五章 だから男は蘇った

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 技術博覧会の開会式はバリー宮殿で行われる。メルツェルのことだ。あからさまに護衛を引き連れてくるとは思わないが、だからって丸腰で現れることもないだろう。それに、〈豊穣会〉という組織の人たち。〈タロス〉の件のほとぼりが冷めるまで、表立った行動は避けるだろうけど、暗殺者くらいは雇っているかもしれないってロバートは警戒している。

 わたしは来賓客に紛れる準備をしてほしいって頼まれた。ロバートの体格じゃ目立ち過ぎるし、何より彼はアーバン大鉄橋で起こった騒動の当事者として、今や軍部では有名人だ。おめかしが済んだわたしは、姿見の前で自分の服と化粧を確かめる。もしかして、これって生まれて以来の好待遇ではないだろうか。

「こんな仕事が続けば、文句も言わずに頑張るんだけど」

 相手がいない皮肉は言っても空しいだけだった。

「そろそろお時間です」

 少し前に化粧やドレスの着付けを手伝ってくれた士官が戻ってきた。

 世界中から人が集められた場内は、そこ自体が一つの人間の多様性を記録した展示物みたい。

「遊びじゃないってことを忘れないでくれよ」

 近衛兵が王族の身辺警護業務のときに使う特別な通信機のスピーカーが、わたしの耳に入ってる。ロバートが借用したものだ。本体は背負う形で服の中に納まっており、本体とスピーカーはわたしの肌と同じ色をした配線で繋がっている。ほとんどが髪で隠れているから、近くで見ても注目を集めることはないだろう。

 ロバートは数名の部下と共に、バリー宮殿のそばにある空き家に潜んでいる。数名の部下を連れて、宮殿の外を監視しながらわたしに指示を送るのが彼の役目だ。

「いいか。もう一度言っておく。メルツェルが現れたら、まず報告が優先だ」

「なら言うけど」

「なんだ」

「たった今、舞台の上に現れた」

 わたしは人混みを遮蔽物にしながら舞台に近付く。

「本物か?」

「もちろん。エワルドからうんざりするほど写真を見せられたから。見間違いじゃない」

「折角現れた獲物を取り逃すわけにはいかない。準備が整うまで手出しはするなよ」

「解ってるって。わたしは、手出ししない」

「……エワルドは?」

「まだ見つからない」

 もしも、メルツェルが開会式に現れるってことを聞きつけて、エワルドが会場に姿を見せたなら、わたしの口から説得して欲しい。ロバートはそう言った。

「あんまり期待しないでよね。メルツェルを見つけたエワルドが冷静でいられるわけがないんだから」

 兵士の補助を受けながら、メルツェルは舞台の中央に立った。会場を見わたし、彼は招待客が静かになるのを待つ。異変に気づき、近くの者と談笑していた招待客たちが彼に注目を集める。

 メルツェルは口を開いた。

「わたしがこの場に立つのは、この国の行く末に言うべきことがあるからだ」

 会場が静まり返る。

「かつて騒乱の時代があった。ここにいる者の中にも、その時代を乗り越えた者がいるだろう。船が沈み、家が焼かれ、畑は踏み躙られる。そういう時代だ。誰であろうと、どこであろうと至るところで人が死んだ。この場にかつて剣を交えた者もいることは承知している。わたしがこの話をしているのは、あなた方を批難するためでも、憎しみを蒸し返すためでもない。ただ、一つのことを問いかけたいだけ」

 メルツェルは言う。

「戦場で命を散らした者たちが夢見た景色は、こんなものだったのか。彼らが真に望んだこと。それは築くことだ。戦後から今日に至るまで、我々は失ったものを取り戻そうと家を建て、種を撒き、子を育ててきた。しかし、元に戻るだけなら、あの苦しみは何だったのだろうか。痛みを耐え忍んでこられたのは、その向こうに幸福があると、ここはより良い未来に至るための通過点なのだと、そう信じてきたからだ。なのに。……なのに。愛した者たちが流した血と涙でできたはずの、この国は……堕落してしまった」

 招待客は怪訝な顔を見せた。解かるわ。わたしも同じことを考えてる。これからお祭りを楽しもうってときには向かない話題だもの。

「町を見渡せば、そこにいるのは、工業化で懐を肥やし享楽に溺れるか、職にあぶれて救いを請いながら、生の終わりを待つ者ばかり。平和の礎になった者たちが望んだのは、こんな時代か? 安寧の上に胡坐をかき、市民は不満と愚痴に溺れ、国は自分たちの地位を存続させるためにそれを良しとした。上を向くことも、前に進むこともしない時代。そんな世界を望んでいたとでも?」

