3-5
メルツェルが乗っ取った〈タロス〉は、まだ起動していない〈タロス〉に向けて砲撃を加えた。砲弾の射線をなぞるように、床の炎が揺らぐ。矛先がこちらに向くのは時間の問題だ。不意打ちを狙いたかったが、どうする?
「ええい。〈子宮〉の出力を切るんだ」アンソニーは研究員を怒鳴りつけた。
「しかし、それでは軍曹の生命維持装置が……」
「〈タロス〉をヨハンに奪われたら、元も子もないだろうが」
ケビンを抱いたまま、〈子宮〉は機能を停止した。間をおいて、ケビンの身体が痙攣する。あれはケビンの意思じゃない。彼の魂は〈タロス〉の中に囚われたままのはずだ。肉体の本能的な抵抗だったのだろう。死に抗ったのだ。魂が還ってくる場所を守るために、ケビンの肉体は無意識であっても生き永らえようとしている。
「無駄だ、無駄だ」メルツェルは笑った。「肉体から魂を取り出した時点で、ケビン軍曹は永劫〈タロス〉の記憶集積装置の中だ。お前たちにどうにかできるものではない」
「……しかし、設計書には……」
「アンソニー。現実を受け留めるんだ。正しいのは、いつだって現実さ。設計図が嘘偽りなく真っ当なものだというのは、単なるお前の期待で、実際はわたしの偽装を見破れなかったお前たちと、お前たちを出し抜いたわたしがここにいる」
待機していた〈タロス〉たちが、ケビンの二の舞になるのを恐れて逃げ出そうとした。これでは、火に怯える小動物だ。そうしたところで、彼らの命は既にメルツェルの手中にあるっていうのに。健在な〈タロス〉たちのほとんどは格納庫の搬入口に密集したまま立ち往生し、そこからは逃げられないと悟った一機が、頭上に主砲を放った。天井が崩れて瓦礫が山積みになる。塵が舞い、炎の光を反射した。所々で咳き込む声が聞こえる。天井に穴を開けた〈タロス〉は、その穴を抉じ開けるように前足をねじ込み、後ろ足を天井に引っかけて、這い上がった。その行為に理屈はない。脅威に怯え震える、動物の本能だ。
「お前らには世界を変えられん」
デレクは言う。操られたケビンが、搬入口で群がる〈タロス〉に主砲を浴びせた。足をもがれ、節々から血を噴出す。それでも〈タロス〉たちにとって何より大事だったのは、反撃することよりもこの場を離れることだった。
「だから、わたしが実現してみせよう」
天井を登るのにもたついた〈タロス〉が撃ち落とされ、格納庫の床に仰向けになって倒れた。揺らめく炎。焼け崩れた残骸。撒き散らされた血。転がる四肢。煙。炎。咽る人。
「裏工作ばかりしていると、いつか自分の人生も生きられない傍観者に成り果てるぞ」
ぼくは無意識の内に、乗っ取った〈タロス〉の主砲をデレクに向けていた。
デレクはこちらを振り返り、笑みを浮かべる。それと同時に、ぼくたちの〈タロス〉の主砲が火を噴く。人並み外れたデレクとはいえ、弾の速度を越えられるほどじゃない。〈タロス〉の砲を制御したアンジェリカの狙いも完璧だ。だけど、ケビンの〈タロス〉が主人を庇うように、ぼくたちの間に立ちはだかった。
「邪魔をするな!」
前足をもがれた〈タロス〉は弱々しく立ち上がった。ぼくは苛立つ。ぼくの中で喚くメアリーも苛立っている。〈タロス〉の妨害はケビンの意思じゃない。解かっている。解かっているが、ぼくの敵はそこにいるんだ。お前をそんなものに変えた奴は、そいつなんだ。
デレクが倒れた〈タロス〉を足場に、破れた窓から管制室に跳び移る。アンジェリカは下腹部の機銃を振り回すが、弾は奴に当たらない。煙の中からも銃声が聞こえる。まだ余力のある兵士が煙の隙間から奴の姿を見つけたのだろう。デレクは管制室の奥へと進む。
