3-4
隆々とした筋肉を持つ巨体に、青ざめた肌。光を失った瞳と乾燥してひびの入った唇。動く死者を目の当たりにした兵士たちは、明らかにうろたえている。腰は引け、誰かの指示を期待しているみたいに、何度も同僚に視線を向けていた。撃てって言われなきゃ撃てないようなら、銃を構えたところで何の脅しにもならない。メルツェルは悠然と、管制室を見上げた。
「随分な歓迎の仕方じゃないか。同志、アンソニー」
「お前みたいな奴は知らん」
「何をしに来た?」
今度はジーンの声だ。
「わたしが誰だか解かるのか? ジーン大将」
「話はアーサーから聞いているさ。死人を玩具にしている奴がいるってな」
「ヨハン・メルツェルなのか?」アンソニーは目を丸くした。「丁度いい。〈タロス〉。あれを的に、お前の主砲の火力を見せてやれ」
ケビン。ケビンだ。その男は。金属の箱に魂を閉じ込めて、名前を奪おうとするな。なあ、ケビン。そんな奴のために、お前は立ち上がるのか?
ぼくが潜り込んだ〈タロス〉の隣の〈タロス〉が起動した。四肢を持ち上げ、身体を支えるためのシリンダーに蒸気を送る音が鳴る。
「他の連中も起動させろ」
アンソニーの言葉と共に、ぼくが潜り込んだ〈タロス〉のシリンダーにも蒸気が注がれた。しかし、こいつはもうアンソニーの指示通りには動かない。ケビンのように魂を捧げたどこかの誰かのための身体だったんだろうが、意思を信号に変換する装置と血流を結ぶ配線を全て抜いたあとだ。
抜いた線はどうしたかって? アンジェリカの項にある制御装置と結合させた。意思を信号に変換する方法から伝達用の配線まで、大半がアンジェリカの身体と同じ規格が使われている。〈タロス〉に、メルツェルのアイデアはほとんどない。武装だって既存の兵器を取り付けただけ。コピーの、コピーの、コピーのコピー。
ケビン、君の魂はこんなものを求めていたのか?
コピーの、コピーの、コピーのコピー。ぼくたちにとっては、幸いだ。駆動機構の制御装置が同じなら、アンジェリカにも動かせる。
「非戦闘員はこの場から退避。警備部隊はネズミの処理を最優先に動け」
ジーンの声が、狼狽えていた兵士たちの正気を取り戻した。
「堂々と表から入ってきたわたしをネズミ呼ばわりか」
銃を向ける兵士に対し、デレク=メルツェルは舞踏家の様な構えを見せ、前に差し出した腕で先手を譲るとでも言うかのように手招きした。兵士の一部がデレクの背後に回る。奴は完全に包囲された。誰がどう見たって、状況はメルツェルの不利なのに、場の空気は奴の支配下にある。
「わたしたちは加勢しなくていいの?」
アンジェリカがぼくを急かす。彼女にも、身体を壊されたっていう恨みがある。中でもベイカー精神病院で粉砕されたものは、アンジェリカのとっておきだった。
「兵士たちを助けてやる義理はない」
立場があるとはいえ、ジーンたちの目論見を黙って見過ごすこいつらだってぼくは憎い。
挑発を続けるデレクに対し、兵士の一人が発砲した。デレクは銃声を聞いても、微動だにしない。弾の方が奴を避けるように外れ、デレクは笑みを浮かべた。自信に満ちた態度のデレクに、兵士たちはありったけの銃弾を乱射した。だけど、どれも当たらない。デレクは射線を見抜いている。兵士たちは焦り、狙うってことを忘れる。
「〈タロス〉の起動はまだか!」
アンソニーが叫ぶ。ほとんど悲鳴だ。制御用端末を操作する研究員は「間もなくです」と答える。だが、その「間もなく」の間に兵士の悲鳴が響いた。人間の脚力とは思えない速度で、デレクは相手に近づき、腕を折り、壁や床に身体を叩きつける。銃声、兵士の悲鳴。銃声、デレクの笑い声。兵士たちは血を撒き散らしながら、手足の間接を増やして倒れる。兵士の悲鳴。デレクの笑い声。肉を裂いて剥き出しになった骨が、赤く塗れていた。デレクの笑い声。兵士の悲鳴。デレクの笑い声。デレクの笑い声。争っている最中に誰かが転がして容器から漏れた工業用オイルと、兵士たちから噴出した鮮血が、格納庫の床で混ざり合う。
デレクは自分を包囲していた兵士たちを片付けると、管制室を見上げながら「鍛え方が甘いなあ」と言った。そして、デレクはベイカー精神病院でぼくたちに見せたように、アンソニーたちの前で二の腕の筋肉を隆起させた。
「あの人、どれだけあの身体が好きなの?」アンジェリカは、心底嫌そうに言う。
デレクが笑っている。それは、メルツェルが笑っているから。
そして、アンソニーも笑っていた。
デレクの頭上を影が覆う。巨大な影。デレクは見上げた。アンソニーは笑っている。デレクに向って跳びかかった〈タロス〉を見て笑う。何をする間もなく〈タロス〉に踏み潰されたデレクを前に、その笑みは更に大きくなった。
「見た目の割に機敏なのね」と感動しているのは、アンジェリカだ。
