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 ぼくは誰よりも、ヨハン・メルツェルのことを理解しているっていう自信がある。巷ではルクレツィアの代わりにあいつが開会式のスピーチを読み上げることになったなんて噂が流れているけれど、それは在り得ない。どうせ、またどこかに引き篭もったまま、別人の身体を操っているに決まっている。

「死体は自分で考えたりはしない。既にその身体からは魂が抜けているんだから。ちょっと手先が器用なゼンマイ仕掛けだと思ってくれ。予定通りのプロセスをなぞるだけだ」

 例外なのは、メルツェル自身が操っているものだけ。

「アーサーの死体は、兵士とそれ以外の人を見分けたって聞いたけど」

「正確には〈豊穣会〉にだけ反応したんだ」

「どう違うの?」

「固有の特徴を見つけたときだけ動き出す。視覚でも聴覚でも、肉体で受容できる刺激ならなんでもいいが……。広範囲となると……。ガスだ。臭いだよ。メルツェルは町中にガスを撒けばいい。メルツェルが町中に配置した死体は特定の臭いに反応するんだ。ガスなら広範囲に合図を送れる。ガスが充満すれば、死体は一斉に暴れ出す。問題はそれほどの量のガスをどこから撒くのかだ。それが解れば、信号を未然に止められるかもしれない」

「大量の気体を溜めておけるところってことだよね」

「それでいて、散布の障害が少ないところだ」

「心当たりがある」

「あんたの城とか言い出すなよ」

「飛空艇」ルクレツィアは言った。「技術博覧会当日は、お披露目のためにコークストンの空を飛空艇が飛ぶ予定なの。その飛空艇の設計責任者が――」

「ヨハン・メルツェル?」

「ええ。その通り」

 コークストンの空を回遊する予定の飛空挺は、東の山一つを隔てたところにある前哨基地で待機していて、開会式の後にお披露目されるという手筈らしい。コークストン到着後は博覧会が閉会するまで、ぼくがルクレツィアを浚ったあの時計塔に牽引される。

「飛空挺がコークストンに辿り着いてしまったら、時計塔を通るしか近づく道はない」

 だから前哨基地を目指そうっていうルクレツィアの提案に、ぼくは頷いた。

「ただし、基地に忍び込むのはぼく一人だ」

「まだそんなことを言ってるの?」

「言っただろう。あんたにはあんたの役目がある。事が始まれば、コークストンは大混乱だ。誰かがそれを沈めなくちゃ、予期せぬ問題だって起こるだろう?」

 ぼくは念を押す。

「銃弾飛び交う戦場っていうのは、あんたの居場所じゃない」

「実はね」ルクレツィアは深刻そうに言う。「危ないからって禁止されていたんだけど、乗ってみたかったんだ、飛空艇」

「……遊びに出かけるわけじゃないのは解ってるよな?」

「大真面目よ。飛空艇には通信機が装備されている。奪った飛空艇でコークストンを目指して、空からわたしの無事とメルツェルの逮捕を宣言する」

「騒ぎになったら、メルツェルはまた消息を絶つぞ。何より、操縦はどうするんだ」

「出航の直前を狙うの。操縦の訓練を受けている一部の者を残して、あとは追い出す」

「飛空艇に乗れたら、そうするとしよう。それで、どうやって乗り込む?」

「一つだけ、当てがある。内通者よ。……尻尾を掴むには至らなかったけど、だからってわたしたちもメルツェルを野放しにしてきたわけじゃないの。以前から工廠にはロバートを通じて見張り役を送り込んでいたんだけど……」

「ぼくの家を焼くのは見抜けなかった?」

「王女なんて名乗っているけどね。わたしじゃどうにもならないことがほとんどなの。政治は議員が進めるし、経済は銀行の頭取が支配している。軍だって若造に指揮されるのは不服でしょう? 世間が言うように、好かれるような立場じゃないの、わたしって」

「余計なことを言った。……あんたを責めても何にもならないのに」

 ルクレツィアは力無く微笑んだ。

「周りに責任を求めるようになっただけ、前進よ」そして、呟くように付け加えた。「自己完結してしまう一生って悲しいものでしょうし」

 気まずい沈黙が流れる。ぼくはそれを払拭しようとした。

「これから大仕事が待ってるんだ。それに手をつける前から深刻な顔をするのは止めよう」

「ええ。そうね」

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