〈タロス〉の機銃では高所を狙えない。主砲の火力ではロバートを巻き添えにしてしまう。あいつを管制室から引きずり降ろさねば。蹄鉄に鉤がついたような足先を金属製の壁に突き立てる。脚力は自重を持ち上げるのに十分だったけれど、壁面の方は〈タロス〉の体重に耐え切れず、鉤を刺したところから裂けたり、歪んだりした。
前足を天井に突き刺し、ぶら下がった状態で、アンジェリカは腹の機銃を管制室に向ける。だけど、機体の揺れで狙いが定まらない。宙に浮いた後ろ足を管制室の窓がある壁に刺して身体を支える。揺れは落ち着き、照準が狙うべき相手へと向く。
ぼくたちが銃口を向けたときには、ロバートがジーンを背に庇い、デレクがアンソニーの首を片手で掴んで身体ごと持ち上げていた。警備兵たちの血を浴び、銃創から筋肉を剥き出しにしているデレクは、炎の灯りが及んでいない管制室の中でも全身が赤い。炎をまとう男。血に染まった男。ヨハン・メルツェル。
「〈タロス〉を取り返しにきたつもりだろうが、被害者面は止めろ。〈外殻義肢〉は、そもそもぼくの技術だ」
アンジェリカは、流れ弾がアンソニーに当たるのを危惧して発砲を許さなかった。それでいい。いや、良くないか。代わりにぼくはメルツェルを怒鳴りつけた。それが負け惜しみでしかないってことが解かっていても、怒りをぶちまけずにはいられなかったんだ。
「取り返す? 勘違いするな。こんなものくれてやる」
家を焼き、煙を巻き上げ、奴は全てを灰と化す。ぼくの大切な人は骨すら残らず、彼女の墓は主のことを知らない。興味を失くした玩具を捨てる子供みたいに、デレクはアンソニーを手放した。そして、ぼくを向く。メルツェルは、デレクの瞳の奥で笑っている。
「わたしのことよりも、君だ。君はどうしてそんなところにいる」
ぼくはデレクの頭の残った部分も綺麗さっぱり吹き飛ばしてやりたくなった。
「わたしを殺したいんだろう。解かっている。目的を聞いているんじゃない。手段だよ。その〈タロス〉を操っているのは『あの安置所』にいた人形だろうが……」
今度は銃声がデレクの言葉を阻む。アンジェリカが機銃でデレクを威嚇したんだ。
「気に入らないか? 自我を持っているのか、持っているつもりになっているのか」
「どう違うっていうの?」アンジェリカが格納庫の拡声器を使って叫ぶ。
「どうも違わないさ。魂を込められたと錯覚している人形も、人形に全てを任せて棺の中で時が終わるのを待っている人間も」デレクは笑った。「お前たちは倒錯している」
デレクは駆け出し、こちらに迫ってくる。銃弾に筋肉を抉られた足では姿勢が不安定だが、痛みを知らない身体は全力を発揮した。アンジェリカも全力でデレクの迎撃を始める。
「人形が人間の振りをしても、しょせんは物真似だ。画面越しに何かをやり遂げた気になったところで、実際は静観していただけに過ぎない」
デレクは銃撃を巧みにかわす。奴の動きに、機銃の回頭機構が対応できていないんだ。
「なあ、エワルド。お前はまた何もしないつもりか? その手は何のためにある。身動きもとれないまま焼かれた女にも届かない。呪った相手の首を裂くのに使う刃物も握らない。その手は、何のためにある?」
デレクはぼくたちの〈タロス〉に飛び移ると、素手で機銃をへし折った。更に奴は、ぼくが〈タロス〉の中に潜り込むときに開けた羽目板の方に回り込もうとした。
「えっち!」
アンジェリカは〈タロス〉の身体を大きく揺すってデレクを振り払う。デレクはしがみついてこれを耐えようとした。デレクは振動を堪え続けているが、動くこともできない。今の内に誰かがデレクを仕留めてくれる者がいないかと期待して格納庫の方を振り返ったが、そこが火の海と化しているのを見て諦める。
