正しいことをすればいい」

 ぼくは首を振る。「ぼくはもう、どうやったって、善人にはなれない。だから、せめて事態をここで踏み止まらせたいんだ」

 工廠内には三つの昇降機があって、内二つは局長と一部の職員のみが持つカードキーを使うことで地下に降りられる。何かを隠すとしたら……今まで隠し通せてきた秘密があるんだとしたら、そこ以外は考えられない。

「ぼくが一人で昇降機を使って下に降りる」

 ぼくは担いでいたロープを見せる。それで、ロバートは、ぼくが言ったことの意味を理解したみたいだ。そもそも、銃と弾だけでカードキーのセキュリティを突破する手段なんて、限られているからな。

 アンジェリカみたいに器用じゃないぼくたちは、その昇降機から監視の目を逸らすために、窓から工廠の庭に手投げ弾を放り込む。巡回中の死体が移動するのを見計らって通路を突破すると、昇降機の前には二体の死体が常駐していた。ぼくはロバートの支援を受けながら至近距離まで突っ込んで、死体の顔を銃で吹っ飛ばす。弾を込め直しながらボタンを押して昇降機を呼ぶ。到着のまでの間に、銃声を聞きつけた死体が集まってきた。昇降機はまだやってこない。ぼくに恐れはなかった。そもそも、ぼくにはもう何もない。守るものも、恨む相手も、生き永らえる必要も。ぼくとロバートは二人で弾を撃ちまくった。

 弾が尽きる前に昇降機が間に合ってくれたのはありがたかった。

「先に逃げてくれ」ぼくはロバートに向かって叫ぶ。

「生きて帰ってくるんだろうな」

「執念深さは知ってるだろう?」

 ぼくは昇降機の、一般職員が降りられる最下層のボタンを押す。

「本当に――」

 ロバートの言葉の途中で、戸が閉まった。

 一度深呼吸したあと、ぼくは天井にある整備用の出入口を開けた。銃にロープを括りつけ、放り投げる。ロープを引くと銃身が閊えて固定された。そのロープを支えにぼくは昇降機の上に上り、今度は昇降機を支えていたワイヤーにロープを結びつけたあと、ワイヤーと昇降機を繋ぐ接続点を銃で撃ち抜いた。

 支えを失った昇降機は落ちるとこまで落ちていく。ぼくは道連れにならぬようロープにしがみつき、少しずつ下を目指した。

 途中で手を滑らせたぼくは先に落ちた昇降機に叩きつけられたけれど、幸いなことに右足の骨のどこかが折れただけで、意識は失わずに済んだ。銃を杖に身体を起こして見上げると、最下層の入口があった。ぼくは扉の側の配管を撃つ。中から液体が噴出し、徐々に扉が開いていく。折れた足を引きずって這い上がるのは苦労したが、待っていたって助けが来るわけではないのだから、やるしかない。やっとの思いで上りきった先は暗闇で、ぼくは明かりを持ってくるんだったと後悔したが、真暗な通路を少し進むと、来客の存在を通路が感じ取ったみたいに、照明に光が灯った。

 ギヤの巻かれる音と車軸が軋みと共に、自動式のドアが開かれる。歓迎されてるってことだろうが、喜ばしい話ではない。この奥で待ち構えている奴は、誰かがここに現れることを想定していたってことになるし、恐らく、それがぼくであることも承知している。

 曲り角や壁面の機材に設置された回転灯が黄色や緑の点滅を繰り返す中を進むと、分かれ道に差しかかった。一方では緑の、もう一方では赤い明滅。道案内でもしているつもりか? 通路を進むにつれて、脇に設置された機械は混み合い、回転灯の数も増えていった。赤い点滅。血を撒き散らした死体。黄色の点滅。一面に広がる炎。紅葉する森林。舞い散る落ち葉。血。炎。血。炎。ぼくはぼくが見てきたものを錯覚する。壁に現れては消える自分の影が徘徊する死体に。蒸気に映るぼくの影がメアリーに。ぼくは自分が錯覚したものを振り払う。

 通路の先は大きな広間で、無数の配管が乱立していた。機械の駆動音が一定のリズムを刻む。その音は、ぼくの荒れた呼吸と調和して、一つの生命活動を模しているようだ。

「どうだ。来てやったぞ。目論見通りか? くそっ。世界最大の大間抜けの登場だ」

フロアに笑い声が響く。「自棄にでもなったか?」

「なるに決まってるだろう。生涯かけて恨むと誓った奴はとうに死んでいて、それなのに、ぼくはあんたの思うがまま、世の中を呪い続けたってわけだ」

「執念深いのは嫌いじゃないよ。エワルド」

 広間の中央には何かの祭壇みたいに積み重なった沢山の機械があって、天井から吊るされている無数のケーブルと接続されている。その中央には〈子宮〉のような半透明の容器に包まれた金属塊が見えた。ぼくは、あれの正体を知っている。その巨大さを除けば、あの形状は〈棺桶〉に搭載されたアンジェリカの魂や、〈タロス〉の腹で見つけた兵士の魂を貯蔵する機構と、ほとんど変わらない。

