4-2
ルクレツィア王女は王位継承権一位にあたる、齢――
「今年で十九になる」とロバート。
十九になる聡明で可憐なお姫様(ロバート談)で、評判も上々。近頃は隠居して影の薄くなった王様に代わり、民衆の支持を集めるために大活躍(エワルド談)してる。
「なんだ、覚えてないのか?」
「忘れるも何も、会ったことないわ」
「王女はこの時期になると、毎度お前の話をしていたんだがなあ」
それは多分、わたしという自我が育つ前の話なのだろう。〈棺桶〉に搭載されているわたしの記憶集積装置に、まだ人格を形成できるほどの情報量がなかった頃。言ってみれば、胎児だった頃だ。人と違って、そのときのわたしはまだ命じゃなくて、物だった。
「物だったわたしに『会う』って言葉を使うのは、正しくないわ。わたしと王女様が会うのは、これからよ」
新しい出会いは、自分の世界をちょっと広げて、わたしっていう人格をちょっと深める。他人を見る目が敵と味方って枠組みしかないエワルドは、人付き合いに関してちょっと浅はかだけど、わたしだってエワルドとそれ以外の枠しかないのだから、大差ないか。
ロバートの言う会場とやらに向かう最中、道路の石畳を敷き直す人や、支柱が錆びたガス燈を交換する人たちとすれ違った。
「国民の暮らしなんかに関心がない連中もな、見栄が絡んでくると羽振りが良くなるもんなんだ。他所の国の貴族様への対抗心で町は美化し、人は職にありつける」
「気に入らないの?」
「どうせ同じことをやるなら、身が伴っていることに越したことはないだろう」
王女の一声により、鳴り物入りで始まった王立技術博覧会は、技術革新の促進と諸外国との親睦に貢献したことにより、享楽的な性格が幸運にも興行的な才を育んだとか、政務を家臣に押し付けて道楽に興じているだとか、色々言われている。
「ルクレツィア王女は、本気で民衆の暮らしを良くしようとしているんだ。だが、取り巻きの連中の印象に足を引っ張られて、一部からはそいつらと同類だと思われている」
町の西側を北から南に流れる川沿いに建てられた南北に長い、バリー宮殿。王立技術博覧会の会場だ。直線を基調にした装飾は王城のものと所々共通のものが使われている。川の対岸から見ると大きな壁にも見えるが、それもそのはず。ずっと西に進んだところにある海岸から外敵が上陸したときに備えて、王城を守る砦としても利用できるようになっているんだって。
宮殿内は経年劣化した箇所を修繕する人や、出展者が持ち込んだ研究成果を展示するためのスペースを確保するために、元々あった調度品を撤去する人が廊下を忙しなく行き来していて、大広間では測量器を使って展示区画の区分けをしている人がいた。
「祭事のようなもんだが、公共事業だからな。区分けは平等に、入念な測量のもとで行われている。そうでなくとも、王女が招待した研究者は、自分の研究成果を誇示したいだけの奴らばかりで、毎年誰かが何かしらの規則を破って、呆れた額の損害を出すんだ」
エワルドがいたら、ぼくは違うぞって言うんだろう。いつもならわたしもエワルドの見方をするところだけど、既にわたしは彼とメアリーが作った人形が宮殿内で暴走して他の出展者の展示品を破壊して回ったことがあるって聞かされてしまっている。
「あら。殺人事件の捜査で忙しいはずのロバート特務大尉がどうしてこんなところに?」
わたしたちの背後に一人の女性が立っていた。格好こそ地味で控え目な色合いなものの、ブーツに裾をしまい込んだズボンも、装飾の少ない上着も、高級な生地が使われている。そして、その立ち振る舞いには、どこか上品だ。
「それ以外にも、あなたには色々と仕事があったはずだけど?」
「サボっているわけじゃありませんよ。王女」
王女。へえ。この人が、ルクレツィア王女。
「あら? あなたは!」王女様はわたしを見つけると、その瞳を輝かせた。「懐かしいわね。久し振りね! アンジェリカ」