「お前だって似たようなものだろう! 死人の身体を辱めて、他人が積み上げてきたことを横取りして!」
「齢に自由を奪われた老いぼれと並んで、お前は嬉しいのか?」
死ぬほど恨んでいた相手が、装甲版一枚隔てた向こう側で、ぼくを嘲笑っている。飛び出してぶん殴ってやりたいが、〈タロス〉を操るのに必死なアンジェリカの身体で、好き勝手はできない。
「必死でもないけれどね」と、アンジェリカは強がる。
「そうかい。……アンジェリカ、後ろに気をつけろ」
ケビンの〈タロス〉が前足を欠いた状態で、ぼくたちに向かって跳びかかってきた。
「嘘じゃないもん」
天井と壁を掴んでいた脚を離し、アンジェリカは主砲を回頭しながら着地すると、圧しかかってきたケビンの〈タロス〉に一撃を放つ。しかし、弾は相手の脇をかすめて天井に当たった。狙いが外れたのはケビンの〈タロス〉が管制室の方へ跳び移ったからってこともあるけれど、何より、アンジェリカが目の前の敵に集中していないせいだ。
「油断して負けたら、笑い話にもならないぞ」
「わたしだって、勝つために色々考えているの! エワルドは黙っていて」
ケビンの〈タロス〉は再び、管制室の壁面からぼくたちの方へ跳躍しようと構えた。だけど、〈タロス〉が踏み込むより先に、壁の方がその重さに耐えられなかった。管制室を支えていた壁が崩壊する。アンジェリカは落下した相手が起き上がる前に、主砲を放つ。
「ロバートは?」
〈リコン〉はまだ管制室の監視カメラと繋がっているはずだ。
「偉い人(ジーン)を連れて昇降機で逃げ出せたみたい。偉そうな人(アンソニー)は……多分、さっきの瓦礫の中」
栄華を極めた男が力に溺れただけのこと。死に方がどうであれ、最後は土に埋められる。それがアンソニーへの慰めになるかどうかは解からないが。
「見つけたぞ。人形!」
真っ暗闇の〈タロス〉の腹の中。灼熱の炎を背に〈タロス〉の腹の中を覗き込むデレクと目が合った。皮膚は焼け爛れ、所々肉が抉れたその輪郭に、人の名残はほとんどない。生気のない淀んだ瞳が、ぼくを見る。その瞳の奥の老人を、ぼくは睨みつけた。
デレクは――メルツェルは言った。
「結局、わたしたちは同じなんだよ。エワルド。わたしたちは共に、身の程以上のことを願い、自分以上の何かを頼っている」
羽目板の穴からデレクが這い寄ってきた。
「ぼくをお前と一緒にするな!」
「何を言おうが思おうが、そんなものは人を定義したりしない。成し遂げたことこそが、そいつの器だ。わたしも君も、世界とは身代わり越しの関係だ」
「ならば、お前は何を成し遂げた!」
「わたしか? わたしはこれからするのさ。君もだ、エワルド。君もわたしもまだ生きている。死者に縋っている場合じゃないんだよ」
アンジェリカの身体は〈タロス〉の制御装置と繋がっている。そして、彼女の意思はまだこの身体に戻ってきていない。霊安室。壁に叩きつけられた鈍い音。床に這いつくばりながら、デレクが歩いてくる姿を見る。視界が砂嵐で遮られ、アンジェリカの身体が粉々に砕かれた。同じ光景なんて望んじゃいないが、ぼくは彼女の身体を迂闊に動かせない。
「大事なことは人形任せで、自分は安全なところから世の中は何も変わらないと嘆く。世界は無関心だと蔑む。わたしは君をそんな傍観者にはしたくないんだよ。エワルド」
デレクは手を差し伸べた。炭化した肌に、骨が剥き出しになっている指先。