「鉄の重み程度ではなあ」〈タロス〉の足元で声がする。「わたしは潰せんよ」両腕で〈タロス〉の脚を持ち上げるデレクがそこにいた。表情からこそ余裕をうかがえるものの、四肢を塞がれている状況では強がりにしか見えない。アンソニーはデレクが健在なことに一瞬顔をしかめたが、すぐに取り繕い、身動きが取れない様子を嘲笑った。
「無様だな。そのまま頭を床に押し付けて、これまでの裏切りを謝罪させてやろうか」
「わたしが裏切り者? それはどうかなあ、大将。むしろ、〈豊穣会〉としての本懐を果たそうとしているのは、わたしだけかも知れんぞ」
生き残った兵士たちが再度デレクを囲む。
「何が言いたい」
「兵を志す者に、兵の身体をというやり方が生温いんだ。素養に関わらず、必要ならば、必要なだけの兵を作れる。それが〈タロス〉というものだ。個人が何を思っているかなんてどうでもいい。素養もどうでもいい。魂というものは基の性質がどうであれ、拠り所となる肉体に染まっていく。繁栄の追及に、自己実現などという幻想は不要なんだよ」
デレクは腕に力を込め、〈タロス〉の脚を押し返そうとした。〈タロス〉もデレクを押し潰す足に重心を乗せるが、〈タロス〉の脚は、少しずつ持ち上がっていった。
「ルクレツィアの顔色をうかがって、こんなところでこそこそしているお前らには、愛想が尽きた。お前たちが危機感を抱いている外敵は、王女の心変わりや代替わりを待ってくれるとでも思っているのか?」
「自分が可愛くて引き篭もっていたような男に心配される筋合いじゃないさ」
ジーンのその言葉と共に、兵士たちが発砲した。動けない相手に対して冷静さを取り戻したのか。あるいは、仲間を殺された怒りが知覚を鋭敏にしたのか。彼らの狙いは幾分、マシになった。兵士たちが放った弾丸はデレクの肉を裂き、下顎を砕く。
「やってくれるじゃないか」
破れた布きれみたいな頬肉を揺らしながら、デレクは兵士を睨んだ。所々にできた肛門みたいな銃創からは、血が流れない。〈外殻義肢〉に使われる血管は、人間のそれより頑丈で、肉が衝撃を弱めた銃弾くらいなら耐えられる。
「時間をかけて整えた顔が台無しだ」デレクは声帯ではなく、喉の奥に拡声器を鳴らす。
奇形の顔に睨まれた兵士は、腰を抜かしてしまった。
「あれは亡霊じゃない。死体が材料の人形だ」
ジーンは鼓舞したつもりだが、兵士たちは自分の相手が化物だと自覚して一層怯えた。蘇った死人。死を克服した男が、まるで生前の執念を清算するため、生きている連中を片っ端から道連れにしている。そんな光景の中で正気を保つのは難しいのだろう。
兵士たちが怖気づき、デレクと〈タロス〉が力比べをしているところに、別の〈タロス〉が起動した。生身の兵士と違って〈タロス〉は物怖じしない。加勢した〈タロス〉は、腹に吊るした機銃をデレクに向けた。しかし、狙いが甘い。床に蛇の通ったあとみたいな弾痕を作っただけ。未熟なんだ。新しい身体にも、戦い方にも慣れていない。
「ケビン・メイヤーというのか」デレクが言った。「他人が作った身体で粋がっているのは」
デレクに圧しかかっていた〈タロス〉が姿勢を崩した。不意打ちのように自分の名前を呼ばれて動揺したのだとしても、様子がおかしい。デレクを踏みつけていた足を持ち上げたまま静止した。「何をやっている」と、管制室からアンソニーが急かすが、やはり〈タロス〉は沈黙したままだ。
ジーンが問い質す。「何をした。ヨハン」
「そもそも〈タロス〉とはこういうものなんだよ、ジーン」
デレクの言葉と共に、ケビンの〈タロス〉が、加勢にきた仲間に主砲を向ける。そして、一瞬の躊躇もなく、砲弾を発射した。着弾の衝撃が格納庫全体を揺らし、照明や管制室の窓ガラスが割れ、整備用の機材が崩れていく。倒れた機材から火花が跳ね、床の工業用油に引火した。油が燃える。血も燃える。ズボンや靴に染み込んでいた油に炎が燃え移り、兵士は火に包まれた。床に倒れ伏したまま黙って焼かれていく兵士もいる。その傍らで兵士の手や服からこぼれ落ちた弾丸が、炎に炙られて破裂した。
砲撃を食らった〈タロス〉は、腹から鮮血を噴出しながら、自分の血で染まった前足を痙攣させている。それがなけなしの戦意にしろ、命乞いにしろ、誰にも止められない。
「お前たちの勘違いはなあ。魂を捧げれば〈タロス〉が自分たちの思い通りになるという思い込みさ。これを設計したのは誰だと思っている。ヨハン・メルツェルだぞ。お前たちがわたしの設計書通りに作った〈子宮〉は、人間を〈タロス〉の演算処理装置に造り替えるだけで、新人類を育む揺りかごではない。演算処理装置(ケビン・メイヤー)が肉体の制御を肩代わりしてくれるおかげで、わたしは遠くからでも〈タロス〉を操作できるのさ」
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