 会場に重い空気が立ち込める。折角のパーティが興醒めになって、興奮の行き所が苛立ちに集まっている感じ。

「わたしには死者の無念が聞こえる。焼け爛れた土地で朽ち、暗く冷たい海に沈んだ者たちがわたしに訴えるのだ。返せ、と」

 メルツェルの背後に下りていた幕が上がると同時に、会場に立ち込めていた苛立ちが一瞬にして静まった。

「状況に変化は?」ってロバートの声がした。

「長ったらしい説教が続いてる」

「変革のときがきた。騒乱の時代を乗り越えた先人たちの崇高な願いを思い出すときが」

「上品な人たちって、良く長話に野次も入れずに我慢できるものね」

「飽きたからって騒ぐなよ」と耳元でロバートの声がした。

「ええ。わたしも上品だから」

「技術博覧会の……。いいや、新時代の幕開けとして」メルツェルは言う。「わたしの研究成果をここで発表したい」

 メルツェルは脇に退き、舞台の主役を幕の向こうにあったものたちに譲った。

 拍手。拍手。拍手。自分が何に手を叩いているのか、この人たちは本当に解かってる?

「停滞の理由。その一つが、我々の在り方そのものだ」

 わたしはメルツェルに気取られないよう、慎重に会場を歩き回る。だけど、エワルドの姿はどこにも見つからない。足取りは無意識の内に速くなる。この場にいないなら、その方がありがたい。どこかで壇上を見ているのなら、一刻も早く捕まえなくちゃならない。多分、きっと、いいや、絶対。エワルドは怒り狂ってるだろうから。

「これが」メルツェルは言った。「次世代の人類だ」

 所々に溶接の後があって、節々の隙間からはゼンマイが見え隠れしている身体。わたしのスタイルの方が何倍だって見栄えする。自慢じゃないけど。

「機械により、産業は効率化し、食料は安定供給され、兵器は強力になった。先進技術の普及により、文明は高度化し続けているというのに、人間だけがその波に乗れていない。享楽で暇を紛らわし、組織から弾き出される者は、その象徴だ。機会に劣るこの身体のせいで、社会から居場所を失い、この身体が文明の発展を遅らせている。我々は自らが築き上げた文明に追い着くため、既に枷と化した肉体に別れを告げ、〈機械仕掛けの身体〉に精神を移行させていかなければならない」

 会場がざわめきに包まれる。そして、誰かが言った。

「どうやって?」

 その問いかけを待っていたかのようにメルツェルが微笑んだ。

「その答えが、これだ」

〈機械仕掛けの身体〉が陳列されていた台座が左右にずれて、更に置くから繭状の装置が現れた。わたしには、それが何なのか見覚えがある。

「メルツェルはどうだ?」

「人生に頂上ってものがあるのなら、彼にとって今がそうなのでしょうね」

「つまり?」

「最低最悪な発明品のお披露目中。あれは〈タロス〉よ。ダウンサイジングされてるけど。原理は同じ。肉体から魂を引き剥がして、別の身体に移行する」

 ロバートは沈黙した。

「メルツェルは、新人類の身体って呼んだ。身体構造を改良しないと、文明の更新は見込めないって。……聞いてる?」

「……ああ」

「結局のところ、〈豊穣会〉の人たちと同じじゃない。生まれもった身体に不満があるってことでしょう?」

「いや、そうとも言い切れない」

「どうして?」

「文明の更新って言ったんだろう? メルツェルは。〈豊穣会〉の連中の肩書きを思い出せ」

「軍の偉い人に、銀行の頭取?」

「どちらも、権力者だ。この国がこの国であるが故に、名乗ることを許された肩書きなんだよ。だが、メルツェルは人間そのものをそっくり変えて、新しい時代の到来を望んでいる。一つの時代が終わって、国が変わったら、階級や通貨は無意味だ。価値を保証する者が誰もいないんだからな」

「この国の地盤を固めるために〈タロス〉を量産した〈豊穣会〉にしてみれば、メルツェルの計画はやり過ぎってこと?」

「そういうこと」

 メルツェルは子宮の側面に触れた。すると、霧のような気体が充満していた内部で換気か行われたのか、次第に中身が鮮明になっていった。

「ああ、もう最悪っ!」

 メルツェルの傍らにある〈子宮〉に収められていた人物を見て、わたしは思いつく限りの悪態を吐いてやりたくなった。

「くそっ。クソッたれ」

「エワルドが乗り移ったか?」

「彼くらいしか悪口の参考がいないから」

「今度はどれだけ事態が悪化した?」

「生きてきた中でも最悪よ。わたしとエワルドにとっては」

 メアリー・リード。

 エワルドの最愛の人が〈子宮〉の中にいた。

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