「なあ、エワルド」唸り声か。笑い声か。デレクの喉が低く鳴る。「君には覚悟が足りない。エワルド。人形の陰に隠れて怯えるなんていうのは、無様だよ」
「お前のことなんか――」
「解っているさ。君が恐れているのは、わたしじゃない。君は過ちを恐れている。自分の刃が後少しのところで届かないと思い知らされるのが怖いんだ。だがな、それじゃあ、いけない。わたしが君をそこから引きずり出してやる」
「あなたとエワルドは違う」ぼくの声でも、デレクの声でもない。メルツェルのものでも、ぼくの中の彼女の声でも。「あなたにエワルドは渡さない」
アンジェリカの声だ。
何か異変を感じたのか、デレクは筋肉が露わになった首筋に触れた。
「何だ? これは」
デレクの手のひらには、潰れた〈リコン〉の残骸があった。
「今度はわたしの勝ちよ、おじさん」
昆虫みたい。アンジェリカは〈リコン〉を見てそう言った。ああ。認めるさ。確かに妖精というよりは、昆虫だ。節くれだった手足もそう。下品にバタつく翅もそう。尻に付いた護身用の針もそうだ。
「毒でも盛ったか?」
「ええ。盛ったわ」
デレクは死体だ。その身体はメルツェルによる改造が施され、組み込まれた機構が性能を強化し、無理矢理運動させられている。だから、筋肉を硬直させるような毒を仕込んだって、機構が強引にデレクの四肢を動かそうとする。
「聞くさ」アンジェリカ同様、ぼくも勝利を確信した。「その毒は、血を固めるんだ」
本来は標的を不整脈に陥らせ、病死に見せかけて仕留めるためのもの。麻酔薬の処分に困っていた研究員(ロバートの部下)の特注品だ。動く死体に注入すれば、血流を解して伝達される信号を阻害できる。デレクは口角を上げた。口角というか、上顎の裂け目か。その裂け目の続きを描くみたいに、焼けた肌がひび割れる。
「これで……」デレクの声に、砂利を擦ったような音が混じった。「勝ったつもりか?」
「あんたの負け惜しみは初めて聞いたな」
執念深く、デレクは這って向かってくる。少し動いては止まり、硬直が解けるとまた動き出し、そして止まる。這う。止まる。手を伸ばすが、腕が持ち上がらない。呻き声。
爪先一つ分。デレクの指はアンジェリカの眼前で止まった。ぼくもアンジェリカも、安堵の溜め息を漏らす。
「助かったよ。アンジェリカ」
「どういたしまして」
「ねえ、エワルド」
「ケビンのこと。家族っていう絆も捨てて、生まれた場所も無視して、ここにあるものをみんな価値のないものだって決めつけられるくらい、素晴らしいものって何なのかな」
「彼がどんな風に生きて、どんな奴らと関わったのかも知らないんだ。解るわけがない」
答えをはぐらかしたけれど、ぼくはぼくなりに答えを用意できていた。
ケビンが追い求めていたものは、全てを犠牲にしてでも追う価値があったものなんかではない。あの男は、生きることに価値を見出せていなかった。持たざる者として生まれた自分に愛想を尽かしていた。自分から自由を奪った運命を呪っていた。
奪われたものが埋め合わせの効かないくらい大事なもので、生き続けたってもう二度と同じものは手に入らないんだって悟ったら、その日からはもう、死ぬために生きるしかない。だから、ケビンは無駄だった一生に意義を与えてくれるような死を望んだ。自分はこの日のために耐え抜いたんだって胸を張れるような終止符を。
これがぼくの見解。だけど、アンジェリカには教えない。
ケビンのことだなんて彼女は前置きをしているけれど、その言葉はぼく自身の生き方の是非を問い詰めているんだって気づいたからだ。
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