駆け寄ってきた王女様はわたしを抱き抱えると、頬を摺り寄せた。王女様の肌は汗ばんでいて、服は近くで見ると埃や木屑に塗れている。
わたしはロバートの方を振り返った。彼はわたしと視線を合わせないようにそっぽを向いた。なるほど、わたしをここに悟ったのは、王女様の機嫌取りのためってわけ。
「それで、ロバート。要件は?」
聞きながらも、ルクレツィアはわたしを離さない。そういえば、王女様はメアリーのファンで、彼女の部屋にはメアリーの人形が飾られているってエワルドが話してたっけ。
「〈豊穣会〉の動向調査報告です。こればかりは、部下を使うわけにもいかないでしょう」
「聞かせて」
「動けないジーン大将と生死不明のアンソニー。それから、離反したヨハン・メルツェルはともかく、〈豊穣会〉の主要人物は――」他の人に聞かれては大事になるって警戒しているんだろう。ロバートは王女に耳打ちした。「その五人を重点的に監視させていますが、今のところ目立った動きはありません。個人口座から事業の帳簿も過去三年に渡って調べましたが、見つけた不正は、まあ、可愛いもんです。あの『騒動』に比べればね。博覧会に向けて何か企んでいるってこともない。恐らく、先の『騒ぎ』のほとぼりが冷めるまでは、動きを見せることはないでしょう」
「アーサー殺しの方は?」
「死体を操る技術は、メルツェルが独占している。それは間違いないでしょう。ですが、証拠はない。デレクの死体を確保できれば良かったのですが……。地下にあった兵器の残骸ごと消えてました。国中の廃棄場を捜索させてますが、期待はできないでしょうなあ」
「多分ね。わたしだって、見られたくないものは、海に棄てるわ」
もう洋服のことを諦めていたわたしは、これ以上デレクを悪用させないために、死体ごと持ち帰ったらどうかとエワルドに提案した。デレクの生は短かったって話だけど、その身体と魂は、生きている限りの全力を尽くしたんだ。役目を終えた死体は、安らかな眠りに就く権利があるし、誰かに利用されていいものでもない。
エワルドはわたしの負担を減らすため、その提案に反対した。状況を考えれば間違っていない。わたしだってそのときは納得したんだ。だけど、今になって、わたしは弔ってあげれば良かったって後悔している。使い捨てにされる終わり方だったからこそ、たった一人の祈りだけでも捧げる必要があったんだ。それが死者の喜びになるとは思えないけれど、この世から無惨な死を一つ減らせたはずだった。
「王女様は――」
「ルクレツィアでいいわ。ここはお城の中じゃないし、式典や外交の最中じゃない。今のわたしが背負って立っているのは現場監督の肩書きだけ」
「ルクレツィアは、自分がやっていることが幸せの内に終わるって信じられる?」
奪われるために生きていたわけじゃなかったのに。きっと、デレクはそう思いながら首を吊ったのだろう。エワルドだって同じ。メアリーを落胆させるために研究していたわけじゃない。
「したいって思っているけど……。そうねえ……」
生き物が行き着くところは、どうあったって破滅なんだ。生きている内に、どれだけのものを手に入れたって、それらは絶対手放さなくちゃならない。得たものが大きければ大きいほど、喪失感は膨らんで、見えない大きな穴が胸に開く。
そう。穴が開く。大きな穴が開くんだ。日々の積み重ねが無為になったら、それは最初からのやり直しじゃない。そんな簡単な話だったなら、エワルドはメアリーの死に囚われたりはしなかっただろう。
「いいものを見せてあげる」ルクレツィアはわたしを床に降ろすと時計を見た。「わたしもそろそろ休憩しようと思っていたところだから」
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