「……自己弁護のつもりか? それ」

「これを作り出した男が望んだのは永遠の命だ。歳を重ねるに連れて死が近づくのを恐れるようになった老人さ。生きている内に積み上げた知識と権威を手放すのを惜しんだ。だから、ヨハン・メルツェルは人間を肉体の枷から解き放つその力を、自身の永続に利用しようとした」

 声は嗤う。ぼくは、部屋の隅に拡声器が設置されているのに気づく。

「自分よりも長く生きた奴が自尊心を拗らせて狼狽える様は惨めそのものだったよ」

 声は嘆く。

「残念なことだが、彼の振る舞いはこの国の現状そのものだ。〈豊穣会〉の連中を見ただろう? 時は留まることがないというのに、この国の連中はいつまでも過去の栄光に縋り、それが続くことを期待する」声は怒る。「この程度でいいというのなら、この国の未来のために犠牲になった者たちはどうなる」

 声は怒る。

「父は何のために犠牲になった?」

「目的は父親の恨みを晴らすことか? ……アーサー・グリーン」

 ぼくはもっとデレク・グリーンの死体が重用されている理由を真剣に考えるべきだったんだ。諜報の目的と軍属っていう肩書きがあるアルマはともかく、デレクの死体に拘りがあったのは、あれを操っていた奴にとって、デレクという存在そのものに特別な意味があったから。

〈タロス〉という肉体の代替物を目の当たりにしたとき、ぼくはもっとアーサーの死体について熟考するべきことがあった。新しい身体を手に入れた精神にとって必要なのは、記憶を保持し、思考を司る頭だけであり、首から下は無用になるってことを。

「違うよ。エワルド。わたしは、デレクの尊厳を取り戻したい。父が死んだのは、この国がより良い未来を掴むためだったはずだ。父は老人共の暮らしと自尊心を支えるために搾取されるような男ではない」

 声は沈黙の後、落ち着きを取り戻して言った。

「〈豊穣会〉の連中を知って、わたしは悟ったのさ。父の犠牲に値する素晴らしい未来を迎えるためには、わたしが動かねばならない、とな。だから、わたしが引き継ぐことにしたのだ。老人共が後の世のために本当にやるべきだったことを」

「動く死人を生み出すことが、お前の言うより良い未来だって言うのか?」

「わたしは人の望み通りの姿を追求しただけだ。生き永らえるために生き続ける者、果てない欲望に溺れる者。人はこれから自らの理想に至るんだよ」

「あんたとぼくが知る人間は、ちょっと違うみたいだな」

「君なら、わたしの苦悩を理解してくれると思ったのだけどね」

「ぼくがあんたの理解を? 冗談は止めてくれ」

「大真面目さ。メルツェルの名を語り、君の怒りを正面から受け止め、アルマを通じて君に寄り添い、わたしは君を見極めようとした。そして、一つの確信を持った。君はわたしだ、と」

 見渡す限り、ぼくとアーサーの他に気配はなく、レンズの類だって見当たらない。それなのにぼくは、全方位から無数の視線を浴びているような寒気を覚えた。

「メルツェルを憎み、自分の無力を怨み、自分の責務を見出し、あの男を追い続ける君の姿に、わたしは心を打たれたんだ」

 アーサーは言う。「君は他の奴らとは違う」

 アーサーは言う。「新時代を生きるに値する人間だ」

「あんた、もしかして初めから……〈豊穣会〉の連中とぼくを引き合わせるために、自分の故郷に痕跡を遺したのか?」

「元より〈豊穣会〉のことをルクレツィアに密告して、連中の動きを抑制するのは計画の内だったが……ああ、そうだ。あんな手を選んだのは、君のためだ。ベイカー精神病院で見た、あの人形の瞳の奥に宿った怒り。その怒りが意味するところを、わたしは一目で感じ取った」アーサーは笑う。「冗談だ。わたしはメルツェルの記憶と兵器工廠の記録を通じて君のことを知っていた。……だが、君はわたしを知らない。同じ怒りに燃える同士足り得るわたしのことを。だから君に、わたしのことを知ってほしかった。君は独りではないことに気づいてもらうために」

 正直な感想を言えば、心底気持ち悪かった。こいつとぼくが同列だって? 勘弁してくれ。周りの連中は、ぼくのことをこんな風に見てたっていうのか?

「それで、ぼくを仲間に引きずり込んで何をさせたい?」

 死人が生者を襲い、死人を増やし続けている。地上で起こっていることを思えば、早急に手を打たなければならないのは解っている。しかし、手当り次第銃弾をぶっ放すっていうのは最後の手にしたい。ぼくが引鉄を引く。アーサーが国中の死体に大虐殺を指示する。銃弾がアーサーの急所を穿つ。信号は飛びっぱなしで、書き換える手段を失ったら……最悪だろう?

「君には」アーサーは言う。「王になってもらいたい。わたしが蘇らせた者たちを統べる……死者の王だ」

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